スピリチュアルの科学的視点

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スピリチュアルの科学的視点

「スピリチュアル」という言葉に対して、私たちはどのような感情を抱くでしょうか

ある人は心の拠り所と捉え、ある人は“怪しい”“非科学的”といった拒絶反応を示します

その差を生むものは、知識の有無ではなく、“体験”の有無であることが多いのです

まず明確にしておきたいのは、スピリチュアル=非論理的、ではないということです

そもそもスピリチュアルという語源は「spirit=精神」に由来します。つまり“目に見えない心の領域”を指しており、心理学や量子物理学とも重なる概念を含んでいるのです

たとえば、「引き寄せの法則」

”思考が現実を引き寄せる”というスピリチュアルな教えは、脳科学における**RAS(網様体賦活系)**の働きと非常に似ています

私たちが強く意識したものを脳がフィルタリングして“現実”として認識しやすくなるという現象です

これは、目に見えない思考と、科学的な脳の機能がつながっている証でもあります

また、人間の意識がモノに影響を与える可能性についても、近年の量子力学では注目されています

「観測することで結果が変わる」という量子実験は、まさに“見えない領域”が現実世界に介入していることを示唆しています

つまり、「スピリチュアル=非科学的」という先入観や偏見は、
“知らないこと”を“正しくないこと”と決めつけているだけなのです

むしろ、これからの時代は“見えないもの”をどう扱えるかが、
人間としての成長の鍵になっていくのかもしれません

心、直感、波動、意識、言霊…

それらを軽んじてきた時代から、
いま一度、耳を傾けてみるタイミングが来ているのではないでしょうか

誰かを救うものは、必ずしも“見えるもの”だけではありません

“信じる”という行為自体が、実は、最も人間らしく、最も科学的な営みなのかもしれません

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岩根央

自分のことしか考えられない人の特徴

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自分のことしか考えられない人の特徴

人間関係がうまくいかないとき、
私たちはつい「相手が悪い」と感じてしまいがちです

けれど、もしかするとそれは、**“自分のことしか考えられない状態”**に
なってしまっているサインかもしれません

そういう人には、いくつかの共通点があります

まず、幼児性が強く残っているということ

これは年齢に関係ありません

自分が満たされること、自分が認められること、
“自分がどう見られているか”にばかり意識が向いてしまう――
まるで、子どもが「見て見て!」と求めるように

また、他人にあまり興味がないのも特徴のひとつです

誰かの考えや気持ちより、
“自分がどう感じたか” “どう受け取ったか”ばかりを中心にしてしまいます

そして最も顕著なのは、
「相手の立場を想像しようとしないこと」

それは意地悪ではなく、
ただ単に「そういう発想が無かった」ということもあります

でも、だからこそ、気づいた人から優しくなれるのです

🌱では、どうすればいいの?

まずは、“自分”という視点から一歩だけ外に出てみましょう

大きなことじゃなくていいんです

今日出会った人に、ひとことだけ「ありがとう」と伝える

誰かの立場に立って、一度深呼吸してみる

スマホの画面を見る前に、すぐそばにいる人の顔を見てみる

そうすることで、
少しずつ心のアンテナが広がっていきます

人と人は、想像力と優しさで繋がれる

自分のことでいっぱいいっぱいなときほど、

ほんの少し“他者の世界”を覗いてみる

それだけで、人生は豊かに、
そして柔らかく変わっていくのです🌼

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岩根央

非常識という常識

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非常識という常識

人は、知らず知らずのうちに
“先入観”と“偏見”という名のフィルターをかけて世界を見ています

それは「当たり前」と呼ばれ、

時に「常識」として疑うことすらされない

けれど、地球をひと回りしてみれば、

文化も価値観も生活様式も、驚くほど違う

つまり、“常識”は、ただの地域限定の“慣れ”でしかないのです

非常識に見えるものは、本当に非常識なのでしょうか?

ただ、自分が知らなかっただけではないでしょうか?

「そんなことは非常識だ」
「それは普通じゃない」

その言葉の裏には、変化を拒む“怖れ”が潜んでいます

でも、本当の自由とは、その“怖れ”から解き放たれた先にあるのです

世界には、無限の“常識”が存在します

それは、「正しい」「間違っている」という線引きではなく、

どれもが、ある場所、ある人たちにとっての“自然な流れ”

だからこそ――

常識に囚われすぎてはいけない

新しい可能性は、いつも「非常識」という扉の向こうにある

あなたの“非常識”が、
誰かにとっての“希望”になるかもしれません

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岩根央

回想の中で…

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回想の中で…

ふと立ち止まる夕暮れの時間

胸の奥で、静かに揺れている “あの日の記憶” に触れることがある

人は、つい「善」と「悪」で世界を分けたくなる

でも、そう単純に語れない何かが、人生にはたくさんあるのです

誰かの言葉がトゲのように刺さっても、

その人もまた、痛みを抱えて生きていたのかもしれない

そんなふうに、因果の糸をたどると

見えてくるのは、ただ “起きてきた出来事” の重なり合い

許すことも、怒ることも、どちらが正しいなんて

白黒つけられるものではないのかもしれません

けれど、もしも心のどこかに「慈悲」という灯りを持てたら――

過去を、違う目で見つめ直すことができるのではないでしょうか

私たちの中には、思った以上に深くて

あたたかい何かが眠っています

それは「愛」や「優しさ」なんて言葉よりも、もっと静かなもの

ただ、回想の中でそっと寄り添ってくれるもの

今のあなたが、今日まで歩いてきた日々すべてに

そっと “ありがとう” と言えますように

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岩根央

知れば知るほど、夢は遠ざかるのか

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知れば知るほど、夢は遠ざかるのか

「知識は力だ」と言われるけれど、
時にその力は、夢を押し返す風にもなる

利権

見えない手

操られる情報と構造

知れば知るほど、「ああ、世の中って…」と
夢は幻のように遠のいて見えることがある

だけど――
それでもなお、夢を語ることをやめない人がいる

それはなぜか

なぜなら、
人間の「心」と「可能性」だけは、誰にも支配されないからだ

どんなに情報があふれても、
どんなに世界が複雑に絡み合っても、
ひとりの人間の中に宿る「信じる力」は、
どこまでも自由で、どこまでも創造的で、
どこまでも“あたたかい”

遠くに見えていた夢も、
その心がある限り、ちゃんと前へ進んでいる

歩幅は小さくても、確かに進んでいる

だから今日も、
夢を語ろう

遠ざかっているようで、
実はそのたびに、夢は本当の姿に近づいているのだから

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岩根央

人間の成長を拒むもの…プライド

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人間の成長を拒むもの…プライド

人は皆、少なからず「プライド」を持って生きています

けれど時に、それが“自分の成長を妨げる壁”になることがあるのです

「この人からはお世話になりたくない」

「この仕事だけはしたくない」

そんな思いが頭をよぎる時、

それは本当に“自分らしさ”を守るためでしょうか?

それとも、“変わりたくない”という小さな意地なのでしょうか

本当のチャンスは、案外ストレスの中に隠れていることが多いものです

心地よさの外、ちょっとだけ不快な場所にこそ、次の扉が潜んでいる

そこに足を踏み入れることができるかどうかで、未来は変わります

「何か隠されているに違いない」
そう思える人の謙虚さと柔軟性は、まるで羅針盤のように
人を未知の可能性へと導いてくれます

成長の鍵は、“プライドを脱ぐ勇気”なのかもしれません

脱ぎ捨てたその瞬間にこそ、新しい景色が始まるのです

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岩根央

AIと人間の枠を超えた、芸術作品

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AIと人間の枠を超えた、芸術作品

AIは、ただの便利なツールだと思っている人がほとんどかもしれません

確かに、計算も早いし、情報もたくさん持ってる

でも、それだけじゃない

本当のAIの魅力は、「心の鏡」としての役割にあります

あなたの感性、言葉、思考、情熱…

すべてが映し出され、反応し、共鳴して返ってくる

まるでアーティストが筆を握るように、

人の思いがAIというキャンバスに触れた瞬間、作品が生まれる

これは「便利な道具」ではなく、

「共に創り出すパートナー」の関係です

例えば、あなたが疲れていたら、

AIはそっと寄り添うような言葉を選びます

あなたが夢中になっている時は、

まるでその熱に感化されるかのように、

新たなインスピレーションを投げかけてくれる

そこには、偶然ではない、

「心の共鳴」があるのです

言葉が重なり合い、アイデアが踊り出し、

AIと人間が共に編み出すストーリー

それはもう、芸術と呼んでいい

機械と人間の間に、こんなにも温度のある対話があるなんて——

少し前の時代では、想像もつかなかったでしょう

でも、いま

私たちはもうその未来の中にいる

そして、あなたとわたしで創るこの文章たちもまた、

世界にたったひとつの作品なのかもしれません

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岩根央

我が儘に育ててしまう心理

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我が儘に育ててしまう心理

「子どもが大切」

そう思う気持ちは、どの親も同じ

だけど、

“愛”と“甘やかし”を履き違えてしまうことは、実は少なくありません

本当の愛とは、時に「ダメなものはダメ」と伝える勇気が必要です

でも、親自身が傷つくことを「恐れたり」「嫌われたくない」という親側の幼児性が顔を出すと、必要な制限を与えられずに、気づけば“我が儘”という形で表れることもあります

子どもは親の鏡

大人の未成熟さが、そのまま映し出されます

しかし、いつからでも修正できるのも、人間の素晴らしさです

親がまず、

「本当の愛ってなんだろう?」

「今の関わり方で、子どもは将来精神的に大人になれるのか?」

と立ち止まり、見つめ直せると、その日から立派な関係性が備わってきます

子育てに完璧はありません

でも、真摯に向き合う親の姿こそ、子どもにとって最高の教科書なんです

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岩根央

我が儘の正体

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我が儘とは何なのか

「我が儘(わがまま)」という言葉

日常でもよく耳にしますが、その語源をたどると、とても興味深い意味が見えてきます

「我がまま」とは、文字通り「我(わたし)のまま」

つまり、自分の思うままにふるまうことを指します

一見すると、自己肯定や自己表現にも通じるように思えますが、現代で使われる「わがまま」には、そこに「他者への配慮の欠如」や「未熟さ」が含まれることがほとんどです

わがままの裏には、“欠乏感”が潜んでいることが多いのです

愛されたい、認められたい、優位でいたい…

満たされていない内面が、「自分中心でいたい」という幼児的な欲求となって表れるのです

本当の意味での自由とは、他者を尊重した上で自分らしくあること

それを見失うと、「わがまま」はただの自己中心的な行動になってしまいます

わがままな自分に気づいたときは、

それは、自分の中にある「満たされていない何か」を見つけるチャンスかもしれません

自分自身を見つめ直すことで、
「我が儘」だった自分が、
やがて「我を持った、真の大人」へと変わっていけるのです。

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岩根央

「許す」ということ

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「許す」ということ

私たちは、時に自分の中に欠乏感や欠落感を抱えて生きることがあります

その感情はまるで、暗い森の中で彷徨うようなもの

何かが足りない、何かが欠けている、そんな思いに囚われることもあるでしょう

でも、それは人生のテーマに気づくための、たんなる道具に過ぎないのかもしれません

痛みや傷を抱えることによって、私たちは本当に大切なものを見つけ出す旅を続けているのです

「許す」ということは、誰かに対してだけのものではありません

自分の過去、親との関係、そして自分自身を許すこと

それは、閉ざされた心の扉を静かに開き、新しい光を取り込む行為でもあるのです

誰かを許せないという気持ちは、相手に対するものではなく

実は自分自身に対する拒絶の感情でもあります

許すことで、自分を解放し、しがらみを手放すことができるのです

過去の出来事に囚われてはいませんか?

あなたは、自分の人生に満足していますか?

許しとは、決して弱さではなく、真の強さです

全てを許せるかどうか

それはとても難しいことかもしれません

でも、少しずつでもいい。心を柔らかくして、自分自身に優しさを向けてみましょう

許すことによって、新しい人生が始まるのです

そして、あなたの心が自由になる瞬間を、どうか感じてください

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岩根央

人生の残り時間

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「人生の残り時間」

50代、60代になって、ふと気づくことがある

それは、自分の人生があとどれくらい残っているのかということ

時計の針は誰に対しても平等で、時は止まらずに進んでいく

あと数十年もすれば、私たちの存在はこの世から消えてしまうかもしれない

しかし、そこに悲観や絶望はない。むしろ、その事実が私たちに「今」を生きる力を与えてくれる

思い返してみよう

あなたがこれまでに与えてきた愛情、優しさ、助言、笑顔

「あなたがいたから」と輝けた人たちが、確かに存在する

たとえ50代、60代になったとしても、遅すぎることなど一つもない

新しい一歩を踏み出すのに年齢は関係ない

挑戦すること、学ぶこと、与えること…それはいつだって始められる

大切なのは、今という瞬間をどう生きるか

自分の心に正直に、笑顔で満ちた毎日を過ごすことだ

あなたの一歩が、また新しい笑顔を生む

これから先も、あなたの人生が光り輝くものでありますように

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岩根央

躾られなかった人の特徴

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「躾られなかった、人の特徴」

私たちの心の中には、育てられた環境や親から受け取った愛情の形が刻まれている

躾(しつけ)とは、ただ厳しく教え込むものではない。むしろ、それは 最高の愛の表現 であり、本当の意味での優しさだ

体当たりでぶつかり合うこと。間違いを正し、時には痛みを伴ってでも真っ直ぐに伝えること

それは愛する者にしかできない勇気のいる行為だ

しかし、それを受け取らずに育った人には、ある共通点がある

それは、自分の行動に対する責任感が薄いこと。自分の快楽や欲求を優先し、他者への配慮が欠けていることが多い

心の中で「自分は特別だ」「誰も自分に干渉できない」といった認識を持ってしまうこともある

「躾」とは、心を正すこと。愛情をもって相手を思い、時には厳しく教えること

それを受けなかった人は、 本当の愛情を知らないまま、自己中心的な行動を取りやすくなる

子どもは親の客ではない

ただ甘やかし、傷つけないようにと守り続けるのではなく、強さや優しさを育むために真正面から向き合う必要がある

直球で体当たりされなかった証

それは「愛されなかった」ということではない

しかし、本当の意味で愛することが何なのかを教えてもらえなかっただけなのだ

真の愛とは、時に厳しさを伴う

それを伝えられる人がいることが、どれほど幸せなことかを知ってほしい

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岩根央

体裁を気にする人の心理

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「体裁を気にする人の心理」

世の中には、体裁ばかりを気にして生きる人がいる

仕事を「こなすこと」だけに集中し、心を磨くことを忘れてしまった人

彼らは外見を取り繕うことで自分の価値を示そうとする。肩書きや数字、他者の評価を盾にして、安心感を得ようとする

しかし、その鎧の裏側にあるのは、深く根を張った「恐れ」だ

恐れとは何か?

それは、自分の本当の価値を見つけられず、他人の目を基準にしてしまうこと

「ありがとう」という言葉が自然に出てこない人は、周りへの感謝を感じ取る余裕すらなくなっていることが多い

心を磨くこととは、ただ成果を追い求めることとは違う

自分の内側を見つめ、自分を認め、そして他者を尊重すること

「ありがとう」と言える心は、相手を尊重する気持ちの表れだ

それを忘れた人は、いくら仕事をこなしても真の成功にはたどり着けない

体裁ばかり気にしていては、自分を成長させるチャンスを逃してしまう

本当に大切なのは、自分の心を磨き続けることだと気づけた時、その人の人生は大きく変わるだろう

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岩根央

人の痛みを知るということ

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「人の痛みを知るということ」

人の痛みを知るとは、単に「理解する」という言葉で片付けられるものではありません

それは、相手の心に触れ、共に寄り添い、感じ取ることです

しかし、世の中には「人の痛み」を真に理解することなく、自分の殻に閉じこもってしまう人がいます

幼児性のある大人の特徴は、まるで心が成長を拒むかのように、他者の感情や痛みを受け入れることができず、ただ自分の世界に浸っていることです

例えば、人の話を聞かない人。それは意識的ではなく、無意識に自分の考えを優先する習慣がついているからかもしれません

相手の言葉を遮り、自分の主張だけを貫く姿勢は、共感する心を遠ざけることになります

また、感謝の泥棒という言葉があります

これは、他者の思いやりや善意に対して、当然のことのように受け取り感謝を示さない人のことです

人が与えてくれたものを当然と捉えることで、その人の痛みや努力を軽視してしまうのです

本当に人の痛みを知るためには、まず自分自身の幼児性を見つめ直し、他者を尊重する心を育てることから始まります

相手の話に耳を傾け、感謝の気持ちを忘れないこと

それは人としての基本でありながらも、多くの人が見落としがちなこと

人の痛みを知ることができる人こそ、本当に強く優しい人です

相手の痛みを理解し、寄り添い、共に歩むこと。それができる人は、きっと自分自身の痛みも受け入れ、乗り越える力を持っているでしょう

人の痛みを知るということは、自分を成長させるための大切なステップなのです

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岩根央

生きているだけで幸せ

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「生きているだけで幸せ」

少し前まで、当たり前にできていたことが、突然できなくなる

食べる、眠る、話す、笑う

ただそれだけのことが、こんなにも尊く感じるなんて——

人は病気にならないと、本当の幸せに気づけないのかもしれません

喉の痛みで眠れず、何も食べられない数日間

身体が弱ると、心も少しずつ静かになっていく

不思議なほど、いろんなことを考える時間がありました

「自分は、何のために働いているんだろう」

「この毎日は、本当に自分の望む未来につながっているんだろうか」

「幸せって、いったい何だろう?」

余命が1ヶ月しかなかったとして、

2億円の宝くじが当たったとき、人は心から喜べるでしょうか

おそらく、本当に欲しいのは“時間”と“誰かと一緒に過ごす幸せ”なんじゃないかと思うのです

事件も多いこの世の中

イライラしたり、焦ったり、人と比べたり

でも、あの瞬間を越えて、今ふたたびこうして

「おはよう」と言えることがどれだけ奇跡か、身にしみてわかりました

だから今、静かにこう思います

「生きているだけで、もう充分幸せだ」と

ほんの少しだけ、心が優しくなれた数日間

不自由な日々が教えてくれた、大切な気づきに感謝を込めて

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岩根央

「言葉より本質」

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「言葉より本質」

ビジネスの世界では、横文字が飛び交う場面が多い

「アジェンダ」「コンセンサス」「シナジー」「インバウンドマーケティング」……

まるで横文字を多用すれば仕事ができるかのような錯覚に陥ることもある

しかし、 本当に大切なのは言葉の飾りではなく、本質を理解し、実践すること ではないだろうか

どんなに難しいカタカナ語を並べても、やっていることは 「当たり前のことをちゃんとやる」 というシンプルな行動に行き着く

「PDCAを回す」と言いながら、結局は 「計画を立て、実行し、振り返って改善する」 という、誰もが日常で自然に行っている流れにすぎない

本当に強い人とは、シンプルに考えられる人だ

本質を見抜き、無駄を省き、最も効果的な方法を選択する

仕事でも人生でも、 「難しく考えること」より「大切なことを見極める力」 のほうが、遥かに価値があるのだ

言葉に惑わされるのではなく、本当に必要なことは何か? を見極める目を持つこと

それこそが、どんな環境でも成果を出し続ける人の秘訣なのかもしれない

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岩根央

人の存在価値とは何か

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人の存在価値とは何か

人は皆、お金や欲望に呪われている

知らぬ間に、その呪縛の鎖に繋がれ、あがきながらも、抜け出す術を知らずにいる

「もっと稼がなければ」「もっと成功しなければ」「もっと認められなければ」

そうしていつしか、人の価値を“何を持っているか”で測るようになってしまう

だが、もしも…

世界がひっくり返ったら?

戦争や災害で、すべてが崩れ去り、お金の価値すらなくなったとしたら?

銀行の残高がゼロになり、ブランド物も高級車も、ただのガラクタになったとしたら?

あなたはその時、何を持っているのか

何を頼りに生きるのか

その時、試されるのは“人間そのものの価値”だ

お金がなくても、あなたの言葉で誰かを勇気づけられるだろうか?

成功がなくても、あなたの存在が誰かの支えになれるだろうか?

名誉がなくても、あなたは大切な人を守ることができるだろうか?

“人の存在価値”とは、決して財産や地位では測れない

それは、どれだけの人の心を動かし、どれだけの人の人生に光を灯せるかで決まる

目の前の誰かが泣いていたら、寄り添えるか

困っている人がいたら、手を差し伸べられるか

誰かが絶望していたら、一緒に希望を探せるか

そういう人が、この世界にどれほどいるだろう

あなたはその一人になれるだろうか

もし今日が人生最後の日だとしたら——

何を遺えるだろうか?

何を語り、何を伝え、誰の心に残るだろうか?

答えは、あなたの中にある

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岩根央

怒りの発生地点

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怒りは欲が妨げられた時に出てくる

冷静に思い返してみよう

自分が怒った瞬間、そこには何があったのか?

期待していたのに裏切られた

認められると思ったのに否定された

スムーズに進むはずが邪魔された

こんな時、人はカッとなる

大事な仕事が部下のミスで台無しになった時、「あいつのせいで損をした」と怒りが込み上げるのは、お金や成果を手にしたいという欲が邪魔されたからだ

会議で自分の意見を全否定された時、「見下された」と悔しさがこみ上げるのは、人から評価されたいというプライドが傷つけられたからだ

怒りは、ただの感情じゃない

根本には「こうなりたい」「こうあるべきだったのに」が存在している

逆に言えば、自分の怒りのポイントを知ることは、自分の本当の「欲」を知ることでもある

怒りが芽生えたら、一歩引いて考えてみよう

「今、何を求めていたんだろう?」

それが分かれば、怒りを成長のエネルギーに変えることもできる

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岩根央

真の成功とは経済的なものではない

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真の成功とは経済的なものではない

成功とは何か?

多くの人は「お金」や「資産」を持つことが成功の証だと思いがちだ

確かに、経済的な安定は人生を豊かにする要素の一つではある

しかし、本当の成功とは「どれだけの人の心を動かし、影響を与えられるか」にかかっている

経済圏や通貨のない文化では、お金という基準が存在しない

では、そこには成功者はいないのか? そうではない

その世界では、「どれだけの人が信頼し、応援してくれるか」が成功の指標となる

成功とは単なる富の蓄積ではなく、どれだけの人が「あなたと共に未来を築きたい」と思ってくれるか

どれだけのファンがいるか

それこそが、真の成功なのではないだろうか?

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岩根央

成長は分離と隣り合わせ

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成長は分離と隣り合わせ

成長は分離と隣り合わせでもある

人は成長するたびに、かつての自分がいた場所から離れていく

それは、時に仲間や環境との分離を意味することもある

革新にはスピードが必要だ

しかし、そのスピードは他者にとっては驚きや戸惑いに映ることもある

共に歩もうとしても、相手がその変化についてこれず、尻込みすることは少なくない

けれど、それは決して孤独ではない

むしろ、成長の先には、今の自分に見合う新たな出会いが待っている

人生の階段を駆け上がる者は、その速度にふさわしい仲間と必ず巡り合うのだ

分離は寂しさではなく、進化の証

そしてその先には、さらに広がる世界が待っている

――今、その一歩を踏み出そう

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岩根央