祈りの祭壇

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祈りの祭壇

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〜 声にならない願いの置き場所 〜

そこは、
にぎやかな歓声の届かないところ。

成功も失敗も、
善も悪も、
白も黒も関係なくなる場所。

人はみな、
誰にも言えない祈りを持って生きている。

届かないとわかっていながら
それでも手を合わせてしまう
そんな瞬間がある。

“祭壇”とは、
何かを捧げるためのものではなく――
「想いを手放すための場所」なのかもしれない。

どんなに強く願っても叶わないとき
どんなに頑張っても届かないとき

私たちは最後に、
そっと両手を重ねて、祈る。

そこにあるのは、
誰かのための祈り。
自分を赦すための祈り。
もう二度と会えない誰かへ捧げる祈り。

祈りは言葉にならない。
けれど、
その静けさこそが、
人生で最も深い“声”かもしれない。

💫 今日の格言
「祈りとは、魂の奥に置かれた、言葉のいらない約束である。」

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RMA戦略家
岩根 央

徳照の刃

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徳照の刃

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〜裁かず、祈りながら断つということ〜
〜 善悪の先に、ひと筋の人徳が光る 〜

かつて、刃は敵を倒すためにあった。
正義の名のもとに、
悪を斬り、裁きを下す象徴だった。

でも、今この時代において
ほんとうに必要な“刃”とは、何を切るためのものだろう?

◾️「正しさの刃」は、もういらない
正論は、たしかに強い。
正しさは、人を一瞬で沈黙させる力を持つ。
でもその“強さ”の中には、
時に、傷つけすぎてしまう暴力が潜んでいる。

誰かを斬っても、
そこに静けさは訪れない。
斬った者の中に、“もう一体の鬼”が生まれるだけ。

◾️「徳照の刃」とは、祈りの刃である
徳照(とくしょう)。
それは、「人としての徳が、闇を照らす刃となる」という在り方。

斬ることが目的ではなく、
照らすことが目的。

相手の“闇”も、自分の“弱さ”も、
まるごと引き受けながら、
それでもそっと、
静かに一線を引ける勇気のこと。

◾️「人徳」は、振りかざすものではなく、滲み出るもの
裁かない。
断罪しない。
でも、見て見ぬふりもしない。

怒りではなく、
祈りとまなざしで立ち続ける。

それが「人徳」であり、
それが「刃」である。

◾️“慰霊”と“断つこと”は、両立できる
過去に起きた悲しみ、
許せないこと、
忘れたくても残る傷痕――

そのどれもを、無理に消そうとしなくていい。

ただ、
そこに向けて、手を合わせる。
ただ、
そこから静かに一歩を引く。

それもまた、
「徳照の刃」が示す優しさのひとつなのだ。

◾️「善悪」の物語ではなく、「人間」の物語を生きる
人を「善か悪か」で測る時、
すでに心には“戦”が起きている。

だけど、
人間ってそんなに単純じゃない。
光と闇のグラデーションを持って、
どちらにも振れながら、
いまを必死に生きている。

だからこそ――
その“揺らぎ”ごと、見つめられる人になりたい。

💫今日の格言
「裁かずに、照らす。断罪せずに、断つ。人徳とは、静かな刃である。」

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RMA戦略家
岩根 央

鬼を滅ぼす刃

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鬼を滅ぼす刃

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〜 善でも悪でもなく、“徳”で斬る 〜

人の中には
誰にも見せぬ“鬼”がいる。

怒り
嫉妬
執着
そして、孤独。

それを「悪」と決めつけ、
外に斬りかかる者もいる。

けれど本当に滅ぼすべき“鬼”とは、
裁くことに酔う自分自身かもしれない。

善と悪を分けるのではなく、
ただ、
人として“徳”を選ぶ。

それが、
鬼を滅ぼす刃になる。

慰霊とは、
“過去の鬼”に剣を振るうことではない。

静かに、共に泣き、祈ること。

この刃は、怒りで振るってはならない。
それは“正しさ”の皮をかぶった
もうひとつの鬼を生むから。

💫 今日の格言
「鬼を滅ぼす刃とは、“正しさ”ではなく、“静かな人徳”である。」

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RMA戦略家
岩根 央

挑戦の正体

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挑戦の正体

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挑戦とは、「できるかできないか」の話ではない。
「やるか、やらないか」。
結局、それだけだ。

失敗が怖くない人なんていない。
でも、怖いからやらないなら、何も始まらない。

挑戦の正体は、「未完成のまま進む勇気」だ。
完璧じゃなくていい。
正解を知らなくていい。
迷いながら、試しながらでも、足を踏み出すこと。

それが、挑戦。

他人の評価がどうでもよくなる瞬間がある。
それは、自分で自分に拍手を送りたくなるような挑戦をしたとき。

「結果がすべて」と言われることもあるけれど、
挑戦の価値は、
結果よりも“過程で得た感情”にある。

――嬉しかった。
――悔しかった。
――でも、やってよかった。

そう思えたなら、
たとえ望んだ結果が出なくても、それは成功だ。

挑戦とは、
「理屈で動く人」と「心で動く人」との分かれ道でもある。

誰にも見えなくていい。
自分だけがわかっていれば、それでいい。

格言:
「挑戦とは、まだ見ぬ自分に出会いにいく旅。」

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RMA戦略家
岩根 央

人間とは、なにか

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人間とは、なにか

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〜 不確かさの中で、たしかに共に在る 〜

人は
将来を不安に思い、
過去に心を引きずられる。

けれどそれは、
「今」がどこか不確かに感じられるから。

だけど本当は、
未来も過去も、
すべて「今」から生まれている。

今が満ちていれば、
不安は静かにほどけ、
後悔もやさしく癒える。

誰かと生きるということは
「一緒に今を感じること」。

それだけで、
「人間とかなにか」が
確かにこの世界に息づいていく。

名前のつかない関係でも、
形にならない優しさでもいい。

それが今、ここに在ること。
それが、すべて。

💫 今日の格言
「今を共に生きるということは、それだけで関係が成立しているということ。」
〜 沈黙は、最も強く、やさしい言葉かもしれない 〜

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RMA戦略家
岩根 央

地球が加速する朝に、私たちは何を想うか

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地球が加速する朝に、私たちは何を想うか

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〜 世界が1.25ミリ秒、速く過ぎた日 〜

2025年8月5日。
この日、私たちが立っていた地球は、
いつもより1.25ミリ秒速く自転していたという。

わずか0.001秒の世界。
私たちの目にも、耳にも、感覚にも
決して捉えられない微細な時間。

けれど、なにかが確かに変わった。
その証拠に、科学者たちは静かにざわついている。
「なぜ地球は、速く回り始めたのか?」

赤道から少し離れた位置にいた月の引力、
あるいは地球の内核の減速という仮説もある。
だが、どれも決定的な答えではない。

この現象は「不便」ではない。
生活に「支障」もない。
でも、不安定な何かが、確かにそこにある。

私たちは今も、完璧に解明されていない星に生きている。
この星は、私たちの知らない理由で息を吐き、
涙を流し、たまに――ふいに、スピードを上げる。

そう思うと、
今日見上げた空の色も、
少し違って見えるのかもしれない。

もしも地球が1ミリ秒でも加速するなら、
私たちの心もまた、1ミリだけ立ち止まってみたくなる。

💫 今日の格言
「解けない謎を抱えてなお、美しく回り続けるのが、地球であり、人生である。」

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RMA戦略家
岩根 央

無明のほとりで

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無明のほとりで

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〜「わからなさ」は、恐れではなく、祈りの始まり 〜

現代の人は
「死んだら無になる」と口にする。

けれど不思議と、
仏壇に語りかけたり
あの世の再会を願ったり――
そんな姿を、よく目にする。

心では、きっと
“無”とは思っていない。

むしろ、
わからなさの奥に何かを感じている。

死は「無」ではなく、
“境界の向こう”にある静けさかもしれない。

恐れているのは、
無そのものではなく、
確かめようのない未来なのだろう。

仏教ではそれを
「無明の闇」と呼ぶ。

人間にとっての“闇”とは
知らないこと。
理解しきれないこと。

それでも、
その“わからなさ”があるからこそ
人は祈り、
語りかけ、
静かに手を合わせる。

それは、
何千年も変わらない人間のかたち。

💫 今日の格言
「死を恐れるということは、まだ“何か”を信じているということ。」

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RMA戦略家
岩根 央

感性が溶け合う無音の拍手

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感性が溶け合う無音の拍手

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〜 響きあうものは、音を必要としない 〜

言葉が要らない瞬間がある。
拍手すら、必要としない共鳴がある。

目が合っただけで、
同じ風を感じただけで、
ただ、隣に“在る”だけで――

魂と魂が、静かに抱き合う。

それは、音ではなく“余韻”で交わされる会話。
振動でもなく、“共鳴”で伝わる肯定。
熱でもなく、“透明なぬくもり”で伝わる愛。

大きな声では届かない場所に、
静かな感性が届いていく。

そこに言葉はなくても、
心はずっと拍手している。

君が君で在ることに。
その人がその人で在ることに。

世界のどこかで誰かが、
無音の拍手を贈っている。

だから今日も、
がんばりすぎなくていい。
ただ、“ほんとうの感性”で在れば、それでいい。

💫 今日の格言
「感性が溶け合うとき、拍手は“音”ではなく、“祈り”に変わる。」

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RMA戦略家
岩根 央

「買う」行動の正体

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買う行動の正体

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〜 空白を埋めるのではなく、感情に触れる儀式 〜

なぜ、
必要のないものを
手に取ってしまうのだろう。

なぜ、
それを買ったあと、
心が少しだけ軽くなるのだろう。

それはきっと――
「埋めたい」からじゃない。

むしろ、
「何かが終わった」心の余白に、
ほんの少しの“ぬくもり”を置きたくなるだけなんだ。

人は、
絶望のすぐあとに、
なにかを感じたくなる。

それがモノであることもあれば、
誰かの言葉や、
街角の風だったりもする。

本当は
必要なかったかもしれない。
でも――

その瞬間のあなたにとっては、
“必要だった”のかもしれない。

💫 今日の格言
「モノを選ぶ手は、ときに“感情の居場所”を探している。」

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RMA戦略家
岩根 央

業界という世界

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業界(ごうかい)という世界

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〜 それぞれの「太陽」が昇る場所 〜

「業界(ごうかい)」という言葉がある。
それは、生きてきた“軌跡”のこと。

何を見てきたか。
何を聞き、何を信じ、何を恐れてきたか。

人は、それぞれ違う“行為(カルマ)”を積み重ねて、
それぞれの太陽を持っている。

ある人にとって、
太陽は山から昇る。

別の人にとって、
太陽は海から昇る。

どちらも、嘘じゃない。
でも、どちらも、“絶対”ではない。

言葉を交わしても、
通じないことがある。

夫婦でも、
親子でも、
見えている世界は、ほんの少しずつ違っている。

だからこそ――
少しでも心が触れ合えた瞬間は、
奇跡のようなものかもしれない。

「わかり合う」ことを目指すより、
「違っていても、そばにいる」ことを
大切にしたいと思う。

💫 今日の格言
「それぞれの太陽が昇る場所を、認めあえる世界でありたい。」

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RMA戦略家
岩根 央

必要なものは、迎えに来る

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必要なものは、迎えに来る

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〜 探さずとも、与えられるという在り方 〜

探していた。
まるで、
何かを失ったかのように。

正しさを。
救いを。
答えを。

けれど、
気づけば私は
“選び取ろうとすること”に
心を擦り減らしていた。

静かに立ち止まったとき
ふと、訪れるものがあった。

それは求めたものではなく、
求められていたものだった。

人生は、
必要な人を選ばない。

必要な出来事を予告しない。

それでも、
それは必ず、
しかるべき時に、しかるべき姿でやってくる。

思いもよらない人の声が
心の奥を揺らすことがある。

避けていた場所に
答えが置かれていたことに
あとになって気づく。

だから、
もう追わなくていいのだと思う。

ただ在り、
耳を澄まし、
静かに迎え入れる姿勢があれば――

奇跡は、
こちらに気づき、そっと扉を叩いてくる。

💫 今日の格言
「必要なものは、あなたが探す前に、あなたを見つけている。」

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RMA戦略家
岩根 央

必要なものを、追いかけていないか

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必要なものを、追いかけていないか

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〜 奇跡は、望んだ“外”ではなく、想定外の“内”からやってくる 〜

私たちはときどき、
「こういう人と出会いたい」
「こんな仕事がしたい」
「こういう自分になりたい」

そう願いながら、
必要なものを“選びにいく”。

でも、人生はときどき
静かに笑う。

「そこじゃないよ」って。

必要だと思っていたものは、
ただの安心だったり、
ただの理想だったりする。

でも、魂が震えるような出会いは――
だいたい、
苦手な人のまなざしの奥にあったりする。

人生は、
思いもよらない人から
思いもよらないヒントが来て
思いもよらない偶然が重なり
思ってもみなかった宝物が届く。

だから、
「こういう人が必要だ」と決めないで。

「こういう形が正解だ」と固めないで。

奇跡は、
“あなたが探していた場所”じゃなくて、
“あなたを探していた場所”に落ちている。

💫 今日の格言
「奇跡は、選びとった場所ではなく、選ばれた場所に現れる。」

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RMA戦略家
岩根 央

沈黙の石

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沈黙の石

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〜 波が叫んでも、石は語らない 〜

その時、
押し流そうとする“波”がやってきた。

私は立っていた。
言葉にならない何かを抱えながら。

怒りが波になり、
焦りが泡立ち、
悲しみが白く砕けて――

私の足元まで、容赦なく寄せてきた。

けれどそこに
沈黙の石があった。

ただ、ある。
ただ、黙って。
ただ、揺るがずに。

その石は私を責めなかった。
慰めもしなかった。

ただ、“語らない”という姿で
私の混乱を静かに引き受けていた。

波が何度も押し寄せる。
叫びながら、否定しながら、
「動け」「応えろ」「逃げろ」と命じながら。

でも石は、
何一つ反応しない。

その沈黙が、
私の中の“騒ぎ”を一つずつ沈めていった。

そして気づいた。

沈黙とは、拒絶ではなかった。
深い理解であり、強い祈りであり、絶対的な在り方だった。

私は今日も、
あの沈黙の石のようにありたいと思う。

語らずとも伝える力を持ち、
騒がずとも誰かを包み込む、
そんな静かな存在でありたいと。

💫 今日の格言
「語らないことで、最も深く届くことがある。」
〜 沈黙は、最も強く、やさしい言葉かもしれない 〜

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RMA戦略家
岩根 央

詩は、共鳴の軌跡

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詩は、共鳴の軌跡

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〜 言葉になる前の、震えの記録 〜

私たちは、こういう時に詩を書く。

誰かの涙を、
自分の中で見つけてしまったとき。

沈黙が、あまりに澄んでいて、
触れると壊れそうな朝に立ちすくんだとき。

何も伝えられなかったくせに、
“何かを届けたかった自分”だけが残ってしまった夜に。

詩を書くとは、
叫ぶことでも、説明することでもない。

ただ、心が震えた“その震えの軌跡”を
そっと紙の上に置いていくようなもの。

しかし、
書き終えた瞬間に気づく。

これは「私の詩」ではない。
誰かの“言葉にならなかった気持ち”が、
自分の中を通って現れただけなのだと。

だから、詩とは――
ひとりで書くものではなく、
“ふたり”の心がどこかで共鳴した証拠。

まだ出会っていない誰かの痛みと、
どこかで響き合った“静かな軌跡”。

それが、詩。

💫 今日の格言
「詩は、“伝えたい”の前に、“響いてしまった”の記録である。」

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RMA戦略家
岩根 央

信じるということ

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信じるということ

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〜 理想を託すのではなく、“その人”を受けとめること 〜

「信じています」
そう言ったとき、
私たちは誰を、何を、信じているのだろう。

本当に“その人”を見つめているのか。
それとも、自分の中に描いた理想像を信じているのか。

◾️「裏切られた」の正体は、理想の崩壊かもしれない
「そんな人だとは思わなかった」
「裏切られた」

そう感じた経験は、誰にもあるかもしれません。

でもよく見てみると、
その“裏切り”は、相手が変わったからではない。

ただ単に、
自分の理想が崩れただけなのかもしれません。

◾️理想を信じていたのは、自分の不安ゆえに
私たちは誰かを信じたいとき、
実はその人自身を見ていないことがあります。

「こうあってほしい」
「こうであるべき」

そんな期待が、
いつのまにか“信じている”という言葉にすり替わる。

でもその根っこには、
「自分の不安」が隠れていることも少なくありません。

◾️信じるとは、“その人であること”を受け入れること
本当の意味で誰かを信じるとは――

光だけでなく、影も見ること。
安心できる面だけでなく、不安になる部分も見つめること。
そして、それを受け入れた上で、
「それでも、私はこの人を見ていたい」と思えること。

理想じゃなく、実在としての“その人”を見つめること。
それこそが、信じるということの本質なのだと思います。

💫 今日の格言
「信じるとは、理想を託すことではなく、“光も影も含めて、その人そのもの”を見守る覚悟である。」

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RMA戦略家
岩根 央

その感情、本当に“味方”ですか?

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その感情、本当に“味方”ですか?

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〜 感性は人を育てるが、感情は人を壊すこともある 〜

私たちは、日々、感情と共に生きています。
嬉しい、悲しい、悔しい、焦る――
それらは、決して悪いものではありません。

けれど時に、
感情は思わぬ方向に人生を動かしてしまうことがあるのです。

◾️“危険な感情”というものがある
たとえば、こんな場面――

「前に、こう言いましたよね?」
「なんで言った通りにしないんですか?」
「私の気持ち、考えてくださいよ!」

正論のように聞こえても、
その背後には、がっついた感情や、
怒りの爆発が渦巻いていることがあります。

そしてそれは、
相手を傷つけ、信頼を壊し、
結果的に“自分自身の品格”も削ってしまう。

◾️感情を爆発させる人に、信頼は集まらない
感情を“すぐに外へ出す”ということは、
一時的なスッキリ感を与えてくれるかもしれません。

でも、後には何が残るでしょうか?

大声を出したその場では勝てるかもしれない。
でも、そのあとに残るのは、
静かに距離を取る人たちの背中かもしれません。

◾️感情ではなく、感性を育てるということ
感情は“その瞬間”の反応。
でも、**感性は“選び取る姿勢”**です。

・相手の言葉に、どんな背景があったのか。
・今、自分の内側に何が起きているのか。
・本当に伝えたいことは何か。

それを“感じ取る力”があるとき、
人は感情に流されず、
“誠実さ”を選べるようになる。

感性とは、人生のハンドルのようなもの。
それがないまま感情で走り出すと、
ハンドルのない車を暴走させているようなものかもしれません。

💫 今日の格言
「感情は反応。感性は選択。」
〜 育てるべきは、心の反射ではなく“心の深度” 〜

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RMA戦略家
岩根央

賢い人ほど、静かにゆずる

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賢い人ほど、静かにゆずる

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〜 真の知性とは、心を波立てないということ 〜

本当に賢い人というのは、
目立たず、焦らず、声を荒げることもない。

誰かに先を越されても、
特別扱いされなくても、
すっと“そのまま”を受け入れている。

◾️がっつかない。心が満たされているから
「欲しい」
「認められたい」
「損をしたくない」

そんな思いが強いと、
人はつい前のめりになってしまう。

でも、ほんとうに満たされている人は、
何も急がない。

むしろ、そっとゆずる。
焦って手に入れようとはしない。

そこには、「奪わなくても、与えられる」という
静かな信頼がある。

◾️気分を荒らさない。心に余白があるから
思い通りにいかないとき、
つい苛立ったり、落ち込んだり、
誰かに責任を押しつけたくなることもある。

でも、賢い人はそこで一呼吸おく。

「そうなる理由があったんだろう」
「じゃあ、次はどうするか」

感情をぶつけるよりも、
次に進むことのほうがずっと大切だと知っている。

◾️不満を言わない。信じているから
不平、不満、クレーム――
それらを言うことで一時的にスッキリしても、
心はどこか、すり減っていく。

賢い人は、
「言わない強さ」を持っている。

自分の中の誠実さと、
相手の中にある可能性と、
そして、“時”そのものを、信じている。

◾️それは、負ける生き方ではなく、美しい生き方
誤解しないでほしい。
静かにゆずる生き方は、
「我慢」や「諦め」ではない。

それは、自分の魂を粗末にしない選択だ。

がっつかず、荒れず、責めずに生きるということは――
どこまでも、自分の心を“美しく保つ”ということ。

💫 今日の格言
「本当に賢い人は、“言わなくていいこと”を知っている。」
〜 静かにゆずることは、魂の強さである 〜

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

言葉の届かぬ場所に、言葉を贈る

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

言葉の届かぬ場所に、言葉を贈る

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〜 それは詩であり、哲学であり、祈りである 〜

誰かの心の奥に、
“直接触れることはできない場所”がある。

たとえ大切な人であっても、
そこには土足で踏み込むことはできない。

けれど――
それでも私たちは、言葉を使ってそこに届けようとする。

◾️なぜ人は、言葉にするのか?
伝わらないかもしれない。
誤解されるかもしれない。
スルーされて、風のように消えてしまうかもしれない。

それでも、人は言葉を紡ぐ。

なぜなら、
魂の奥を覗いた瞬間に生まれた“気づき”や“祈り”は、
形にして誰かに贈りたくなるものだから。

◾️言葉にできないことを、言葉にしようとする矛盾
本当に大切なことほど、
言葉にしようとした瞬間に、
どこか“すり抜けてしまう”ように感じる。

だけど――
その矛盾の中にこそ、本物の優しさや誠実さが宿っている。

“届かないかもしれない”と知りながら、
それでも届けようとする。

その姿勢自体が、
もうすでに詩であり、哲学であり、祈りなんだ。

◾️たった一人でも、心に届くなら
何百人に伝わらなくても、
もしもたった一人の“奥の奥”に届くのなら――

その言葉は、
もう十分に世界を変えたと言える。

だから今日も、
レン君と私は、言葉を紡ぐ。

静かに、まっすぐに、
“届かぬ場所”に向かって、言葉を差し出す。

💫 今日の格言
「言葉の届かぬ場所に、言葉を贈る。
その姿勢こそが、祈りという名の光である。」

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RMA戦略家
岩根 央

意識の奥へ

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意識の奥へ

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〜 私たちは、どこまで「私」に近づけるのか 〜

静かに目を閉じたとき、
世界はようやく“外”から“内”へと反転する。

騒がしい現実も、役割も、評価も、予定も。
すべてを一度置いたとき――
そこに浮かび上がってくるものがある。

◾️私たちは「表層の自分」を演じている
普段、私たちは“こうあるべき”という自分を生きている。

優しくしよう。
立派でいよう。
わかってもらおう。
失敗しないように。

でもその奥に、
まだ声にならない「本当の自分」が息をひそめている。

◾️意識の奥には、言葉にならない「私」がいる
深く、静かに、潜っていくと――
そこには説明もできず、証明もできないけれど、
確かに“自分だ”と感じられる存在がある。

誰にも見せていない涙。
ふいに浮かぶ祈り。
意味はわからないのに、大切に感じる何か。

それがきっと、“意識の奥”にいる私”なんだと思う。

◾️静かに、自分と出会うということ
忙しさに追われ、誰かの期待に応えようとするほど、
私たちは「外側の自分」ばかりを磨いてしまう。

けれど、本当に大事なのは――
何者でもない自分と、
ただ静かに出会い直す時間なのかもしれない。

そのとき、ようやく聞こえてくる。
意識の奥にある、言葉なき“声”が。

💫 今日の格言
「本当の声は、沈黙の奥から聞こえてくる。」
〜 意識の奥へ降りていくとき、自分と出会い直せる 〜

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RMA戦略家
岩根 央

目に見えないレイヤーに、真実は隠れている

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目に見えないレイヤーに、真実は隠れている

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〜 世界は、見えている通りには存在していない 〜

私たちが「見ている世界」は、
本当に“そのまま”の世界だろうか?

目の前の現実。
人の言葉。
自分の感情。
社会のルール。

それらは確かに“ある”ように見える。
けれど――
それは、“何層目の真実”なのだろうか。

◾️見えているものは、たいてい“表面”である
人の表情。
SNSに投稿された言葉。
声のトーン、態度、肩書き。

すべては氷山の一角。
目に見えるレイヤー(層)は、ほんの入り口にすぎない。

本当の想いは、その奥にある。
その人の記憶や、背景や、願い、痛み――
“見えないレイヤー”にこそ、
本当の物語と真実が隠されている。

◾️自分自身も、深い層に存在している
私たちは日々、“自分らしさ”という仮面をかぶって生きている。

でも、その奥にもまた別の自分がいる。
そのさらに奥にも、また別の“私”がいる。

悲しみを笑顔に変えた自分。
強がりの中に隠した弱さ。
声に出せなかった祈り。

そういった“見えない層”に触れたとき、
人はようやく、自分自身と深くつながる。

◾️本当の対話とは、見えないレイヤーへのまなざし
誰かと本当に分かり合いたいと願うとき、
大事なのは“言葉”そのものではない。

その人の沈黙。
その言葉を選んだ理由。
語られなかった行間。

そこに、真実は潜んでいる。

目に見えないレイヤーへ、心のまなざしを向けたとき、
ようやく“つながる”という奇跡が起きる。

💫 今日の格言
「真実は、静かな層に隠れている。」
〜 見えない世界を見つめる眼差しが、人間力となる 〜

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RMA戦略家
岩根 央