9月 2025アーカイブ

学力・稼げる力・営業力の決定的な違い ― パート2編

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

学力・稼げる力・営業力の決定的な違い ― パート2 ドラマ編

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

 

ある営業会議でのこと。
新人のA君は、プレゼン資料を何十枚も用意して意気込んでいた。

「うちの商品は業界No.1のシェアを誇り、コスト削減にもつながります!」
「競合と比較して、ここが優れていて…」

彼の説明は理路整然としていて、学力を積み重ねた人らしい完璧さだった。
けれど、相手の表情は固いまま。
説明が続けば続くほど、相手の心は遠ざかっていった。

その空気を横で見ていたベテラン営業のB課長が、ふっと笑顔で口を開いた。

「ところで、社長。最近、社員さんたち元気にされています?」

話題は商品の話から逸れ、相手の会社の“人”の話へ。
社長は少し驚いたように、けれどすぐに頬を緩めた。

「実はね、最近新人が入ったんですよ。でもまだ慣れてなくてね…」

そこから、現場の空気や社員の悩みの話が自然に始まった。
B課長はただ相槌を打つのではなく、時折こう言葉を添えた。

「それは大変ですね…でも、すごく大事にされているんですね。」
「なるほど。だから社長がこのサービスに興味を持たれたんですね。」

数分後には、社長は自ら「ぜひ導入したい」と言っていた。
資料の何十枚分よりも、「寄り添う一言」が相手の心を動かした瞬間だった。

営業力とは、説明の巧みさではなく、
「あなたのことを理解したい」という姿勢からにじみ出るものだ。

学力で磨かれるのは知識。
稼ぐ力で培われるのは技術。
だが、営業力は“心を動かす力”。

それは人間力の延長線上にしか存在しない。

説明で納得させるのではなく、営業力で「一緒に進みたい」と思わせる。
この違いこそが、人生を左右する力の差なのだ。

💫今日の格言
「営業は商品を売ることではなく、信頼を届けること。説明は記憶に残るが、営業は心に残る。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

学力・稼げる力・営業力の決定的な違い

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

学力・稼げる力・営業力の決定的な違い

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

 

学力は幼少から鍛えることができる。
稼ぐ力も、環境や経験によって磨くことができる。
だからこそ、多くの人は「学び方」や「稼ぎ方」を追い求めている。

しかし――
営業力については、決定的に勘違いされやすい。

「営業力=説明力」だと思っている人があまりにも多い。
けれど、営業力と説明力はまったく別の世界に属している。

説明力は、相手に情報を届ける力。
どれだけ詳しく、どれだけ理路整然と話せるか――それが説明だ。
一方、営業力は「人間力」そのもの。

説明がうまくても、心を動かせるとは限らない。
むしろ、人の心に寄り添わず、知識や資格を盾に話す人ほど、相手の心の扉を閉ざしてしまうことがある。

営業力とは、人の懐に自然に入っていける温度感であり、
「あなたのことを理解したい」という姿勢を持ち続ける力だ。

よく口では達者に語り、学力や資格を誇らしげに見せる人がいる。
それは決して無価値ではない。
ただ、それだけでは人は動かない。

人が動くのは、知識に納得したからではなく、心が「この人と一緒にいたい」と感じたからだ。
その感覚こそが営業力。

学力は試験で測れる。
稼ぐ力は数字で見える。
しかし営業力は――
「人から信じてもらえた数」「人から選んでもらえた瞬間」でしか測れない。

そしてそれは、言葉の巧みさではなく、日々の誠実さから生まれるものだ。

学力は脳に、稼ぐ力は技術に、営業力は魂に宿る。
だからこそ、営業力は決定的に違う。
それは「人を幸せにする力」と言い換えてもいいのかもしれない。

今日の格言
「営業力とは、知識を語ることではなく、人の心に寄り添い、人を動かす温度を生むことである。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

どうして夫は「旦那」と呼ばれるのか

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

どうして夫は「旦那」と呼ばれるのか

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

 

「旦那」という呼び方、実は仏教に由来する言葉だって知っていましたか?
もともとは「檀那(だんな)」と書き、インドの古い言葉「ダーナ(与える)」が語源です。
仏教では、人に施しや教えを与えることを「布施」といい、これが善い行いの一つとして大切にされてきました。

つまり、「旦那」という言葉の根っこには――
家族を支え、守り、何かを与え続ける人への敬意が込められているのです。

ある40代の男性Aさんが、こんな話をしてくれました。

最近、中学時代の自分と同じ年頃の息子を見ながら、当時の父の姿をよく思い出すそうです。
夜遅く帰ってきて、晩酌しながらテレビを眺め、あまり多くを語らない父。
正直、その背中は怖く、近寄りがたかった。
父が帰宅すると、子どもたちの団らんタイムは一瞬で終わり、居間は静まり返ったそうです。

そんな父の意外な一面を見たのは、家族で外食に出かけたときのこと。
偶然、仕事関係の人と会った父は、家では見せない柔らかな笑顔で、深く頭を下げながら会話していました。
その姿にAさんは衝撃を受けたと言います。
「家では威張っているのに、外ではこんなに愛想よくできるんだ…」と、むしろ反発心が強くなったそうです。

しかし、Aさんが社会に出て営業の仕事をし、家庭を持つようになってから――
あのときの父の姿が、まったく違う意味で胸に迫ってきたそうです。

お客様に頭を下げ、成果を求められ、数字に追われる日々。
失敗すれば給料に響き、家族を養えなくなるかもしれないというプレッシャー。
くたくたになって帰宅し、テレビを眺めながら無言で座る自分に、
「あ…これはあのときの父だ」と気づく瞬間が何度もあったといいます。

Aさんは、ようやくわかったそうです。
ファミレスで見た、あの笑顔も、頭を下げる姿も、
すべては「家族を守る」という覚悟から生まれたものだったと。

「旦那」という呼び名は、単なる呼称ではありません。
そこには、“与える人”として生きる背中への敬意と感謝が、静かに込められているのです。

格言
与える人の背中には、言葉以上の物語が宿っている。

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

周りとのストレスを軽減するには

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

周りとのストレスを軽減するには

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

 

人間関係でストレスを感じやすい人ほど、
「相手を下げて、自分を上げる」思考になっていることがあります。

たとえば、
「自分はこんなに頑張っているのに、あの人は楽してる」
「私ばかりが苦労して、あの人は何もしてない」

この考え方は、シーソーで自分の側を上げて相手を下げるのと同じ。
ボール(=相手の心)は、スーッと遠ざかっていきます。

逆に、
「頑張っているのは相手、楽をしているのは自分」
と視点を変えてみると、相手の心は不思議と近づいてきます。
これは「へりくだれ」という話ではなく、案外これが事実だったりもするのです。

職場や家庭でも、この差ははっきり出ます。
自分の成果を誇るよりも、誰かの努力を立てて伝える人は、信用も人望も集まります。
「おかげさま」という感覚は、相手の自己肯定感を高め、自分のストレスを減らす最良の習慣です。

人間関係のシーソーを、相手側をそっと上げる方へ傾けてみる――
それだけで、周りとの距離感がぐっと楽になります。

格言
「相手を立てると、心の距離は自然と縮まる。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

親の言うことが聞けない理由

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

親の言うことが聞けない理由

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

 

「なんで親の言うことが聞けないの!」
このセリフ、子ども時代に耳にした人もいれば、親になって口にした人も多いだろう。

でも、そもそもなぜ「親の言うことは聞かなければならない」のだろうか。
世界には80億の価値観があり、人の意見は必ずしも正しいとは限らない。
ましてや、親だって間違えることはある。
「親だから正しい」という理由で無条件に従うことが、必ずしも理にかなっているわけではない。

特に、尊敬できないと感じる瞬間があるとき、子どもが従いにくくなるのは自然なことだ。

そんな質問を受けたとき、親の口から出やすいのは――
「誰のおかげでここまで大きくなったと思ってるんだ!」
確かに、親は経済的にも精神的にも多くを注いできた。
だが、子どもからすれば「頼んで生まれたわけじゃない」という本音が、喉元までこみあげることもある。
それを言えないもどかしさが、反抗的な態度や沈黙として現れるのだ。

ここで見落としがちなのは、感情の根っこにある“承認されない痛み”だ。
痛いときに「痛くない」と否定される。
悲しいときに「泣くな」と抑えられる。
そうした経験が積み重なり、「自分の感じたことは受け入れられない」という感覚が根づいてしまう。

親がどれだけ「育ててきた苦労」を語っても、子どもの胸に生きる喜びや感謝がなければ、その言葉は響かない。
大切なのはまず、相手の存在をそのまま受け止めること。
そこからしか、本当の意味で「親の言葉に耳を傾ける関係」は育たないのだ。

格言
「人は、受け止められたときにだけ、心を開く。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

「明日やる人」と「今日やる人」の分かれ道

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

「明日やる人」と「今日やる人」の分かれ道

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

 
「明日からやろう」と言ったその時、
たしかに、未来はあった。

けれど、「明日」には魔法がかかっていて、
いつも少しだけ遠くにいる。
追いかけても、追いかけても、
ほんとうの意味では、たどり着けない。

「明日から」は、やさしい言い訳の羽衣。
「今日はまだ本気じゃない」って思える余地があるから、
自分を守れる。
でもその一方で、何かを大切にする時間は、
少しずつ薄れていく。

たった1日の差?
いいえ、それは「0」と「1」の差。
「まだ始めてない」と
「もう始めた」の間には、
決意と行動の壁がそびえている。

100日続けた人がいる。
1日目から始めたからこそ、
100日目の景色が見えるようになった。

そのはじまりを
「明日」に置くのか
「今日」に置くのか。

未来は、
ほんの小さな選択の積み重ねで、
静かに分かれていく。

格言
「明日」は予定、「今日」は決意。
道を創るのは、たった今ここにある“1日目”。

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

感情を制する者は、人生を制す

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

感情を制する者は、人生を制す

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

 

感情を制する者は、人生を制す
「感情的になったら、試合は終わり。」

ある時、それを“人生の先を歩く人”から聞いた。
その瞬間、腑に落ちたような、少し苦しくなるような気持ちになった。

何かに腹が立ったとき。
悔しくて泣きたくなったとき。
少し成果が出て、思わず誇りたくなったとき。

そのすべての感情は、
たしかに“人間らしさ”かもしれないけれど、
同時に、“動揺”でもある。

感情をあらわにするということは、
その人の“器のふち”を見せるということでもある。

だから、
嬉しいときこそ静かに、
悔しいときこそ淡々と、
感情を燃やす場所は、内側にあればいい。

どこまでも冷静に、でも心は熱く。
そういう人が、結局は一番、強い。

感情を抑えるのではない。
“管理する”のだ。
波が来ても、ペースは崩さない。

それは、生まれ持った性格じゃなくて、
選び続けた“在り方”の積み重ね。

感情にのまれる人は、場面に呑まれる。
感情を選べる人は、場面を動かせる。

静かに燃える人ほど、
いつの間にか“芯の強さ”をまとうもの。

格言:
「感情を支配することは、自分を支配すること。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

子どもから「小さな表現の芽」を奪わないために

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

子どもから「小さな表現の芽」を奪わないために

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

 
「何を言いたいのかわからない」
「意見を聞かれても、何も浮かばない」

そんな声を、大人になった私たちは時折、耳にします。
でも、それは本当に“何もない”からでしょうか?

もしかすると、幼い頃から「言わないほうがいい空気」を感じ取ってきた結果かもしれません。

例えば、ケガをして泣く子どもに対して
「泣かないの」「痛くないでしょ」と言ってしまう場面。
大人にとっては励ましのつもりでも、
子どもの「感じた痛み」を否定してしまっている瞬間でもあるのです。

子どもが小さな勇気を出して「いやだ」と言ったとき、
「そんなこと言っちゃだめ」と制してしまう。

こうした“抑えつけ”が積もっていくと、
やがて子どもは「感じること」や「言葉にすること」を
自分の中でやめてしまいます。

でも、自分の気持ちを丁寧に感じて、表現できることこそが、人としての土台。
未来に向けて、創造力や思いやりの根になるのです。

泣きたいときは泣いてもいい。
話したいときは言葉を探していい。
そんな風に、ひとりひとりの表現の芽を、
静かに、そして力強く守っていきたいですね。

💬 今日の格言
「伝える力は、信じてもらえた経験から育つ。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

ホンモノの財か?

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

憶レベルを稼ごうと思わないのは何故か

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

巨額の売上。
名声。地位。力。
それを「やろうと思えばできる」と思える者こそ、
なぜ、あえてそれを求めないのか。
(「小規模企業」でという意味です)

それは単に、諦めや怠惰からくる選択ではない。
むしろ ―― 悟りに近い「選び方」なのだと思う。

ある僧は言った。
「火の中に金を探しに行く者よ、それを手にしたときには既に焼かれている」と。

富を掴みにいく手のひらは、
欲に焼かれ、
理想とした未来とは別の焦げ跡を残す。

もちろん、何かを築くことは尊い。
人を喜ばせる事業も、社会を潤す商いも美しい。
ただ、”それが自我の延長でしかないなら”、苦しみもまた比例する。

だからこそ、
仏教で言う「足るを知る」は、
あきらめではなく、選択の美学なのだ。

“欲望を満たす”ではなく、”魂を静める”方向へと向かうこと。
それができるのは、ほんのひと握りの人だけ。

「稼がない自由」を選ぶことは、
自分の心と、未来の静寂への最高の投資かもしれない。

格言:
欲の海に舟を浮かべるな。静かな岸辺に、ほんとうの財がある。

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

人生の過去に隠されていたもの

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

人生の過去に隠されていたもの

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

 
人生の過去に隠されていたもの
〜 それは未来の光と呼ばれていた 〜

人間万事、塞翁が馬。
何が幸せで、何が不幸かなんて、
人生の途中では誰にもわからない。

けれど、何かに傷ついた日、
何かを失った夜、
人は――ふと、昔の記憶を辿る。

あの道を思い出す。
幼い手をひかれて、母と歩いた夕暮れ。
あの時はまだ、すべてがわからずに、
ただ安心していた。

今、振り返ってみれば、
それは優しさに包まれていた時間だったと気づく。
そして、どれほど深い道を自分が歩いてきたのかを
ようやく理解する。

あの涙も、
あの迷いも、
忘れていた小さな笑い声も――

全部が、
今の「わたし」を作っていた。

そう思えたとき、
過去は過去ではなくなる。
それは未来を照らす、
静かな灯火になるのだ。

💫 今日の格言
「過去は、振り返るためにあるのではなく、“抱きしめるため”に存在する。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央