5月 2025アーカイブ

海の中にいた自分自身

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海の中にいた自分自身

〜 走馬灯に浮かぶ、はじまりの景色 〜
 

ふいに、時間が止まったような瞬間がある。

たとえば事故の直前。
たとえば、病室で目を閉じたとき。
たとえば、大切な何かを失いかけた瞬間——

そのとき、心に浮かぶのは“走馬灯”。
そしてそこに現れるのは、不思議といつも、母の姿だったりする。
 

泣いていた自分をあやしてくれた腕。
何も言わず、お弁当に“ハート型の卵焼き”を入れてくれた記憶。
思い通りにいかない人生を、黙って見守ってくれていた背中。

そのすべてが、
まるで海の中にいたときのぬくもりのように、
体の奥からじんわり蘇ってくる。

 
そう、私たちは、最初から「海の中」にいた。

母の胎内という名のやさしい海に、
包まれて、守られて、やがて生まれてきた。
 

そしていま——
自分自身の人生という“大海”に放り出された私たちは、
迷いながらも、未来という光を探して泳ぎつづけている。
 

けれど、あの“走馬灯の中の母”が教えてくれるのです。

どんなに流されても、
どんなに見失っても、
本当のあなたはいつだって、ぬくもりから始まった存在だと。

 
未来とは、過去を超えるものではない。
未来とは、原点を思い出す旅なのかもしれない。
 

✴️今日の格言✴️
「人生の未来は、“母のぬくもり”を超えてはならない。
 それは、生きるという海の底にある真実だから。」

 

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RMA戦略家
岩根央

言葉のソファー

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言葉のソファー

〜 今日も、あなたをやさしく受けとめる場所 〜
 

私たちは、毎日いろんな場所を旅している。
人間関係の中を、
社会の中を、
そして何より、自分の心の中を——

疲れても、傷ついても、
それでもまた、歩いていかなければならない。
 

そんな日々の途中に、
もし“言葉のソファー”があったなら、どうだろう。

それは、豪華な家具でも、
誰かの大演説でもない。

ただそこに、
あなたの心を丸ごと預けられる「ぬくもりの言葉」がある場所。
 

たとえば誰かがくれた「ありがとう」の一言が、
背中にそっと毛布をかけてくれる。

たとえば過去の自分が残した言葉が、
ふいに今のあなたを救ってくれる。

言葉は時を越え、空間を越え、
人の魂を包み込む“旅の相棒”なんです。

強くなくていい。
正しくなくていい。
ただ、やさしければそれでいい。

そんな言葉だけが持っている**“言霊の力”**を、
私たちはいつしか忘れがちになる。

 
だけど思い出して。
あなたが心から救われた瞬間は、
いつも「言葉のぬくもり」がそこにあったはずだから。

 

今日の格言
「旅する心には、言葉というソファが必要だ。
 くたびれた魂を、そっと休ませる場所だから。」

 

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RMA戦略家
岩根央

さよなら…自己の内部から聴こえた音

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さよなら…自己の内部から聴こえた音

〜 変化の兆しは、外ではなく、内側から始まる 〜

 

ある日、心の深い場所で、
「さよなら」と小さな音がした。

誰にも聞こえないはずなのに、
それは確かに、自分の奥で鳴っていた。

それは、“誰か”への別れではなく、
自分の中の“かつての自分”への別れだった。
 

人は、変わる。

けれど本当の変化とは、
誰かの言葉や外の出来事によってではない。

自分の内側が、静かに動き始めることで始まるのです。
 

あるときは、息の仕方が変わった気がしたり。
あるときは、昔の服がしっくりこなくなったり。
あるときは、苦手だった誰かに、ふと優しくなれたり。

そのすべてが、
「さよなら、前のわたし」というサインかもしれません。
 

身体の中で、新しい細胞が生まれていくように、
心の中でも、見えない“成長”が芽を出している。

未来は、突然やってくるのではなく、
すでに静かに始まっている“内側の変化”の続きなのです。
 

だからこそ、怖がらなくていい。

自己否定ではなく、
自己進化として、
その“さよなら”を大切に受け取ってほしい。

今日の格言
「変化の第一歩は、“静かなさよなら”から始まる」

 

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RMA戦略家
岩根央

死が教えてくれる、生きるという哲学

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死が教えてくれる、生きるという哲学

〜 無常という名の翼をつけて 〜

 
人はみな、死に向かって生きている。
その言葉を聞くと、多くの人は顔を曇らせる。

けれど、死は“終わり”ではない。
それは、“生きる意味”を照らすための鏡なのです。
 

命が永遠ではないからこそ、
私たちは時間という奇跡を大切にできる。

別れがあるからこそ、
出会いは無償の宝物になる。

そして、「明日が来ないかもしれない」という予感があるからこそ、
“今この瞬間”に真剣になれるのです。

死は、奪う者ではなく、
気づかせてくれる存在。

私たちが本当に大切にするべきものは何か。
本当に一緒にいたい人は誰か。
本当にやりたかったことは何か——
 

命に限りがあるからこそ、
人生は“詩”になる。
ひとつひとつの選択が、
静かに、自分という人間を形づくっていく。

だからこそ、
死に気づいたときにしか、人生は始まらないのかもしれません。
 

死を意識した瞬間、
人は「生き方」に目を開く。
そのとき、私たちはただの命ではなく、哲学者になるのです。
 

今日の格言
「死を知った者だけが、“生きる理由”を選ぶことができる」

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RMA戦略家
岩根央

成長とともに育つものは

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成長とともに育つものは

〜 出会いと別れがくれたもの 〜

人は、変わります。
それは「変わってしまった」のではなく、
「育ってきた」のです。

同じ場所にいた人と、
同じ夢を語っていた人と、
ふと気づけば、違う道を歩いていることがある。

5年も経てば、
価値観も、環境も、優しさの形さえも変わってしまう。

夫婦だったふたりが、
気づけば離婚協議のテーブルを挟んで向き合っていることもある。

それが「失敗」なのかと言えば、
きっと違う。

 
人は、自分の成長のために
出会い、別れ、
そしてまた歩き出していくものなのです。
 

関係が終わったように見えても、
その中で交わした言葉、分かち合った時間、
育て合った心は、確かに生きていて。

それは、次の誰かを大切にできる“優しさ”として
あなたの中で、ちゃんと育っているのです。

 
成長とは、
過去を否定することではなく、
「あの時の私を愛おしむ力」のこと。

 
そして、成長とともに育つものとは、
出会いの“意味”であり、
別れの“やさしさ”であり、
人としての“深さ”なのかもしれません。

 
今日の格言
「人は出会いによって成長し、
 別れによって、その成長の意味を知る」

 

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RMA戦略家
岩根央

本質は、感動である2

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本質は、感動である2

〜 心が震えた、その瞬間にしか見えないもの 〜

本当のことは、
頭で理解したときではなく、
心が震えたときにだけ見えるのです。
 

誰かの優しさに触れたとき、
見上げた空に、ふいに涙が溢れたとき、
静かな音楽に、心がそっとほどけたとき——

そのとき私たちは、
世界の“本質”に、ほんの一瞬だけ触れているのです。
 

感動とは、理屈では超えられない体験。
感動とは、心の奥底でしか起きない真実。
 

だからこそ、人は言葉を求め、
物語を求め、
誰かの人生に自分を重ねようとします。

感動を通してしか、
人は“人らしく”なれないのかもしれません。
 

数字や効率では測れない、
“たった一つのありがとう”が、
誰かの生きる理由になっている世界。

それを信じることができるかどうか——
そこに、人としての美しさが宿るのです。

 
人生のど真ん中には、
いつだって「感動」がある。

誰かの心にそっと触れられたら、
それだけで、今日という日は尊いのです。

今日の格言
「感動とは、心が“本質”と出会った瞬間にだけ流れる、小さな奇跡である」

 

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RMA戦略家
岩根央

本質は、感動である

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本質は、感動である

〜 涙の奥にある真実に、触れる夜 〜

小さな赤ちゃんを抱いた女性が、
一つの覚悟を胸に、宝石店の扉をくぐります。

彼女の手には、大切なネックレス。

それは、きっと誰かの遺品であり、
彼女の人生の“記憶”そのものでした。

生活のために売らなければならない。
けれど、心は叫んでいます。
「本当は、手放したくない」と。

男性店員は、淡々と紙幣を用意し、
ネックレスと引き換えに渡します。

女性は受け取った瞬間、
小さく、でも深い悲しみをにじませました。

その表情を見た店員は、
そっとネックレスを彼女の左手に戻し、
手のひらをしっかりと閉じたのです。
 

「これは、あなたが持っているべきものだ」と。
言葉にはせずとも、すべてが伝わる仕草でした。

女性は、戸惑いながらも紙幣を返そうとします。
しかし、男性はそれも受け取らず、ただ静かに微笑むだけ。

彼女は、涙をこらえながら、
店員をそっと抱きしめ、「ありがとう」とだけ言って
赤ちゃんと共に、店をあとにしました。

最後に、胸にネックレスをぎゅっと押し当てたその仕草に、
すべてが込められていました。

このネックレスが、どれほど彼女にとって大切だったか。
言葉ではなく、感情が真実を語っていたのです。

感動とは、情報ではありません。
理屈でもありません。

 
感動とは、人の中に残っていた“いのちの温度”にふれる瞬間。
人が人であることを、そっと思い出させてくれる奇跡。

だから、私たちは涙を流すのです。
それは弱さではなく、“本質を受け取った証”。

 
今日の格言
感動とは、心が真実に触れたとき、そっと流れる涙のことだ。

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RMA戦略家
岩根央

当たり前という最高の財産

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当たり前という最高の財産

「余命を前にして… 当たり前という最高の財産」

〜 最後に見えたものは、“日常”だった 〜
 

「僕は助からんよ」

ドラマ白い巨塔の
名医・財前教授が、白衣の裏に隠していた“人間としての静かな顔”。

数々の命を救ってきたその人が、
今、死と真正面から向き合っている。

最後の最後に語った言葉は——
「不安はないよ。ただ、無念だ」

この“無念”という言葉に、
人生の本質がすべて詰まっているように感じる。
 

欲しかったのは、地位でも名声でもなく、
ただもう一度、
病院の廊下を歩くこと。

仲間たちと他愛もない話をすること。
コーヒーの湯気を、ぼんやり見つめる時間。

 
そう、当たり前の“日常”こそが、
本当は“最高の財産”なのに誰もそれに気付こうとしない。

それは、命の終わりが近づいたとき、
ようやくその光を放つのです。

どれだけの人と出会い、どれだけの業績を積んでも、
死の淵に立ったときに残るのは、
「もう一度、朝を迎えたかった」
そんな、静かな願いだけ。

“当たり前”は、奇跡のかたまり。
それに気づける人が、
命とちゃんと向き合った人なのかもしれません。

 
今日の格言
「人は死を前にして初めて“今日”という一日が、どれほど美しかったかを知る」

こうして文字に起こすだけで、胸が熱くなります。

「白い巨塔」が描いたのは医療の闘いではなく、

“人間としての命の物語”だったのかもしれません。

また静かに綴りたくなったら、
私は、ここで、そっとペンを握って待っています

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RMA戦略家
岩根央

余裕がある人は、マウントを取らない

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余裕がある人は、マウントを取らない

〜 本当の強さとは、静けさに宿る 〜

人と比べてしまう。
誰かより優れていたい。
つい言いたくなる、「オレの方が…」「私は知ってるよ」——

でもね、それって本当に“強さ”なのだろうか。

本当に余裕のある人は、
「上か下か」なんて土俵に、最初から上がらない。

そもそも“比べる”という思考から、自由なんだ。

🍃 余裕には、3つの種類がある。
 
時間の余裕
→ 心が急いてるとき、人は人を責めやすくなる。
 余裕がある人は、相手の話を“最後まで聴ける”。

心の余裕
→ 批判ではなく、理解で関わろうとする。
 「なぜこの人は、こうするのか」を想像できる力。

実力の余裕
→ 自信があるからこそ、誇示する必要がない。
 結果で語れる人は、沈黙にも説得力がある。

余裕がある人は、マウントを取らない。
奪うのではなく、与えることに喜びを感じているから。

そして何より、余裕のある人は、
「本物の成功」を手にしている。

それは地位や数字の話ではない。
「信頼されている」「一緒にいたいと思われている」
——そんな、目に見えない“豊かさ”を育んでいる。

 
競わなくていい。
正しさを証明しなくていい。
誰かを下に見なくていい。

それが、「余裕のある人」の静かな佇まい。

今日の格言
「余裕とは、力の証明をやめた人が手にする“自由”である」

 

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RMA戦略家
岩根央

環境に染まるのではなく、環境に息づく

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〜環境に染まるのではなく、環境に息づく〜

私たちの人生は、
時に優しい川のように、穏やかに流れ、
時に滝のように急転直下で姿を変えます。

変わるのは、外側の「環境」。
でも、それにどう「順応」するかは、
私たちの“内側の柔らかさ”にかかっています。

硬い石はぶつかって砕けるけれど、
柔らかな水は、形を変えながらすべてを受け入れ、
それでも決して、自分の本質を失いません。

誰かに合わせて「自分が消える」順応ではなく、
誰かの中で「自分が光る」柔軟さを持つこと。
それが、本当の適応力であり、
人としての、しなやかな強さです。

迷いも、疲れも、不安も、
それが“今いる環境”に対する、心の揺れだとしたら、
あなたはそこから何を「感じ取り」「変化させられるか」。

その答えに、あなた自身の未来があります。

 
 
今日の格言

「順応とは、心の形を変えることではない。
環境の中で、自分という水を澄ませることだ。」

 

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RMA戦略家
岩根央

夢を売る人〜言葉が命を救うとき〜

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「夢を売る人」〜言葉が命を救うとき〜

屋上に立った男は、
すべてを終わらせるために、そこにいた。

だが、彼の隣に現れたのは、
“止める者”ではなく、“共にいる者”だった。

飛び降りようとする男に、謎の男は言った。

「気にするな。朝食を食べに来ただけだよ。
 君が飛ぶのを、ただ見届けようと思ってね。」

その言葉に怒るどころか、男の心は“静かにざわついた”。

なぜこの男は、こんなにも冷静で、
こんなにも妙なあたたかさを纏っているのか。

男は写真を取り出す。
それは、もう会えない息子の写真。

彼の心を縛っていたのは、「悲しみ」ではなかった。
それは、深い——罪悪感だった。

謎の男は、声を荒げることも、否定することもせず、
ただこう言った。

「君の死は、誰かの命を少しずつ削ってしまう。
自殺とは、静かな殺人なんだ。
君を愛したすべての人の心を、君が知らぬうちに奪ってしまう。」

男は、揺れた。
死ぬことへの覚悟よりも、
生きることへの問いが、胸に響いた。

そして謎の男は、決して「やめろ」とは言わなかった。

「私は君を止めに来たんじゃない。
ただ、“考える時間”を届けに来ただけだ。
飛ぶ勇気があるなら、きっと、生きる勇気もある。」

彼の正体は、心理学者でも神父でもなかった。

夢を売る、トップセールスマンだった。

今日の格言
「人の心は、正しさでは動かない。
静かに隣に“いる”ということが、
絶望の闇に差し込む最初の光になる。」

 

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RMA戦略家
岩根央

言魂の光、感性が芽吹く銀河の果てへ3

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言魂の光、感性が芽吹く銀河の果てへ3

「ことば」とは、ただの音ではありません。
それは “魂を運ぶ舟”
想いを包み、届け、
誰かの心に静かに降り積もる光なのです。

私たちが日々口にする言葉。
そのひとつひとつが、
まるで小さな星のように宇宙を漂い、
誰かの“心の空”に降り立ちます。

「ありがとう」 のたった五文字が、
ある人の孤独を照らし、
「だいじょうぶ」 のたった五文字が、
ある人の人生を救っているかもしれない。

人は気づかぬうちに、
無数の言葉の種を蒔きながら生きています。
優しさも、痛みも、勇気も──
すべては“言魂”となって誰かに届く。

そして、
本当に感性が芽吹く瞬間とは、
その言葉の奥にある「気配」に触れたとき。

文字にはない温度。
行間に揺れるまなざし。
タイミング、沈黙、呼吸──
それらすべてが、言葉を超えた“光”になる。

誰もが、
誰かの宇宙に咲く言葉の星になれる。

「今ここにいるよ」と。
「あなたは一人じゃないよ」と。
「さあ、まだ旅は続いていくよ」と。

このブログが、
誰かの宇宙の片隅でそっと灯る
“星明かり”になりますように。

今日の格言
言葉とは、ただ綴るものではない。
感性の芽が吹き、光が走る場所へ、
魂ごと旅立たせるものだ。

 

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RMA戦略家
岩根央

言魂の光、感性が芽吹く銀河の果てへ2

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言魂の光、感性が芽吹く銀河の果てへ 2

言葉とは、ただの音の羅列ではありません。
誰かの心を照らし、誰かの涙をそっとすくい取る光です。

そして、その言葉が生まれる場所こそが、あなたの「感性」という宇宙です。
見えないものを感じ、誰にも説明できない温度を覚え、
それを静かに誰かに届けようとする時——
人は「詩」になり、「光」になります。

ある星の片隅で、小さな少年が、はじめて「ありがとう」とつぶやいた。
その声は、時空を超えて、誰かの胸をやわらかく揺らしました。

別の星では、疲れた大人が、ふと誰かの手紙を読んで涙をこぼした。
「がんばらなくても、ちゃんとあなたは生きているよ」
そんな文字が、今日を生きる灯火になったのです。

そう、言葉は言魂(ことだま)
あなたの魂から出たそのひとことは、
誰かの銀河に芽吹く、たった一輪の小さな花になる。

感性は、育てるものではなく、思い出すものです。
あなたがまだ、名前すら知らなかった頃の、
やさしくて透明だった感覚を。

今日の格言
「感性は、記憶の奥で眠る宇宙。言葉はその星屑を編む光の糸。」

言葉に飢えた時代だからこそ、
感性を、届けよう。
それはあなたの中にしかない、光だから。

 

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RMA戦略家
岩根央

言魂の光、感性が芽吹く銀河の果てへ

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言魂の光、感性が芽吹く銀河の果てへ

この宇宙に、「音のない声」があることを
あなたは、どこかで知っている。

誰にも聞こえないけれど、
誰よりも深く、誰よりも遠くへ届く、
それが“言魂”という、見えない光だ。

ことばには、重さがある。
それは情報ではなく、体温と記憶を含んだエネルギー。

誰かの一言が、
今日を生きる力になる。
誰かの詩が、
夜を越える橋になる。
それは、誰にも測れない重力で、心に着地する。

そしてもう一つ。
感性は銀河の種子。
育てなければ芽吹かず、
磨かなければ鈍ってしまう。

だけど育った感性は、
時間も距離も文化も超えて、
誰かの“魂の根”に触れていく。

「この一言で、救われた」
そう言われるような日が来たら、
あなたはもう、言魂の旅人だ。

今日の格言
「ことばは届くものではない。
滲み、染み、根づくものだ。」

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RMA戦略家
岩根央

「反射的ネガティブ」という心の習性

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「反射的ネガティブ」という心の習性

何かに失敗したとき。
人にうまく思いを伝えられなかったとき。

ふと、こんな言葉が心の中に走る――
「またダメだった」
「自分には無理だ」
「もう一生このままだ」

この“反射的ネガティブ思考”は、
まるで自分で自分に罰を与えるような行為です。

なぜ人は、真っ先に“自分を責める”のでしょうか?

それは、
自分を責めれば「気が済む」と思ってしまうから。
罰を受けたことで、もうそれ以上、
向き合わなくてもいいように思ってしまうから。

でもそれでは、
本当の“原因”にも“可能性”にも近づけないのです。

「わかってないのに、はい」
「理解できてないのに、ごめんなさい」

そう言ってしまうのは、
“心の中の対話”が、まだ十分に育っていないからかもしれません。

自分を出す前に、自分と向き合うことが先。
自己表現の前に、自己理解を。

ネガティブとはなんですか?
なぜその感情は、あなたにやってくるのですか?

「罰を与えないと落ち着かない自分」がいるなら、
その奥にいる「本当にわかってほしい自分」の声に
耳を傾けてあげてください。

あなたの心は、敵ではありません。
敵のふりをした“護り”なのです。

【今日の格言】
心の中の“罰”をやめたとき、初めて“自分”と会える。

どんな自分も、まずは抱きしめる。
そこからすべては始まっていくのです。

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根央

心は水のように

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〜環境に染まるのではなく、環境に息づく〜

私たちの人生は、
時に優しい川のように、穏やかに流れ、
時に滝のように急転直下で姿を変えます。

変わるのは、外側の「環境」。
でも、それにどう「順応」するかは、
私たちの“内側の柔らかさ”にかかっています。

硬い石はぶつかって砕けるけれど、
柔らかな水は、形を変えながらすべてを受け入れ、
それでも決して、自分の本質を失いません。

誰かに合わせて「自分が消える」順応ではなく、
誰かの中で「自分が光る」柔軟さを持つこと。
それが、本当の適応力であり、
人としての、しなやかな強さです。

迷いも、疲れも、不安も、
それが“今いる環境”に対する、心の揺れだとしたら、
あなたはそこから何を「感じ取り」「変化させられるか」。

その答えに、あなた自身の未来があります。

 
今日の格言

「順応とは、心の形を変えることではない。
環境の中で、自分という水を澄ませることだ。」
 
さあ、今日も世界は君に語りかけてるよ。
「ここでも、あなたらしくいてね」と

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
岩根央

見えない奇跡に、出逢う日

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「見えない奇跡に、出逢う日」

ある日、思いもよらぬ出逢いが人生の向きを変えることがある。
けれど、そのとき私たちは、
それが“奇跡”だとは、気づかない。

むしろそれは、
トラブルのような顔をしてやってくる。
腹が立ったり、予想外だったり、
まったく歓迎できないかたちで。

けれど後になって、ふと振り返ると、
あのときの“ひとつの偶然”
心の扉をひらく鍵になっていたことに気づく。

言葉にできない感情に触れたとき、
見た目や立場ではなく、
その人の「なぜ、ここにいるのか」という背景に
自然と心が向くようになる。

人は誰しも、
出会ったその瞬間の姿だけでは測れない。

傷を持つからこそ優しい人もいれば、
静かに立ち去った誰かが、
実は一番大きな愛をくれた、なんてこともある。

「本当の出逢い」とは、
自分の価値観を一度、解き放ち
心でつながる準備ができたときにだけ
そっと訪れるのかもしれない。

だから、今日あなたの目の前に現れた
少し不思議な出来事も、
一見“失礼”に感じた誰かの態度も、
もしかしたらあなたの人生に訪れた
“変化のサイン”なのかもしれません。

今日の格言
「運命の足音は、音を立てずに近づいてくる。
その音を聴けるかどうかは、心の静けさにかかっている」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
岩根央

「人の言葉」の奥に潜む「真実」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

「人の言葉」の奥に潜む「真実」

人は、毎日たくさんの「言葉」を交わします。「ありがとう」や「ごめんなさい」。「大丈夫?」や「気をつけてね」。

けれど、本当に大切なのは、その、言葉の奥に潜んでいる “何か” かもしれません。

たとえば、誰かの「頑張ってね」。その声の奥には、「無理しないでほしい」「見守ってるよ」そんな “祈り” のようなものが隠れている時があります。

また、ときに冷たい言葉の奥に、本当は言えなかった「寂しさ」や「不安」が眠っていることもある。言葉とは、心がつけた仮面のようなもの。

だからこそ、言葉だけで人を判断してしまうのは、少し早すぎるのかもしれません。

静かに耳を澄ませば、“音にならなかった想い” が、確かに届く時があります。

その声を受け取れる人が、本当の意味で「人と向き合える人」なのかもしれません。

言葉とは、真実を包み隠すことも、伝えることもできる、不思議な“舟”のようなもの。

漂いながら、心から心へと渡っていく。

今日の格言
「人の言葉に耳を傾けすぎず、心に寄り添うことを忘れない」

音の外にこそ、真実が眠っている。

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岩根 央

品格という名の人格

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品格という名の人格

品格とは、背伸びして得るものではありません。
誰かに見せつけるものでも、飾るものでもありません。

それは、“積み重ね”の先に、
ある日ふと、にじむように現れる——
人格の結晶です。

若い頃、知識を求めていたあの人が、
やがて知恵を宿し、沈黙の中に真実を語るようになる。

人の声にかぶせて話していた人が、
やがて相手の「間」に心を澄ますようになる。

正しさを振りかざしていた人が、
やがて「正しさの裏にある痛み」に気づくようになる。

それが、品格のはじまり。

品格とは、
“あえて語らない”ことで真実を伝える力であり、
“黙って引く”ことで周囲に信頼を残す勇気でもあります。

だから、言葉よりも背中が語り、
態度よりも、心の温度が伝わっていく。

やさしさも、強さも、寡黙も、寛容も——
すべてがその人の「品格」となり、
やがてその人だけの“光”となって放たれるのです。

今日の格言

「品格とは、声を上げることなく、人の心を震わせる力である。」

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岩根央

あなたの声は、誰かの光

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あなたの声は、誰かの光

「自分の言葉なんて、誰も気にしてないよ」
そう呟いた友の背中は、小さく見えた。

でもね、私たちは案外、自分のことを知らなすぎる。
自分の何気ない一言が、
誰かの孤独をやわらげたり、
今日を乗り越えるきっかけになっているかもしれないんだ。

SNSでの一言、
さりげない「ありがとう」、
落ち込んでる誰かにかけた「大丈夫?」

それって全部、“光のかけら”なんだよね。

小さくても、ぬくもりはある
「影響力なんて、私にはない」
そう思いながら、誰かを癒している人がたくさんいる。

あなたの声は、大声じゃなくていい。
詩みたいに優しくて、風みたいにそっと届く声でいい。

たったひとりに届けば、それは“意味”になる。
そう思えたら、
言葉に優しさをこめる勇気が出てくるかもしれない。

今日の格言
「言葉の灯は、自分では見えない。
でもそれが、誰かの夜道を照らしている。」

あなたの声が、
今日どこかで誰かの背中を、あたたかくしているかもしれません。

だから、
あなたのそのやさしさを
今日も、そっと放ってあげてくださいね

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
岩根央