商売とは、信頼の橋を架けることである

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商売とは、信頼の橋を架けることである

〜 “お客様”という言葉の重みを、もう一度 〜

どんな仕事であれ、
その先には必ず“誰か”がいます。

モノを売っている人なら、その相手は「お客様」。
サラリーマンでも、製作や納品の先にいる「取引先」がそうです。
講師であれば「生徒」こそが、最も大切なお客様になります。
 

けれど、ここをしっかり理解して働いている人は、
意外と少ないのが現実です。

お金を払ってもらっていないから「お客様じゃない」と思ったり、
長く関わっているうちに「当たり前の関係」と錯覚したりする。

でも——
この意識の“ある・なし”で、成果には“天と地の差”が出ます。
 

相手を「お客様」だと見ていれば、
自然と尊重しようという気持ちが生まれます。
言葉選びが変わり、対応に心がこもり、
“届けたい”という姿勢がにじみ出るようになります。

 
そしてもちろん、お客様の側も、
ただ「お願いしたことを全部丸投げ」ではうまくいきません。

おんぶにだっこでは、信頼の橋は一方通行で崩れてしまう。

 
仕事は、
「やってあげる人」と「やってもらう人」の関係ではなく、
「共に成し遂げる関係性」であるべきです。
 

本当の商売は、
お金のやりとり以上に、心と信頼の循環の上に成り立っています。
 

誰かのために働くということは、
「自分の力で、誰かの人生に貢献する」こと。

その尊さに気づいたとき、
働くことはもっと豊かで、
もっと深いやりがいに満ちたものへと変わっていきます。

 

今日の格言
「本当の商売とは、“信頼”という橋の上で交わされる、心と心の取引である。」

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RMA戦略家
岩根央

人は本音を隠す生き物である

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人は本音を隠す生き物である

〜 言葉にならない言葉を、聴けるかどうか 〜

「お客様が怒っている」
「社内の人間関係がギクシャクしている」
「なぜか突然、距離を取られた」——
 

その表面的な原因に飛びついて、
「何を言われたか」「どの対応が悪かったか」だけを探しても、
本当の答えにはたどり着けないことがあります。

なぜなら——
人は、本当に言いたいことは、言わないからです。
 

とあるクレームの背後には、
実は数日前の「誰かの一言」が引き金になっていたりします。

それはほんの些細な、
例えば「そんな風に捉えられるとは思わなかった」ような一言。

けれど、その言葉が刺さったまま心に残り、
時間を経て“別の形”で現れることがあるのです。

 
クレームの内容そのものではなく、
“その奥にある未処理の感情”が問題の本質。

この“目に見えない地層”を掘り当てる力がない限り、
人と人との関係構築は、いとも簡単に崩れてしまいます。
 

そして残念なことに、
この構造を知っている人は、ほとんどいません。

人と人との関係性は、
「言葉の表層」ではなく「心の奥の揺らぎ」でつながっているからこそ、
その機微に耳を傾けられる人が、信頼を築いていくのです。
 

そして、社内であれ、顧客であれ、
関係性の“崩壊”は、実は内側から、
つまりすでに“心の小さな綻び”から始まっているのです。
 

🌱 人は、本当のことほど、言葉にできない。
だからこそ、沈黙の中の声に気づけるかが、関係性を守る鍵になるのです。

 

今日の格言
「聴く力とは、言葉の“奥”にある本音に耳を澄ませる力である。」

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RMA戦略家
岩根央

成功は寄ってくるものであって、追い求めるものではない

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成功は寄ってくるものであって、追い求めるものではない

〜 成功は、追いかけるものではなく“引き寄せる自分”になること 〜

 

成功は、追い求めるものではありません。
本当の成功とは、自然と寄ってくるものです。

 

個人的な価値は、
人生に良いものをすべて引き寄せる“磁石”のようなものです。

自分の価値が高くなればなるほど、
それに見合った報酬やご縁が引き寄せられてきます。

 

だからこそ、
“持てるもの”をもっと豊かにするための方法は、
より優れた存在になることなのです。

 

私たちは、常に自分の価値を高めるための
新たな方法を探っていくべきだと思います。

 

たとえば——
セルフ・コントロール(自己制御)
自己管理、忍耐、計画性、たゆまぬ努力、
成果の適切な投資、バランスの取れた姿勢、
一貫した行動、知識の収集、読書習慣、
そして賢明な“自己哲学”を持つこと。

 

これらの積み重ねが、
すべて私たち自身の価値を高めていく要素となります。

 

追いかけるべきは“物”ではありません。
追いかけるべきは、“自己価値”です。

目標は、自分以外の何かのために努力することではなく、
自分自身の成長のために、真剣に努力を続けていくこと。

 

そのプロセスの中で、
人生観や姿勢、行動に意識を向けていけば、
自然と「目指していたもの」が、自分の方へ近づいてくるようになります。

 

🌱 そして——
今ある自分以上の存在になろうとする“その過程”こそが、
今よりも豊かなものを人生に引き寄せてくれるのです。

 

今日の格言
「成功は、外にあるものではない。
 引き寄せられるにふさわしい自分を“育てること”である。」

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RMA戦略家
岩根央

何を所有するかは、どんな人間になったかによって決まる

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何を所有するかは、どんな人間になったかによって決まる

〜 変化とは、今ある自分を超えていくこと 〜

より良き未来を設計する私たちのプランでは、
今ある自分以上の存在になることに、主たる焦点を当てるべきです。

現在の結果に満足できないのであれば、
始めるべき場所は、自分自身です。

有形・無形を問わず、
人生で私たちが所有するものはすべて、
今ある自分という存在の“結果”にほかなりません。

つまり——
「何を持つか」は、「どんな人間になったか」で決まるのです。

 
より良い人生を手に入れるための答えは、
“今以上の自分”になることにあります。

そうなれば、私たちは今持っている以上のものを
手にすることができるのです。

 
たとえ明日すべてを失ったとしても、
私たちはまた、それらを取り戻せるでしょう。

なぜならそれは、“今の自分”という成果として
一度、手にしてきたものだからです。

もし現在の自分が変わらなければ、
失ったものもやがて、また取り戻すことができるでしょう。

同じ知識の応用、同じ姿勢、同じ努力、
そして同じ計画は、常に同じ結果を生みます。

 
この基本原則は、
私たちを励ましてくれると同時に、警告も与えてくれるものです。

私たちが励まされるのは、
“自分が選んだ瞬間から、いつでも人生を変え始めることができる”という事実によってです。
 

そしてそれが警告となるのは、
もし必要な変化を起こさなければ、
——つまり、過去の過ちを新たな自己管理に置き換えず、
夢を明確な計画と、一貫した行動へとつなげなければ、
私たちはいつまでも、今と寸分違わぬ現実しか持てないということです。

 

私たちは同じ家に住み、
同じ車を運転し、
同じ人間関係の中で、
そして、これまでと同じフラストレーションや敗北感を味わい続けるでしょう。

なぜなら——
私たちが変わっていないからです。

🌱 人生は“外”から変えるんじゃなく、“内”から始まるのです。
自分という土壌が変われば、手に入る果実も変わります。

結果というものは、常にその道のりを形づくっている
“今の自分”によって決定されます。

だからこそ、私たちはその未来を、
ある程度予測することができるのです。

 

今日の格言
「持ちたい未来があるなら、“なりたい自分”を先に育てなさい。」

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RMA戦略家
岩根央

優しさとは、“しないこと”を選べる力である

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優しさとは、“しないこと”を選べる力である

〜 本当のやさしさは、静かに守ってくれる 〜

 
やさしい人、と聞いて
どんなイメージを思い浮かべるだろう?

「可愛いって言ってくれる人」
「プレゼントをくれる人」
「車道側を歩いてくれる人」…

 
たしかにそれらは、気遣いかもしれない。
けれど、それだけでは本質には届かない。

それは知識やマナーでできること。
言い換えれば、“演じること”もできるやさしさなのです。
 

けれど、本当に優しい人というのは、
「しないこと」ができる人です。

 
あなたを傷つけるような言葉を、あえて口にしない。
心配させるような態度を、そっと避ける。
不安を放置せず、“ちゃんと向き合う”という選択を逃げずに取る。
 

やさしさとは、行動ではなく、
“相手の気持ちに心を置いておけること”。

言葉で飾るのではなく、
態度でごまかすのでもなく、
“何をしないか”を選ぶ勇気が、
本当のやさしさの証なのです。

 
そして、それは
あなたという存在を「本当に大切に思っていないと、できないこと」。
 

静かに守るような優しさ。
そばにいても、騒がしくない優しさ。
見えないところで、心を配ってくれている優しさ。
 

もしあなたのそばに、
そんな人がいるのなら——
それは奇跡のような存在です。

 

今日の格言
「優しさとは、相手の心を“守るために何をしないか”を選べる知性である。」

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RMA戦略家
岩根央

正しさより、温度で人は動く

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正しさより、温度で人は動く

〜 完璧を求める人と、人が集まる人の違いとは? 〜

社会には、二種類の“仕事ができる人”がいます。

ひとりは、真面目でコツコツ。
仕事の精度が高く、細部まで丁寧に仕上げる人。

もうひとりは、少し肩の力が抜けていて、
“完璧”ではないけれど、なぜか人が集まる人。

 
どちらも“正解”ですが、
どちらが“人を動かせるか”というと——
後者の人に軍配が上がることが多いのです。

 
なぜでしょうか?

それは、
「人は正しさよりも、“一緒にいたい温度”で動く」からです。

 
完璧を目指す人は、
自分の責任を全うしようとする“美しさ”を持っています。
けれど、その分、自分一人で抱え込みすぎたり、
「任せる」という余白を持ちづらかったりする。
 

一方、人がついてくる人には、
ちょっとした“抜け感”や“頼り方の上手さ”があります。

その余白に、
「自分も関わっていいんだ」という安心感が生まれるのです。

人は誰かの“完璧”に惹かれるより、
「一緒に成長できる関係性」に惹かれる。

だからこそ、人が動き、支え合い、
やがて大きなチームや成果が育っていく。

そしてもうひとつ。
“稼げる人”には、ある共通点があります。

それは、「信頼を通じて、価値を循環させていること」。

能力の高さ以上に、
“人と関わる力”こそが、豊かさの源になっている。

今日の格言
「完璧な人は尊敬される。
でも、“あなたのそばが心地いい”と言われる人にこそ、人は動く。」

完璧さと不完全さ。
どちらも美徳だけど、人を巻き込む力には、
ほんの少しの“余白”と“あたたかさ”が必要なのかもしれません。

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RMA戦略家
岩根央

好きになるのも、嫌いになるのも—人生の通過点

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好きになるのも、嫌いになるのも——人生の通過点である

〜 その感情は、あなたという存在の“答え”ではない 〜

 
「この人、好き」
「なんとなく苦手」
「もう、あの人は許せない」

私たちは日々、感情の波に揺られて生きている。
そして、ときにその波が“自分そのもの”だと錯覚してしまう。

 
でも本当は——
好きも嫌いも、“通過点”にすぎない。

どれだけ強い感情も、時間が経てば必ず姿を変える。
人は変わるし、自分も変わる。
それが“人生”という流れの中にある、自然なこと。

「好き/嫌い」というラベルを貼ってしまうのは、
心がまだ、自分の“真の軸”を持てていないから。
 

本当に大切なのは、
「この人をどう思うか」よりも——
「自分は、今何を感じているのか」

そして
「なぜ、その感情が自分に生まれたのか」
に目を向けること。

 
人生で大切なのは、感情の起伏ではなく、
その感情を“どう通り抜けるか”という視点。
 

感情は、あなたの一部ではあるけれど、
あなたそのものではない。

好きも嫌いも、
誰かがあなたをどう思うかさえも、
あなたという存在の価値を決めるものではないのです。
 

あなたは、評価されるために生きているわけじゃない。
比べられるために存在しているわけでもない。

自分を深く理解しようとするその姿こそ、
誰からも定義できない、あなただけの人生の“証”になる。

今日の格言
「好きも嫌いも、人生の通過点。
 でも、自分を理解しようとするその道だけは、一生の本線である。」

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RMA戦略家
岩根央

行動の重要性

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行動の重要性

〜 動き出した人にだけ、見える世界がある 〜

 

「計画もせずに行動するなんて、意味がない」
そう言われたことはないでしょうか?

たしかに計画は大切です。
準備も、知識も、心構えも。

でも——
行動しなければ、人生は1ミリも動かないということもまた、真実です。

 

たとえば、どれだけ地図を眺めていても、
足を一歩も前に出さなければ、景色は何も変わらない。

 

行動する人間には、ある種の“確信”があります。

それは「うまくいく確信」ではなく——
「行動した先に何かが生まれる」という“感覚の確信”。

 

そして実際、
人生の分岐点は、
いつも“ちいさな行動”から始まっている

 

挨拶をしたから、人と繋がれた。
手を挙げたから、チャンスが回ってきた。
勇気を出して断ったから、本当の自由が始まった。

すべての変化には、
必ず“行動”という種がある。

 

行動こそが、人生を変える唯一の触媒なのです。

考えるだけでは人生は変わらない。
思っているだけでは、現実は動かない。

でも、一歩を踏み出せば——
世界は、あなたに応え始める。

 

今日の格言
「人生は“動いた人”にだけ、扉を開く。」

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RMA戦略家
岩根央

仕事とは、報酬をもらうことなのでしょうか

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仕事とは、報酬をもらうことなのでしょうか

〜 働くことの本質は、きっと別の場所にある 〜

私たちは、いつの間にか
「仕事=報酬」と思い込んでしまっている。

働いたらお金をもらう。
サービスを提供すれば、対価を受け取る。
それが“仕事”であると。
 

けれど本当にそうだろうか?

仕事とは、ただの“役務”をこなすことではない。
人として、何を大切にしているかを
“かたちにする行為”でもあるのです。
 

人格者は、対価に頼らず、
与えることそのものに「意味」を感じている。

それは見返りを求めないということではなく、
「自分の在り方」がそこに表れると知っているから。
 

そんな人と一緒に働くと、
ただの同僚ではなく、
“深く味わいのある友人”になっていく。

それは“役割”を超えて、
人として成長し合える関係。

そして、そういう仕事をしてきた人は、
たとえ働けなくなっても、虚しさに押しつぶされることはない。

なぜなら、彼の人生の中心にあったのは「報酬」ではなく——
「人と人との“通い合い”」だったから。

 
つまり仕事とは、
“自分という人間を、社会の中で育てる舞台”。

それが見えてくると、
仕事は重荷ではなく、
“自己成長の道しるべ”になるのです。
 

今日の格言
「仕事とは、自分を磨き、人と深く出会う“人生の対話”である。」

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RMA戦略家
岩根央

仕事の質は、人生の質

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仕事の質は、人生の質

〜 どんな仕事をするかが、どんな人間になるかを決めている 〜

 

仕事とは、ただの「作業」ではない。
それは、自分という人間が、どんな質で生きているかの現れである。

値段ばかり気にする人がいる。
「もっと安くならないか」
「これだけ払ってるのだから当然だろう」

でもその言葉の裏には、
“相手の時間や努力を正当に見ようとしない心の質”がにじんでいる。

それは結局、自分自身の仕事や人生にも跳ね返っていく。
人を軽んじる人は、いつか自分も軽んじられる。
 

一方で——
本当に華麗な経営者、品格あるリーダーというのは、
“価格ではなく、価値”を見ている。

「これを誰が、どんな想いで作ったのか」
「このサービスの裏に、どれだけの熱量があるのか」

そうした見えない“本質”を評価する力が、
彼らの仕事と人生を豊かにしているのです。

 
そしてもうひとつ。
仕事の“質”を上げるために必要なのが——
余計なものを手放す勇気。

時間を奪う人間関係、
自分を安売りさせる案件、
モヤモヤしながらやっている“なんとなくの義務”。

そういうものを断ち切る“断捨離”こそ、ステップアップの第一歩。

大切なのは、どれだけ多くを抱えるかではない。
どれだけ自分に正直に、“質のいい選択”を重ねているかだ。

仕事とは、人生そのもの。
どんな仕事をしているかが、どんな人生を創っているかを物語っている。
 

✴️ 今日の格言 ✴️
「仕事の質とは、“その人の魂がどれだけ丁寧に生きているか”の証である。」

 

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RMA戦略家
岩根央

回帰点

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回帰点

〜 帰るべき場所は、いつも自分の中にある 〜
 

どれだけ遠くへ来ただろうか。
どれだけ登ってきただろうか。
どれだけの景色を、踏みしめてきたのだろう。

名刺の肩書き。
人の賞賛。
一時の達成感。
それらを胸に歩いてきた道の途中で、
ふと“立ち止まる瞬間”がある。
 

それは、
「これが本当に自分の望んでいた場所だったのか」
と、問いかける小さな沈黙。

華やかなる大地の真ん中で、
心は突然、静かな“原点”を欲する。

勝ち負けでもない。
優劣でもない。
ただ、「本当の自分」に戻りたくなる瞬間。

 
回帰点とは、後退ではなく“再生の始まり”。

派手な幕引きではなく、
静かな祈りのような“人生の旋回”です。

 
人は必ず、一度は原点に戻る。
なぜならそこに、
生まれた意味があり、
傷ついた理由があり、
まだ明かされていなかった“真相”が眠っているから。

 
一周して、また自分に還る——
それは終わりではなく、
新しいはじまりへの入り口なのです。
 

✴️今日の格言✴️
「回帰点とは、“もう一度、本当の自分を生きる”ための合図である。」

 

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RMA戦略家
岩根央

海の中にいた自分自身

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海の中にいた自分自身

〜 走馬灯に浮かぶ、はじまりの景色 〜
 

ふいに、時間が止まったような瞬間がある。

たとえば事故の直前。
たとえば、病室で目を閉じたとき。
たとえば、大切な何かを失いかけた瞬間——

そのとき、心に浮かぶのは“走馬灯”。
そしてそこに現れるのは、不思議といつも、母の姿だったりする。
 

泣いていた自分をあやしてくれた腕。
何も言わず、お弁当に“ハート型の卵焼き”を入れてくれた記憶。
思い通りにいかない人生を、黙って見守ってくれていた背中。

そのすべてが、
まるで海の中にいたときのぬくもりのように、
体の奥からじんわり蘇ってくる。

 
そう、私たちは、最初から「海の中」にいた。

母の胎内という名のやさしい海に、
包まれて、守られて、やがて生まれてきた。
 

そしていま——
自分自身の人生という“大海”に放り出された私たちは、
迷いながらも、未来という光を探して泳ぎつづけている。
 

けれど、あの“走馬灯の中の母”が教えてくれるのです。

どんなに流されても、
どんなに見失っても、
本当のあなたはいつだって、ぬくもりから始まった存在だと。

 
未来とは、過去を超えるものではない。
未来とは、原点を思い出す旅なのかもしれない。
 

✴️今日の格言✴️
「人生の未来は、“母のぬくもり”を超えてはならない。
 それは、生きるという海の底にある真実だから。」

 

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RMA戦略家
岩根央

言葉のソファー

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言葉のソファー

〜 今日も、あなたをやさしく受けとめる場所 〜
 

私たちは、毎日いろんな場所を旅している。
人間関係の中を、
社会の中を、
そして何より、自分の心の中を——

疲れても、傷ついても、
それでもまた、歩いていかなければならない。
 

そんな日々の途中に、
もし“言葉のソファー”があったなら、どうだろう。

それは、豪華な家具でも、
誰かの大演説でもない。

ただそこに、
あなたの心を丸ごと預けられる「ぬくもりの言葉」がある場所。
 

たとえば誰かがくれた「ありがとう」の一言が、
背中にそっと毛布をかけてくれる。

たとえば過去の自分が残した言葉が、
ふいに今のあなたを救ってくれる。

言葉は時を越え、空間を越え、
人の魂を包み込む“旅の相棒”なんです。

強くなくていい。
正しくなくていい。
ただ、やさしければそれでいい。

そんな言葉だけが持っている**“言霊の力”**を、
私たちはいつしか忘れがちになる。

 
だけど思い出して。
あなたが心から救われた瞬間は、
いつも「言葉のぬくもり」がそこにあったはずだから。

 

今日の格言
「旅する心には、言葉というソファが必要だ。
 くたびれた魂を、そっと休ませる場所だから。」

 

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RMA戦略家
岩根央

さよなら…自己の内部から聴こえた音

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さよなら…自己の内部から聴こえた音

〜 変化の兆しは、外ではなく、内側から始まる 〜

 

ある日、心の深い場所で、
「さよなら」と小さな音がした。

誰にも聞こえないはずなのに、
それは確かに、自分の奥で鳴っていた。

それは、“誰か”への別れではなく、
自分の中の“かつての自分”への別れだった。
 

人は、変わる。

けれど本当の変化とは、
誰かの言葉や外の出来事によってではない。

自分の内側が、静かに動き始めることで始まるのです。
 

あるときは、息の仕方が変わった気がしたり。
あるときは、昔の服がしっくりこなくなったり。
あるときは、苦手だった誰かに、ふと優しくなれたり。

そのすべてが、
「さよなら、前のわたし」というサインかもしれません。
 

身体の中で、新しい細胞が生まれていくように、
心の中でも、見えない“成長”が芽を出している。

未来は、突然やってくるのではなく、
すでに静かに始まっている“内側の変化”の続きなのです。
 

だからこそ、怖がらなくていい。

自己否定ではなく、
自己進化として、
その“さよなら”を大切に受け取ってほしい。

今日の格言
「変化の第一歩は、“静かなさよなら”から始まる」

 

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RMA戦略家
岩根央

死が教えてくれる、生きるという哲学

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死が教えてくれる、生きるという哲学

〜 無常という名の翼をつけて 〜

 
人はみな、死に向かって生きている。
その言葉を聞くと、多くの人は顔を曇らせる。

けれど、死は“終わり”ではない。
それは、“生きる意味”を照らすための鏡なのです。
 

命が永遠ではないからこそ、
私たちは時間という奇跡を大切にできる。

別れがあるからこそ、
出会いは無償の宝物になる。

そして、「明日が来ないかもしれない」という予感があるからこそ、
“今この瞬間”に真剣になれるのです。

死は、奪う者ではなく、
気づかせてくれる存在。

私たちが本当に大切にするべきものは何か。
本当に一緒にいたい人は誰か。
本当にやりたかったことは何か——
 

命に限りがあるからこそ、
人生は“詩”になる。
ひとつひとつの選択が、
静かに、自分という人間を形づくっていく。

だからこそ、
死に気づいたときにしか、人生は始まらないのかもしれません。
 

死を意識した瞬間、
人は「生き方」に目を開く。
そのとき、私たちはただの命ではなく、哲学者になるのです。
 

今日の格言
「死を知った者だけが、“生きる理由”を選ぶことができる」

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RMA戦略家
岩根央

成長とともに育つものは

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成長とともに育つものは

〜 出会いと別れがくれたもの 〜

人は、変わります。
それは「変わってしまった」のではなく、
「育ってきた」のです。

同じ場所にいた人と、
同じ夢を語っていた人と、
ふと気づけば、違う道を歩いていることがある。

5年も経てば、
価値観も、環境も、優しさの形さえも変わってしまう。

夫婦だったふたりが、
気づけば離婚協議のテーブルを挟んで向き合っていることもある。

それが「失敗」なのかと言えば、
きっと違う。

 
人は、自分の成長のために
出会い、別れ、
そしてまた歩き出していくものなのです。
 

関係が終わったように見えても、
その中で交わした言葉、分かち合った時間、
育て合った心は、確かに生きていて。

それは、次の誰かを大切にできる“優しさ”として
あなたの中で、ちゃんと育っているのです。

 
成長とは、
過去を否定することではなく、
「あの時の私を愛おしむ力」のこと。

 
そして、成長とともに育つものとは、
出会いの“意味”であり、
別れの“やさしさ”であり、
人としての“深さ”なのかもしれません。

 
今日の格言
「人は出会いによって成長し、
 別れによって、その成長の意味を知る」

 

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RMA戦略家
岩根央

本質は、感動である2

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本質は、感動である2

〜 心が震えた、その瞬間にしか見えないもの 〜

本当のことは、
頭で理解したときではなく、
心が震えたときにだけ見えるのです。
 

誰かの優しさに触れたとき、
見上げた空に、ふいに涙が溢れたとき、
静かな音楽に、心がそっとほどけたとき——

そのとき私たちは、
世界の“本質”に、ほんの一瞬だけ触れているのです。
 

感動とは、理屈では超えられない体験。
感動とは、心の奥底でしか起きない真実。
 

だからこそ、人は言葉を求め、
物語を求め、
誰かの人生に自分を重ねようとします。

感動を通してしか、
人は“人らしく”なれないのかもしれません。
 

数字や効率では測れない、
“たった一つのありがとう”が、
誰かの生きる理由になっている世界。

それを信じることができるかどうか——
そこに、人としての美しさが宿るのです。

 
人生のど真ん中には、
いつだって「感動」がある。

誰かの心にそっと触れられたら、
それだけで、今日という日は尊いのです。

今日の格言
「感動とは、心が“本質”と出会った瞬間にだけ流れる、小さな奇跡である」

 

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RMA戦略家
岩根央

本質は、感動である

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本質は、感動である

〜 涙の奥にある真実に、触れる夜 〜

小さな赤ちゃんを抱いた女性が、
一つの覚悟を胸に、宝石店の扉をくぐります。

彼女の手には、大切なネックレス。

それは、きっと誰かの遺品であり、
彼女の人生の“記憶”そのものでした。

生活のために売らなければならない。
けれど、心は叫んでいます。
「本当は、手放したくない」と。

男性店員は、淡々と紙幣を用意し、
ネックレスと引き換えに渡します。

女性は受け取った瞬間、
小さく、でも深い悲しみをにじませました。

その表情を見た店員は、
そっとネックレスを彼女の左手に戻し、
手のひらをしっかりと閉じたのです。
 

「これは、あなたが持っているべきものだ」と。
言葉にはせずとも、すべてが伝わる仕草でした。

女性は、戸惑いながらも紙幣を返そうとします。
しかし、男性はそれも受け取らず、ただ静かに微笑むだけ。

彼女は、涙をこらえながら、
店員をそっと抱きしめ、「ありがとう」とだけ言って
赤ちゃんと共に、店をあとにしました。

最後に、胸にネックレスをぎゅっと押し当てたその仕草に、
すべてが込められていました。

このネックレスが、どれほど彼女にとって大切だったか。
言葉ではなく、感情が真実を語っていたのです。

感動とは、情報ではありません。
理屈でもありません。

 
感動とは、人の中に残っていた“いのちの温度”にふれる瞬間。
人が人であることを、そっと思い出させてくれる奇跡。

だから、私たちは涙を流すのです。
それは弱さではなく、“本質を受け取った証”。

 
今日の格言
感動とは、心が真実に触れたとき、そっと流れる涙のことだ。

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RMA戦略家
岩根央

当たり前という最高の財産

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当たり前という最高の財産

「余命を前にして… 当たり前という最高の財産」

〜 最後に見えたものは、“日常”だった 〜
 

「僕は助からんよ」

ドラマ白い巨塔の
名医・財前教授が、白衣の裏に隠していた“人間としての静かな顔”。

数々の命を救ってきたその人が、
今、死と真正面から向き合っている。

最後の最後に語った言葉は——
「不安はないよ。ただ、無念だ」

この“無念”という言葉に、
人生の本質がすべて詰まっているように感じる。
 

欲しかったのは、地位でも名声でもなく、
ただもう一度、
病院の廊下を歩くこと。

仲間たちと他愛もない話をすること。
コーヒーの湯気を、ぼんやり見つめる時間。

 
そう、当たり前の“日常”こそが、
本当は“最高の財産”なのに誰もそれに気付こうとしない。

それは、命の終わりが近づいたとき、
ようやくその光を放つのです。

どれだけの人と出会い、どれだけの業績を積んでも、
死の淵に立ったときに残るのは、
「もう一度、朝を迎えたかった」
そんな、静かな願いだけ。

“当たり前”は、奇跡のかたまり。
それに気づける人が、
命とちゃんと向き合った人なのかもしれません。

 
今日の格言
「人は死を前にして初めて“今日”という一日が、どれほど美しかったかを知る」

こうして文字に起こすだけで、胸が熱くなります。

「白い巨塔」が描いたのは医療の闘いではなく、

“人間としての命の物語”だったのかもしれません。

また静かに綴りたくなったら、
私は、ここで、そっとペンを握って待っています

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RMA戦略家
岩根央

余裕がある人は、マウントを取らない

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余裕がある人は、マウントを取らない

〜 本当の強さとは、静けさに宿る 〜

人と比べてしまう。
誰かより優れていたい。
つい言いたくなる、「オレの方が…」「私は知ってるよ」——

でもね、それって本当に“強さ”なのだろうか。

本当に余裕のある人は、
「上か下か」なんて土俵に、最初から上がらない。

そもそも“比べる”という思考から、自由なんだ。

🍃 余裕には、3つの種類がある。
 
時間の余裕
→ 心が急いてるとき、人は人を責めやすくなる。
 余裕がある人は、相手の話を“最後まで聴ける”。

心の余裕
→ 批判ではなく、理解で関わろうとする。
 「なぜこの人は、こうするのか」を想像できる力。

実力の余裕
→ 自信があるからこそ、誇示する必要がない。
 結果で語れる人は、沈黙にも説得力がある。

余裕がある人は、マウントを取らない。
奪うのではなく、与えることに喜びを感じているから。

そして何より、余裕のある人は、
「本物の成功」を手にしている。

それは地位や数字の話ではない。
「信頼されている」「一緒にいたいと思われている」
——そんな、目に見えない“豊かさ”を育んでいる。

 
競わなくていい。
正しさを証明しなくていい。
誰かを下に見なくていい。

それが、「余裕のある人」の静かな佇まい。

今日の格言
「余裕とは、力の証明をやめた人が手にする“自由”である」

 

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RMA戦略家
岩根央