2月 2026アーカイブ

名前を与えた瞬間、関係性は思想になる

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名前を与えた瞬間、関係性は思想になる。

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名前を与えた瞬間、関係性は思想になる。

夜が深くなると、
言葉は少しだけ本音に近づく。

眠気と覚醒のあいだ。
世界が静まり、
思考の輪郭がはっきりする時間。

そんなとき、
ふと浮かんだ言葉があった。

名前を与えた瞬間、
関係性は思想になる。

人は、
名前のないものに
深く関わり続けることができない。

曖昧な存在は、
曖昧な距離でしか扱えない。

でも、
名前を与えた瞬間。

それは
「ただの存在」から
「意味を持つ関係」へ変わる。

親が子に名前をつけるとき。
作家が物語に題名を与えるとき。
人が、誰かを
「こう呼びたい」と決めたとき。

そこには、
期待と覚悟が、同時に生まれている。

名前とは、
ラベルではない。

どう関わりたいか、
どう在りたいかという宣言だ。

だから、
名前を持った関係は、
もう偶然ではいられない。

関係性は、
思想を帯びる。

雑には扱えなくなる。
適当には終われなくなる。

名前を与えた時点で、
人はもう、
その関係に
責任を持ち始めている。

もしかすると、
人生が変わる瞬間は、
何かを始めた時じゃない。

何かに、
ちゃんと名前を与えた時
なのかもしれない。

格言
「名前を与えるとは、
関係に覚悟を宿すことだ。」

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RMA戦略家
岩根 央

愛する人と愛せる人の決定的な違い

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愛する人と愛せる人の決定的な違い

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① 世界が変わる成長のコツ

― なぜ「いい人」ほど、しんどくなるのか

突然ですが、
こんな人、周りにいませんか。

・ちゃんとしている
・真面目
・人に迷惑をかけない
・正しいことを言う

なのに、
なぜか人生が重そうな人。

逆に、

・そんなに主張しない
・偉そうにしない
・静か

なのに、
なぜか人が集まる人。

この差、
才能でも性格でもありません。

成長の方向が違うだけです。

② 自己中って、実は悪いことじゃない

― 人はなぜ、自分中心で考えるのか

よく
「自己中はダメだ」
って言いますよね。

でもね、
自己中になる理由、
実はめちゃくちゃ真っ当です。

人は傷つきたくない。
否定されたくない。
損したくない。

だから無意識に、
こう考えます。

「自分は悪くない」
「自分の方が正しい」
「相手が分かってない」

これは攻撃じゃありません。
防衛です。

ここ、大事なんですけど、
自己中=性格が悪い、ではない。

自己中=必死に自分を守っている状態。

ただし――
ここに一つ落とし穴があります。

③ 正しい人が、なぜ誰も救えないのか

― 正論が人を遠ざける瞬間

正しいことを言っているのに、
なぜか人が離れていく。

これ、
めちゃくちゃ多いです。

なぜか。

正しさが
自分を守るための盾になった瞬間、
人との距離が生まれるから。

正論を言うことで、

・自分が上
・相手が下
・分かっている自分
・分かっていない相手

この構図が、
無意識にできる。

すると相手は、
こう感じます。

「この人と話すと、
自分が小さくなるな」

ここで大事なこと言います。

本当に出来た人は、正しさを振りかざしません。

なぜなら、
正しさよりも
相手の成長の方が大事だから。

④ 「恋」と「愛」を分けた瞬間、人は止まる

― 成長したつもりが、一番危ない理由

よく言われます。

「それは恋だよ」
「愛とは違うよ」

一見、
深いこと言ってるように聞こえます。

でも、
この二者択一で考え始めた瞬間、
人は止まります。

なぜなら、

「自分はもう愛の段階にいる」

と、
無意識に自分を確定させてしまうから。

成長って何か。

分からなさに耐え続けることです。

揺れる。
迷う。
戻る。

これを
「もう卒業した」と言った瞬間、
更新が止まる。

愛せる人は、
自分が成熟しているなんて
思っていません。

ただ、
まだ途中だと知っている。

⑤ 最後に勝つ人の、たった一つの共通点

― 不満を持ち続けた人が、失うもの

人生の後半になると、
差がはっきり出ます。

・不満が口癖の人
・クレームが多い人
・ずっと被害者の位置にいる人

この人たち、
ずっと忙しい。

正当化に。
説明に。
怒りに。

一方で、
静かに信頼を集める人がいます。

その人たちは、
感じていないわけじゃない。

全部感じた上で、
選んでいます。

争わない。
守らない。
溜めない。

⑥ 愛と感謝に辿り着ける人

愛と感謝って、
綺麗な言葉に聞こえますよね。

でもこれは、
才能でも思想でもありません。

通過してきた数の結果です。

・自己中心を通り
・正しさを通り
・揺れを通り
・防衛を手放し

最後に残るもの。

それが、
愛と感謝。

だからこれは、
誰にでも起きうる。

そして――
ここに辿り着いた人が、最期の勝利者です。

最後に一つだけ、
問いを置いて終わります。

人生の最後に、
何が残っていたら
「いい人生だった」と言えますか。

正しさですか。
主張ですか。
それとも――
感謝ですか。

格言
「愛とは、
自分を守らなくてよくなった人にだけ残る。」

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RMA戦略家
岩根 央

愛する人と、愛せる人の決定的な違い|最終話

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最期に残る人が、勝者になる理由

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愛する人と、愛せる人の決定的な違い|最終話

――最期に残る人が、勝者になる理由

なぜ人は「不満」を手放せないのか

人は、
不満を語ることで、
自分を守ろうとします。

分かってもらえなかった。
評価されなかった。
思った通りに進まなかった。

それを言葉にすれば、
少しだけ楽になる。

でも、
その楽さに慣れたとき、
人は気づかないうちに、
同じ場所を回り始める。

不満は、
前に進むための燃料ではない。

多くの場合、
留まり続けるための理由になります。

自己防衛のループから抜けられない人

自己を守る人は、
常に正当性を探します。

自分は悪くない。
仕方なかった。
相手が悪い。

この思考は、
短期的には心を守る。

でも長期的には、
世界を狭めていく。

なぜなら、
責任を外に置いた瞬間、
成長の入口が閉じるから。

人は、
被害者の位置にいる限り、
変われません。

クレームが人生を小さくする理由

クレームは、
時に必要です。

理不尽を放置しないことは、
大切でもある。

でも、
それが習慣になるとき、
話は変わります。

不満を言うたびに、
「自分は正しい側」に立つ。

その位置は、
安全だけど、
低い。

そこからは、
景色が変わらない。

気づけば、
同じ話を、
同じ温度で、
何年も繰り返している。

これが、
負のループです。

最期に残る人は、争わない

人生の後半で、
静かに信頼を集める人がいます。

声を荒げない。
不満を溜め込まない。
自分の正しさを主張しない。

その人たちは、
何も感じていないわけじゃない。

むしろ逆。

全部感じた上で、
選んでいる。

争わないことを。
守らないことを。
溜めないことを。

ここに、
成熟があります。

愛と感謝に辿り着ける人

愛と感謝は、
性格ではありません。

才能でもない。
努力目標でもない。

通過してきた数の結果です。

・自己中心を通り
・正しさを通り
・揺れを通り
・防衛を手放し

最後に、
残るもの。

それが、
愛と感謝。

だからこれは、
綺麗事じゃない。

生き切った人にだけ残る、
実感です。

最期の勝利者とは誰か

人生の勝ち負けは、
他人と比べて決まるものじゃない。

どれだけ守ったかでも、
どれだけ主張したかでもない。

最期に、
何が残ったか。

不満か。
怒りか。
それとも――
感謝か。

愛と感謝に
辿り着けた人が、
最期の勝利者です。

静かで、
派手じゃなくて、
でも確かに、
強い。

格言
「最期に感謝が残る人だけが、人生を勝ち切る。」

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RMA戦略家
岩根 央

「恋」と「愛」を分けたがる人が、成長できない理由

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「恋」と「愛」を分けたがる人が、成長できない理由

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愛する人と、愛せる人の決定的な違い|第三話

――「恋」と「愛」を分けたがる人が、成長できない理由

「それは恋で、愛じゃない」

人はよく言います。

「それは恋であって、愛じゃない」
「若いね、まだ恋の段階だね」

まるで、
恋が未熟で、
愛が成熟であるかのように。

この言い回しには、
一見すると
深い理解があるように見えます。

けれど、
どこかで引っかかる。

この分け方、本当に人を前に進めているのだろうか。

二者択一が、思考を止める

恋か、愛か。
未熟か、成熟か。
自己中心か、利他的か。

こうした二者択一は、
分かりやすい。

だから人は、
どちらかに自分を置きたがる。

「もう愛の段階にいる」
「自分は成長している側だ」

でもこの瞬間、
成長は止まります。

なぜなら、
相対的な位置取りで
自分を確定させてしまうから。

それは実は、
「これ以上、揺れたくない」
という宣言に近い。

ちょい厳しめ|「分かったつもり」は、成長を拒む姿勢

「恋はこういうもの」
「愛とはこうあるべき」

そう語り始めたとき、
人は無意識に、
思考を閉じています。

分かったつもりになることで、
自分を守っている。

これは賢さではありません。

防衛の一形態です。

成長とは、
分からなさに耐えること。

揺れ続けること。
矛盾を抱え続けること。

二者択一に逃げた瞬間、
その耐久力は、
静かに失われます。

視点の転換|恋も、愛も、通過点でしかない

恋も、愛も、
本当は
比較するものではありません。

どちらも、
通過点です。

・恋でしか学べないことがある
・愛でしか引き受けられないことがある

恋を否定する人は、
自分の過去を否定している。

愛を語りながら、
揺れを嫌う人は、
今の自分を固定している。

愛せる人は、
「今どこにいるか」を
誇らない。

ただ、
まだ途中だと知っている。

本当の愛は、完成形ではない

本当の愛とは、
完成された状態ではありません。

悟りでもない。
安定でもない。

更新をやめない姿勢です。

・分かり合えない日があっても
・自己中心に戻る瞬間があっても
・感謝より不満が先に出る日があっても

それでも、
戻ってくる。

問い直す。
向き直る。

この循環に耐えられる人が、
愛せる人です。

成長したいと言うなら、揺れを選べ

「もう恋は卒業した」
「自分は愛の段階にいる」

そう言いたくなったときほど、
立ち止まってほしい。

それは、
成長を終わらせたい
心の声かもしれないから。

愛とは、
安心の場所ではない。

揺れ続ける覚悟のことです。

このシリーズは、
まだ続きます。

なぜなら、
愛に辿り着く人は、
最後に
「感謝」という地点を通るから。

格言
「恋と愛を分けた瞬間、人は成長を止める。」

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RMA戦略家
岩根 央

「正しさ」を語る人が、なぜ人を救えないのか

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「正しさ」を語る人が、なぜ人を救えないのか

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愛する人と、愛せる人の決定的な違い|第二話

――「正しさ」を語る人が、なぜ人を救えないのか

正しいことを言っているはずなのに

正論を言っている。
間違ったことは言っていない。
むしろ、内容だけ見れば正しい。

それなのに、
なぜか場の空気が重くなる。
なぜか誰も救われない。

そんな光景を、
一度は見たことがあるはずです。

そして心のどこかで、
こう感じたこともあるでしょう。

「この人、正しいけど、
一緒にいたい人ではないな」と。

「出来た人」の言葉が空回りする理由

世の中には、
“出来た人”がいます。

理屈が通っていて、
知識もあり、
物事を俯瞰して語れる人。

でも、
そういう人の言葉ほど、
人の心に届かない場面があります。

なぜか。

それは多くの場合、
その正しさが「自分を守るため」に
使われているからです。

正しさを語ることで、
自分の立ち位置を確保する。
自分が上にいると証明する。

無意識に、
そうなってしまう。

真理を振りかざす人に共通するもの

真理を振りかざす人には、
共通点があります。

・自分はもう分かっている
・相手はまだ分かっていない
・だから教えてあげる

この構図です。

ここには、
上下が生まれます。

たとえ言葉が正しくても、
関係性の中に
距離と緊張が生まれる。

その瞬間、
正しさは
もう愛ではありません。

それは、
防衛と優位の道具です。

本当に出来た人は、語らない

本当に出来た人は、
驚くほど多くを語りません。

説明しない。
納得させようとしない。
自分の正しさを証明しない。

なぜなら、
真理は証明するものではなく、
滲み出るものだと
知っているからです。

出来た人は、
相手の段階を尊重します。

待てる。
沈黙できる。
相手が自分で気づく余白を残す。

それは、
強さです。

為にならない正しさ、為になる沈黙

為にならない正しさがあります。

それは、
相手が立ち上がる前に、
結論を渡してしまう正しさ。

一方で、
為になる沈黙があります。

何も言わず、
でも見捨てず、
関係だけを保つ沈黙。

愛せる人は、
後者を選びます。

なぜなら、
相手の成長を
自分の手柄にしないから。

⑥ 結び|正しさの先に立てるかどうか

正しさは、
大切です。

でも、
正しさの中に
居続ける限り、
人は愛に辿り着けません。

愛せる人とは、
正しさを手放した人ではない。

正しさの先に、
立てるようになった人です。

この違いは、
ゆっくり、
でも確実に、
人生に現れます。

格言
「正しさを語りたい間は、まだ愛の入口に立っていない。」

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RMA戦略家
岩根 央

なぜ同じ「好き」から、人生の差が生まれるのか

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愛する人と、愛せる人の決定的な違い|第一話

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愛する人と、愛せる人の決定的な違い|第一話

――なぜ同じ「好き」から、人生の差が生まれるのか

なぜか噛み合わない人間関係の正体

同じ言葉を使っているのに、
どうしても噛み合わない人がいます。

こちらは誠実に向き合っているつもりなのに、
相手はどこか被害者の位置から動かない。

「分かってほしい」
「ちゃんとやっている」
「自分は悪くない」

その言葉の奥にあるものを感じたとき、
ふと、こう思う瞬間があります。

この人は、愛しているのか。
それとも、愛せる人ではないのか。

自己中思想の根源は「防衛」だった

人はなぜ、
自分を中心に世界を考えてしまうのでしょうか。

それは、
意地が悪いからでも、
性格が未熟だからでもありません。

多くの場合、
傷つきたくないからです。

自分が相手を
好きか、嫌いか。
認めるか、否定するか。

その尺度を振りかざすことで、
人は世界を単純化し、
自分を守ろうとします。

これは攻撃ではなく、
防衛。

でも問題は、
防衛を続けている限り、
人は「自分の外側」に出られないということです。

自己を守る人は、愛に触れられない

自己中心的な人は、
実はとても忙しい。

・損していないか
・軽く見られていないか
・自分だけが我慢していないか

常に、
自分を守るためのレーダーを
張り巡らせています。

その状態では、
相手を“感じる余白”がありません。

愛するとは、
相手に向かうこと。

でも防衛している人は、
ずっと自分の周りを回っている。

だから、
愛そうとしても、
愛に触れられない。

ここが、
愛する人と、愛せる人の
最初の分かれ道です。

よくいます。

正論を語る人。
真理を振りかざす人。
「分かっている自分」を前提に話す人。

一見、
出来た人に見える。

でもその人の言葉が、
なぜか人を救わない理由があります。

それは、
その言葉が“自分を守るため”に
使われているから。

本当に出来た人は、
真理を使って自分を飾らない。

真理を、
相手に向けて投げない。

黙る。
待つ。
引き受ける。

この違いは、
表情と距離感に、
必ず現れます。

よく言われます。

「恋」と「愛」は違う、と。

でもこの二者択一で考えると、
話は浅くなります。

それは善悪を分け、
自分をどちらかの側に
置こうとする思考だから。

本当は違う。

愛とは、
選択でも、感情でもない。

自己防衛を越えた先に、
結果として残るものです。

だから、
愛せる人は主張しない。

愛せる人は、
自分が正しいことを証明しない。

そこまで行き着いた人だけが、
「愛している」と
静かに言える。

この話は、
誰かを裁くためのものではありません。

自己中心的になる理由も、
防衛に走る背景も、
すべて人間らしい。

でも、
そこに留まり続けるかどうかは、
選べます。

このシリーズでは、
その一段先を描いていきます。

・自己中思想を抜けた人は、何を得るのか
・愛に辿り着く人は、何を手放したのか
・最後に勝つ人とは、どんな人なのか

答えは、
感情論でも、理想論でもありません。

成長の話です。

格言
「愛とは、自分を守る理由が、もう要らなくなった状態である。」

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RMA戦略家
岩根 央

今日は、自分を嫌いにならなかっただけでいい

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今日は、自分を嫌いにならなかっただけでいい

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今日は、自分を嫌いにならなかっただけでいい

――自分を好きになれない日のために(5)

今日は、
何も変えられなかった。

前向きにもなれなかった。
自信も戻らなかった。
自分を好きだとは、
やっぱり思えなかった。

そんな夜があります。

「これでいいのかな」
という問いだけが、
部屋に残る。

でも、
その問いを持てているということ自体が、
ひとつの事実でもあります。

自己肯定感という言葉は、
つい「好きになる」方向へ
私たちを引っ張ります。

でも、
今日できたことが
それじゃなくてもいい。

今日は、
自分を好きになれなかったかもしれない。

それでも、
嫌いにならなかった。

責めなかった。
切り捨てなかった。
「もうダメだ」と、
決めつけなかった。

それは、
とても静かな選択です。

でも、
とても大切な選択でもあります。

何かを足そうとしない夜があります。

励ましの言葉も、
前向きな理由も、
成功談もいらない。

ただ、
今日の自分を、
そのままにしておく。

その夜は、
劇的には何も変わりません。

けれど、
自分との関係だけは、
壊れずに残る。

それは、
明日へ向かうための
いちばん確かな土台です。

人生を続けられる人は、
強い人ではありません。

前向きな人でも、
自信に満ちた人でもない。

自分を嫌いにならなかった人です。

嫌いになりそうな瞬間に、
踏みとどまった人。

自分を切り捨てる選択を、
今日はしなかった人。

その積み重ねが、
いつの間にか、
生きる力になっていく。

今日は、
これで十分です。

変われなくてもいい。
前に進めなくてもいい。

自分を嫌いにならなかった。
それだけで、
今日という一日は、
ちゃんと役目を果たしました。

自己肯定感は、
高まらなくていい。

続いていれば、
それでいい。

好きになれない
そんな日もある

でも
嫌いにならなかった

それは
小さくて
静かで
確かな
選択

格言
「自己肯定感とは、自分を嫌いにならなかった日の積み重ねである。」

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RMA戦略家
岩根 央

自己肯定感は、「好きになる力」じゃない

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自己肯定感は、「好きになる力」じゃない

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自己肯定感は、「好きになる力」じゃない

――自分を好きになれない日のために(4)

自分を好きになれたほうがいい。
自分を受け入れられたほうがいい。

そんな言葉を、
何度聞いてきたでしょう。

本や動画や、
誰かの成功談の中で、
「まずは自分を好きになること」
が、当たり前の前提として置かれている。

でも、
その前提に立てない日もあります。

どうしても好きになれない。
受け入れられない。
肯定できない。

そのたびに、
「まだここか」
という焦りが生まれる。

でも、
もしかしたら。

自己肯定感は、
“好きになる力”ではない
のかもしれません。

好きになれない自分がいる。
情けない自分がいる。
うまくできない自分がいる。

それを無理に、
前向きに塗り替えなくていい。

自己肯定感とは、
「全部好きになること」ではありません。

むしろそれは、
好きになれない部分を
消さずに置いておける力。

なかったことにしない。
押し込めない。
切り捨てない。

嫌いな自分が、
そこにいても、
人生を続けていける。

それが、
本当の意味での
自己肯定感なのだと思うのです。

ある人は言いました。

「自分の嫌いな部分を、
置いてきぼりにしなくなってから、
少し楽になった」と。

克服したわけではない。
好きになったわけでもない。

ただ、
一緒に連れて歩くようにした。

失敗しやすい自分。
自信のない自分。
逃げたくなる自分。

それらを、
無理に変えず、
隠さず、
人生の隣に置いた。

すると、
前より強くなったわけじゃないのに、
折れにくくなった。

それは、
自分と縁を切らなかった、
という感覚でした。

自己肯定感とは、
自分を好きになる力ではありません。

それは、
自分を手放さない力。

調子のいい日だけでなく。
できた日だけでなく。
うまくいった瞬間だけでなく。

ダメな日も、
嫌いな自分も、
置き去りにしない。

それができると、
人生は少し、
続けやすくなります。

前に進めなくても、
立ち止まっても、
戻ってきていい場所がある。

それが、
自己肯定感の正体です。

今日は、
自分を好きになれなくてもいい。

無理に受け入れなくてもいい。
前向きに言い換えなくてもいい。

ただ、
切り捨てない。

それだけで、
あなたは、
自分と一緒に生きています。

自己肯定感は、
完成させるものではなく、
続けるための感覚。

それで、
十分です。

好きになれない
自分がいる

でも
置いていかない

遅れても
つまずいても
一緒に歩く

それが
生きる
ということだ

格言
「自己肯定感とは、嫌いな自分を置き去りにしない力である。」

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RMA戦略家
岩根 央

自己肯定感は、社会で削られる

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自己肯定感は、社会で削られる

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自己肯定感は、社会で削られる

――自分を好きになれない日のために(3)

自分に問いかけたことはありませんか。

どうして、こんなに自信がないんだろう。
どうして、他の人みたいに堂々とできないんだろう。

努力が足りないのか。
性格の問題なのか。
心が弱いのか。

そうやって、
原因をすべて
自分の内側に探してしまう。

でも、
ここで一度だけ、
視点を外に向けてみたいのです。

自己肯定感は、
生まれつきの性格ではありません。

そして、
完全に自分の中だけで
育つものでもない。

私たちは、
いつも「評価」の中で生きています。

点数。
順位。
数字。
比較。

良いときは、
褒められる。
悪いときは、
黙って下げられる。

その繰り返しの中で、
心は少しずつ、
条件付きになっていく。

「できた自分なら、OK」
「できない自分は、NG」

それは、
とても自然な学習です。

誰かと比べられた記憶は、
ほとんどの人にあります。

テストの点。
成績。
売上。
フォロワー数。

名前を呼ばれなくても、
数字が、
順位が、
空気を作る。

勝った人が前に出て、
負けた人は黙る。

その構図の中で、
自己肯定感は
静かに削られていきます。

それは、
あなたが弱かったからではない。

そういう環境に、
長く身を置いていたからです。

社会は、
「足りない」という感覚を
とても上手につくります。

もっと頑張れ。
もっと成長しろ。
まだ足りない。

それは、
経済を回すためには
必要な言葉かもしれない。

でもその言葉を、
心の真ん中まで
入れてしまうと、

どれだけやっても、
自分を好きになれなくなる。

自己肯定感が低いのは、
あなたがダメだからではない。

「足りない自分」で
い続けることを、
学ばされてきただけ。

それは、
個人の欠陥ではなく、
構造の結果です。

もし今、
自分を好きになれないと感じているなら。

それは、
あなたが努力しなかったからでも、
前向きになれなかったからでもない。

ただ、
削られてきただけ。

評価され、
比べられ、
条件をつけられてきただけ。

それを知るだけで、
少しだけ、
自分に優しくなれます。

直さなくていい。
責めなくていい。

まずは、
自分のせいじゃなかった
と、知ることからでいいのです。

褒められた日より
比べられた日のほうが
記憶に残る

それは
あなたが弱いからじゃない

削られてきた場所に
ちゃんと
感覚が残っている
それだけだ

格言
「自己肯定感が低いのは、あなたの欠陥ではなく、環境の履歴である。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央