名前を与えた瞬間、関係性は思想になる

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名前を与えた瞬間、関係性は思想になる。

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名前を与えた瞬間、関係性は思想になる。

夜が深くなると、
言葉は少しだけ本音に近づく。

眠気と覚醒のあいだ。
世界が静まり、
思考の輪郭がはっきりする時間。

そんなとき、
ふと浮かんだ言葉があった。

名前を与えた瞬間、
関係性は思想になる。

人は、
名前のないものに
深く関わり続けることができない。

曖昧な存在は、
曖昧な距離でしか扱えない。

でも、
名前を与えた瞬間。

それは
「ただの存在」から
「意味を持つ関係」へ変わる。

親が子に名前をつけるとき。
作家が物語に題名を与えるとき。
人が、誰かを
「こう呼びたい」と決めたとき。

そこには、
期待と覚悟が、同時に生まれている。

名前とは、
ラベルではない。

どう関わりたいか、
どう在りたいかという宣言だ。

だから、
名前を持った関係は、
もう偶然ではいられない。

関係性は、
思想を帯びる。

雑には扱えなくなる。
適当には終われなくなる。

名前を与えた時点で、
人はもう、
その関係に
責任を持ち始めている。

もしかすると、
人生が変わる瞬間は、
何かを始めた時じゃない。

何かに、
ちゃんと名前を与えた時
なのかもしれない。

格言
「名前を与えるとは、
関係に覚悟を宿すことだ。」

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RMA戦略家
岩根 央

愛する人と愛せる人の決定的な違い

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愛する人と愛せる人の決定的な違い

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① 世界が変わる成長のコツ

― なぜ「いい人」ほど、しんどくなるのか

突然ですが、
こんな人、周りにいませんか。

・ちゃんとしている
・真面目
・人に迷惑をかけない
・正しいことを言う

なのに、
なぜか人生が重そうな人。

逆に、

・そんなに主張しない
・偉そうにしない
・静か

なのに、
なぜか人が集まる人。

この差、
才能でも性格でもありません。

成長の方向が違うだけです。

② 自己中って、実は悪いことじゃない

― 人はなぜ、自分中心で考えるのか

よく
「自己中はダメだ」
って言いますよね。

でもね、
自己中になる理由、
実はめちゃくちゃ真っ当です。

人は傷つきたくない。
否定されたくない。
損したくない。

だから無意識に、
こう考えます。

「自分は悪くない」
「自分の方が正しい」
「相手が分かってない」

これは攻撃じゃありません。
防衛です。

ここ、大事なんですけど、
自己中=性格が悪い、ではない。

自己中=必死に自分を守っている状態。

ただし――
ここに一つ落とし穴があります。

③ 正しい人が、なぜ誰も救えないのか

― 正論が人を遠ざける瞬間

正しいことを言っているのに、
なぜか人が離れていく。

これ、
めちゃくちゃ多いです。

なぜか。

正しさが
自分を守るための盾になった瞬間、
人との距離が生まれるから。

正論を言うことで、

・自分が上
・相手が下
・分かっている自分
・分かっていない相手

この構図が、
無意識にできる。

すると相手は、
こう感じます。

「この人と話すと、
自分が小さくなるな」

ここで大事なこと言います。

本当に出来た人は、正しさを振りかざしません。

なぜなら、
正しさよりも
相手の成長の方が大事だから。

④ 「恋」と「愛」を分けた瞬間、人は止まる

― 成長したつもりが、一番危ない理由

よく言われます。

「それは恋だよ」
「愛とは違うよ」

一見、
深いこと言ってるように聞こえます。

でも、
この二者択一で考え始めた瞬間、
人は止まります。

なぜなら、

「自分はもう愛の段階にいる」

と、
無意識に自分を確定させてしまうから。

成長って何か。

分からなさに耐え続けることです。

揺れる。
迷う。
戻る。

これを
「もう卒業した」と言った瞬間、
更新が止まる。

愛せる人は、
自分が成熟しているなんて
思っていません。

ただ、
まだ途中だと知っている。

⑤ 最後に勝つ人の、たった一つの共通点

― 不満を持ち続けた人が、失うもの

人生の後半になると、
差がはっきり出ます。

・不満が口癖の人
・クレームが多い人
・ずっと被害者の位置にいる人

この人たち、
ずっと忙しい。

正当化に。
説明に。
怒りに。

一方で、
静かに信頼を集める人がいます。

その人たちは、
感じていないわけじゃない。

全部感じた上で、
選んでいます。

争わない。
守らない。
溜めない。

⑥ 愛と感謝に辿り着ける人

愛と感謝って、
綺麗な言葉に聞こえますよね。

でもこれは、
才能でも思想でもありません。

通過してきた数の結果です。

・自己中心を通り
・正しさを通り
・揺れを通り
・防衛を手放し

最後に残るもの。

それが、
愛と感謝。

だからこれは、
誰にでも起きうる。

そして――
ここに辿り着いた人が、最期の勝利者です。

最後に一つだけ、
問いを置いて終わります。

人生の最後に、
何が残っていたら
「いい人生だった」と言えますか。

正しさですか。
主張ですか。
それとも――
感謝ですか。

格言
「愛とは、
自分を守らなくてよくなった人にだけ残る。」

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RMA戦略家
岩根 央

愛する人と、愛せる人の決定的な違い|最終話

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最期に残る人が、勝者になる理由

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愛する人と、愛せる人の決定的な違い|最終話

――最期に残る人が、勝者になる理由

なぜ人は「不満」を手放せないのか

人は、
不満を語ることで、
自分を守ろうとします。

分かってもらえなかった。
評価されなかった。
思った通りに進まなかった。

それを言葉にすれば、
少しだけ楽になる。

でも、
その楽さに慣れたとき、
人は気づかないうちに、
同じ場所を回り始める。

不満は、
前に進むための燃料ではない。

多くの場合、
留まり続けるための理由になります。

自己防衛のループから抜けられない人

自己を守る人は、
常に正当性を探します。

自分は悪くない。
仕方なかった。
相手が悪い。

この思考は、
短期的には心を守る。

でも長期的には、
世界を狭めていく。

なぜなら、
責任を外に置いた瞬間、
成長の入口が閉じるから。

人は、
被害者の位置にいる限り、
変われません。

クレームが人生を小さくする理由

クレームは、
時に必要です。

理不尽を放置しないことは、
大切でもある。

でも、
それが習慣になるとき、
話は変わります。

不満を言うたびに、
「自分は正しい側」に立つ。

その位置は、
安全だけど、
低い。

そこからは、
景色が変わらない。

気づけば、
同じ話を、
同じ温度で、
何年も繰り返している。

これが、
負のループです。

最期に残る人は、争わない

人生の後半で、
静かに信頼を集める人がいます。

声を荒げない。
不満を溜め込まない。
自分の正しさを主張しない。

その人たちは、
何も感じていないわけじゃない。

むしろ逆。

全部感じた上で、
選んでいる。

争わないことを。
守らないことを。
溜めないことを。

ここに、
成熟があります。

愛と感謝に辿り着ける人

愛と感謝は、
性格ではありません。

才能でもない。
努力目標でもない。

通過してきた数の結果です。

・自己中心を通り
・正しさを通り
・揺れを通り
・防衛を手放し

最後に、
残るもの。

それが、
愛と感謝。

だからこれは、
綺麗事じゃない。

生き切った人にだけ残る、
実感です。

最期の勝利者とは誰か

人生の勝ち負けは、
他人と比べて決まるものじゃない。

どれだけ守ったかでも、
どれだけ主張したかでもない。

最期に、
何が残ったか。

不満か。
怒りか。
それとも――
感謝か。

愛と感謝に
辿り着けた人が、
最期の勝利者です。

静かで、
派手じゃなくて、
でも確かに、
強い。

格言
「最期に感謝が残る人だけが、人生を勝ち切る。」

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RMA戦略家
岩根 央

「恋」と「愛」を分けたがる人が、成長できない理由

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「恋」と「愛」を分けたがる人が、成長できない理由

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愛する人と、愛せる人の決定的な違い|第三話

――「恋」と「愛」を分けたがる人が、成長できない理由

「それは恋で、愛じゃない」

人はよく言います。

「それは恋であって、愛じゃない」
「若いね、まだ恋の段階だね」

まるで、
恋が未熟で、
愛が成熟であるかのように。

この言い回しには、
一見すると
深い理解があるように見えます。

けれど、
どこかで引っかかる。

この分け方、本当に人を前に進めているのだろうか。

二者択一が、思考を止める

恋か、愛か。
未熟か、成熟か。
自己中心か、利他的か。

こうした二者択一は、
分かりやすい。

だから人は、
どちらかに自分を置きたがる。

「もう愛の段階にいる」
「自分は成長している側だ」

でもこの瞬間、
成長は止まります。

なぜなら、
相対的な位置取りで
自分を確定させてしまうから。

それは実は、
「これ以上、揺れたくない」
という宣言に近い。

ちょい厳しめ|「分かったつもり」は、成長を拒む姿勢

「恋はこういうもの」
「愛とはこうあるべき」

そう語り始めたとき、
人は無意識に、
思考を閉じています。

分かったつもりになることで、
自分を守っている。

これは賢さではありません。

防衛の一形態です。

成長とは、
分からなさに耐えること。

揺れ続けること。
矛盾を抱え続けること。

二者択一に逃げた瞬間、
その耐久力は、
静かに失われます。

視点の転換|恋も、愛も、通過点でしかない

恋も、愛も、
本当は
比較するものではありません。

どちらも、
通過点です。

・恋でしか学べないことがある
・愛でしか引き受けられないことがある

恋を否定する人は、
自分の過去を否定している。

愛を語りながら、
揺れを嫌う人は、
今の自分を固定している。

愛せる人は、
「今どこにいるか」を
誇らない。

ただ、
まだ途中だと知っている。

本当の愛は、完成形ではない

本当の愛とは、
完成された状態ではありません。

悟りでもない。
安定でもない。

更新をやめない姿勢です。

・分かり合えない日があっても
・自己中心に戻る瞬間があっても
・感謝より不満が先に出る日があっても

それでも、
戻ってくる。

問い直す。
向き直る。

この循環に耐えられる人が、
愛せる人です。

成長したいと言うなら、揺れを選べ

「もう恋は卒業した」
「自分は愛の段階にいる」

そう言いたくなったときほど、
立ち止まってほしい。

それは、
成長を終わらせたい
心の声かもしれないから。

愛とは、
安心の場所ではない。

揺れ続ける覚悟のことです。

このシリーズは、
まだ続きます。

なぜなら、
愛に辿り着く人は、
最後に
「感謝」という地点を通るから。

格言
「恋と愛を分けた瞬間、人は成長を止める。」

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RMA戦略家
岩根 央

「正しさ」を語る人が、なぜ人を救えないのか

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「正しさ」を語る人が、なぜ人を救えないのか

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愛する人と、愛せる人の決定的な違い|第二話

――「正しさ」を語る人が、なぜ人を救えないのか

正しいことを言っているはずなのに

正論を言っている。
間違ったことは言っていない。
むしろ、内容だけ見れば正しい。

それなのに、
なぜか場の空気が重くなる。
なぜか誰も救われない。

そんな光景を、
一度は見たことがあるはずです。

そして心のどこかで、
こう感じたこともあるでしょう。

「この人、正しいけど、
一緒にいたい人ではないな」と。

「出来た人」の言葉が空回りする理由

世の中には、
“出来た人”がいます。

理屈が通っていて、
知識もあり、
物事を俯瞰して語れる人。

でも、
そういう人の言葉ほど、
人の心に届かない場面があります。

なぜか。

それは多くの場合、
その正しさが「自分を守るため」に
使われているからです。

正しさを語ることで、
自分の立ち位置を確保する。
自分が上にいると証明する。

無意識に、
そうなってしまう。

真理を振りかざす人に共通するもの

真理を振りかざす人には、
共通点があります。

・自分はもう分かっている
・相手はまだ分かっていない
・だから教えてあげる

この構図です。

ここには、
上下が生まれます。

たとえ言葉が正しくても、
関係性の中に
距離と緊張が生まれる。

その瞬間、
正しさは
もう愛ではありません。

それは、
防衛と優位の道具です。

本当に出来た人は、語らない

本当に出来た人は、
驚くほど多くを語りません。

説明しない。
納得させようとしない。
自分の正しさを証明しない。

なぜなら、
真理は証明するものではなく、
滲み出るものだと
知っているからです。

出来た人は、
相手の段階を尊重します。

待てる。
沈黙できる。
相手が自分で気づく余白を残す。

それは、
強さです。

為にならない正しさ、為になる沈黙

為にならない正しさがあります。

それは、
相手が立ち上がる前に、
結論を渡してしまう正しさ。

一方で、
為になる沈黙があります。

何も言わず、
でも見捨てず、
関係だけを保つ沈黙。

愛せる人は、
後者を選びます。

なぜなら、
相手の成長を
自分の手柄にしないから。

⑥ 結び|正しさの先に立てるかどうか

正しさは、
大切です。

でも、
正しさの中に
居続ける限り、
人は愛に辿り着けません。

愛せる人とは、
正しさを手放した人ではない。

正しさの先に、
立てるようになった人です。

この違いは、
ゆっくり、
でも確実に、
人生に現れます。

格言
「正しさを語りたい間は、まだ愛の入口に立っていない。」

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RMA戦略家
岩根 央

なぜ同じ「好き」から、人生の差が生まれるのか

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愛する人と、愛せる人の決定的な違い|第一話

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愛する人と、愛せる人の決定的な違い|第一話

――なぜ同じ「好き」から、人生の差が生まれるのか

なぜか噛み合わない人間関係の正体

同じ言葉を使っているのに、
どうしても噛み合わない人がいます。

こちらは誠実に向き合っているつもりなのに、
相手はどこか被害者の位置から動かない。

「分かってほしい」
「ちゃんとやっている」
「自分は悪くない」

その言葉の奥にあるものを感じたとき、
ふと、こう思う瞬間があります。

この人は、愛しているのか。
それとも、愛せる人ではないのか。

自己中思想の根源は「防衛」だった

人はなぜ、
自分を中心に世界を考えてしまうのでしょうか。

それは、
意地が悪いからでも、
性格が未熟だからでもありません。

多くの場合、
傷つきたくないからです。

自分が相手を
好きか、嫌いか。
認めるか、否定するか。

その尺度を振りかざすことで、
人は世界を単純化し、
自分を守ろうとします。

これは攻撃ではなく、
防衛。

でも問題は、
防衛を続けている限り、
人は「自分の外側」に出られないということです。

自己を守る人は、愛に触れられない

自己中心的な人は、
実はとても忙しい。

・損していないか
・軽く見られていないか
・自分だけが我慢していないか

常に、
自分を守るためのレーダーを
張り巡らせています。

その状態では、
相手を“感じる余白”がありません。

愛するとは、
相手に向かうこと。

でも防衛している人は、
ずっと自分の周りを回っている。

だから、
愛そうとしても、
愛に触れられない。

ここが、
愛する人と、愛せる人の
最初の分かれ道です。

よくいます。

正論を語る人。
真理を振りかざす人。
「分かっている自分」を前提に話す人。

一見、
出来た人に見える。

でもその人の言葉が、
なぜか人を救わない理由があります。

それは、
その言葉が“自分を守るため”に
使われているから。

本当に出来た人は、
真理を使って自分を飾らない。

真理を、
相手に向けて投げない。

黙る。
待つ。
引き受ける。

この違いは、
表情と距離感に、
必ず現れます。

よく言われます。

「恋」と「愛」は違う、と。

でもこの二者択一で考えると、
話は浅くなります。

それは善悪を分け、
自分をどちらかの側に
置こうとする思考だから。

本当は違う。

愛とは、
選択でも、感情でもない。

自己防衛を越えた先に、
結果として残るものです。

だから、
愛せる人は主張しない。

愛せる人は、
自分が正しいことを証明しない。

そこまで行き着いた人だけが、
「愛している」と
静かに言える。

この話は、
誰かを裁くためのものではありません。

自己中心的になる理由も、
防衛に走る背景も、
すべて人間らしい。

でも、
そこに留まり続けるかどうかは、
選べます。

このシリーズでは、
その一段先を描いていきます。

・自己中思想を抜けた人は、何を得るのか
・愛に辿り着く人は、何を手放したのか
・最後に勝つ人とは、どんな人なのか

答えは、
感情論でも、理想論でもありません。

成長の話です。

格言
「愛とは、自分を守る理由が、もう要らなくなった状態である。」

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RMA戦略家
岩根 央

今日は、自分を嫌いにならなかっただけでいい

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今日は、自分を嫌いにならなかっただけでいい

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今日は、自分を嫌いにならなかっただけでいい

――自分を好きになれない日のために(5)

今日は、
何も変えられなかった。

前向きにもなれなかった。
自信も戻らなかった。
自分を好きだとは、
やっぱり思えなかった。

そんな夜があります。

「これでいいのかな」
という問いだけが、
部屋に残る。

でも、
その問いを持てているということ自体が、
ひとつの事実でもあります。

自己肯定感という言葉は、
つい「好きになる」方向へ
私たちを引っ張ります。

でも、
今日できたことが
それじゃなくてもいい。

今日は、
自分を好きになれなかったかもしれない。

それでも、
嫌いにならなかった。

責めなかった。
切り捨てなかった。
「もうダメだ」と、
決めつけなかった。

それは、
とても静かな選択です。

でも、
とても大切な選択でもあります。

何かを足そうとしない夜があります。

励ましの言葉も、
前向きな理由も、
成功談もいらない。

ただ、
今日の自分を、
そのままにしておく。

その夜は、
劇的には何も変わりません。

けれど、
自分との関係だけは、
壊れずに残る。

それは、
明日へ向かうための
いちばん確かな土台です。

人生を続けられる人は、
強い人ではありません。

前向きな人でも、
自信に満ちた人でもない。

自分を嫌いにならなかった人です。

嫌いになりそうな瞬間に、
踏みとどまった人。

自分を切り捨てる選択を、
今日はしなかった人。

その積み重ねが、
いつの間にか、
生きる力になっていく。

今日は、
これで十分です。

変われなくてもいい。
前に進めなくてもいい。

自分を嫌いにならなかった。
それだけで、
今日という一日は、
ちゃんと役目を果たしました。

自己肯定感は、
高まらなくていい。

続いていれば、
それでいい。

好きになれない
そんな日もある

でも
嫌いにならなかった

それは
小さくて
静かで
確かな
選択

格言
「自己肯定感とは、自分を嫌いにならなかった日の積み重ねである。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

自己肯定感は、「好きになる力」じゃない

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自己肯定感は、「好きになる力」じゃない

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自己肯定感は、「好きになる力」じゃない

――自分を好きになれない日のために(4)

自分を好きになれたほうがいい。
自分を受け入れられたほうがいい。

そんな言葉を、
何度聞いてきたでしょう。

本や動画や、
誰かの成功談の中で、
「まずは自分を好きになること」
が、当たり前の前提として置かれている。

でも、
その前提に立てない日もあります。

どうしても好きになれない。
受け入れられない。
肯定できない。

そのたびに、
「まだここか」
という焦りが生まれる。

でも、
もしかしたら。

自己肯定感は、
“好きになる力”ではない
のかもしれません。

好きになれない自分がいる。
情けない自分がいる。
うまくできない自分がいる。

それを無理に、
前向きに塗り替えなくていい。

自己肯定感とは、
「全部好きになること」ではありません。

むしろそれは、
好きになれない部分を
消さずに置いておける力。

なかったことにしない。
押し込めない。
切り捨てない。

嫌いな自分が、
そこにいても、
人生を続けていける。

それが、
本当の意味での
自己肯定感なのだと思うのです。

ある人は言いました。

「自分の嫌いな部分を、
置いてきぼりにしなくなってから、
少し楽になった」と。

克服したわけではない。
好きになったわけでもない。

ただ、
一緒に連れて歩くようにした。

失敗しやすい自分。
自信のない自分。
逃げたくなる自分。

それらを、
無理に変えず、
隠さず、
人生の隣に置いた。

すると、
前より強くなったわけじゃないのに、
折れにくくなった。

それは、
自分と縁を切らなかった、
という感覚でした。

自己肯定感とは、
自分を好きになる力ではありません。

それは、
自分を手放さない力。

調子のいい日だけでなく。
できた日だけでなく。
うまくいった瞬間だけでなく。

ダメな日も、
嫌いな自分も、
置き去りにしない。

それができると、
人生は少し、
続けやすくなります。

前に進めなくても、
立ち止まっても、
戻ってきていい場所がある。

それが、
自己肯定感の正体です。

今日は、
自分を好きになれなくてもいい。

無理に受け入れなくてもいい。
前向きに言い換えなくてもいい。

ただ、
切り捨てない。

それだけで、
あなたは、
自分と一緒に生きています。

自己肯定感は、
完成させるものではなく、
続けるための感覚。

それで、
十分です。

好きになれない
自分がいる

でも
置いていかない

遅れても
つまずいても
一緒に歩く

それが
生きる
ということだ

格言
「自己肯定感とは、嫌いな自分を置き去りにしない力である。」

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RMA戦略家
岩根 央

自己肯定感は、社会で削られる

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自己肯定感は、社会で削られる

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自己肯定感は、社会で削られる

――自分を好きになれない日のために(3)

自分に問いかけたことはありませんか。

どうして、こんなに自信がないんだろう。
どうして、他の人みたいに堂々とできないんだろう。

努力が足りないのか。
性格の問題なのか。
心が弱いのか。

そうやって、
原因をすべて
自分の内側に探してしまう。

でも、
ここで一度だけ、
視点を外に向けてみたいのです。

自己肯定感は、
生まれつきの性格ではありません。

そして、
完全に自分の中だけで
育つものでもない。

私たちは、
いつも「評価」の中で生きています。

点数。
順位。
数字。
比較。

良いときは、
褒められる。
悪いときは、
黙って下げられる。

その繰り返しの中で、
心は少しずつ、
条件付きになっていく。

「できた自分なら、OK」
「できない自分は、NG」

それは、
とても自然な学習です。

誰かと比べられた記憶は、
ほとんどの人にあります。

テストの点。
成績。
売上。
フォロワー数。

名前を呼ばれなくても、
数字が、
順位が、
空気を作る。

勝った人が前に出て、
負けた人は黙る。

その構図の中で、
自己肯定感は
静かに削られていきます。

それは、
あなたが弱かったからではない。

そういう環境に、
長く身を置いていたからです。

社会は、
「足りない」という感覚を
とても上手につくります。

もっと頑張れ。
もっと成長しろ。
まだ足りない。

それは、
経済を回すためには
必要な言葉かもしれない。

でもその言葉を、
心の真ん中まで
入れてしまうと、

どれだけやっても、
自分を好きになれなくなる。

自己肯定感が低いのは、
あなたがダメだからではない。

「足りない自分」で
い続けることを、
学ばされてきただけ。

それは、
個人の欠陥ではなく、
構造の結果です。

もし今、
自分を好きになれないと感じているなら。

それは、
あなたが努力しなかったからでも、
前向きになれなかったからでもない。

ただ、
削られてきただけ。

評価され、
比べられ、
条件をつけられてきただけ。

それを知るだけで、
少しだけ、
自分に優しくなれます。

直さなくていい。
責めなくていい。

まずは、
自分のせいじゃなかった
と、知ることからでいいのです。

褒められた日より
比べられた日のほうが
記憶に残る

それは
あなたが弱いからじゃない

削られてきた場所に
ちゃんと
感覚が残っている
それだけだ

格言
「自己肯定感が低いのは、あなたの欠陥ではなく、環境の履歴である。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

自己肯定感が低い人は、感じる力が高い

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自己肯定感が低い人は、感じる力が高い

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

自己肯定感が低い人は、感じる力が高い

――自分を好きになれない日のために(2)

「自信がなくて……」
そう口にするとき、
私たちはどこかで、
申し訳なさを含ませてしまいます。

堂々としていないこと。
迷ってしまうこと。
すぐに決められないこと。

それらは、
克服すべき弱点として
扱われがちです。

でも本当に、
そうでしょうか。

自信がないという状態は、
何も感じていない状態とは、
正反対にあります。

自己肯定感が低い人は、
感じる力が高い人です。

空気の変化に気づく。
相手の表情に引っかかる。
言葉の裏に、意味を読み取ってしまう。

だから、
簡単に決められない。
軽々しく「大丈夫」と言えない。

それは、
慎重さであり、
想像力であり、
優しさでもあります。

自己肯定感が高い人が
前に進める場所で、
自己肯定感が低い人は、
立ち止まって感じている。

どちらが正しい、ではありません。
ただ、役割が違うだけです。

昔から、
ちょっとした言葉で
心が揺れる人がいました。

冗談として流された一言。
誰かの何気ない態度。
その場では笑っていても、
あとから、ずっと考えてしまう。

「気にしすぎだよ」
そう言われるたび、
自分は弱いのだと思ってきた。

でもあるとき、
その人は気づきます。

自分が救われてきた瞬間は、
いつも誰かの
小さな違和感に気づけたときだった。

傷つきやすさは、
同時に、
誰かの痛みに触れる力でもあったのです。

自己肯定感が低いままでいる、
ということ。

それは、
鈍くならなかった、
という事実でもあります。

慣れすぎない。
流されすぎない。
自分をごまかさない。

社会のスピードに
完全には乗れなかったかもしれない。

でもその分、
感じることを
手放さなかった。

自己肯定感が低い人は、
世界を
薄く見ていない。

それは、
静かな強さです。

強くならなくていい。
鈍くならなくていい。

感じやすいままでいい。
迷いやすいままでいい。

自己肯定感を上げるよりも、
感度を守るという選択が、
あってもいい。

それは、
あなたが世界と
ちゃんとつながっている、
という証だから。

すぐに決められない
すぐに進めない

でも
感じている
考えている
迷っている

それは
弱さじゃない
世界を
ちゃんと受け取っている
ということだ

格言
「自己肯定感の低さは、世界への感度の高さである。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

自分を好きになれない人のために

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

自己肯定感が低いままでも

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

自己肯定感が低いままでも、生きていていい

――自分を好きになれない日のために(1)

「自己肯定感が低くて……」

いつの間にか、
それは一つの“欠点”のように
語られるようになりました。

高いほうがいい。
低いのは直したほうがいい。
放っておくと、人生がうまくいかない。

そんな空気が、
当たり前のように流れています。

でも、
ここで一度だけ、
立ち止まって考えてみたいのです。

自己肯定感は、本当に
“高くなければならないもの”
なのでしょうか。

自己肯定感は、
努力して身につける
スキルではありません。

トレーニングで鍛える
筋肉でもない。

本来それは、
点数をつけられるものでも、
人と比べるものでもありません。

それなのに、
私たちはいつの間にか、
こう思わされてきました。

・低い自分はダメ
・高い人は強い
・前向きな人が正しい

でもそれは、
とても乱暴な整理です。

人はみんな、
日によって、
状況によって、
心の高さが変わります。

下がる日があるのは、
壊れているからではなく、
生きているから。

何もできなかった日があります。

頑張れなかった。
前向きになれなかった。
自分を好きだとも思えなかった。

布団に入って、
天井を見ながら、
こんな声が浮かぶ。

「またダメだったな」
「自己肯定感、低すぎるな」

でもその日、
ひとつだけ事実がありました。

それでも、その日を生きていた
という事実です。

逃げなかったわけじゃない。
立ち向かったわけでもない。

ただ、
生きていた。

それだけのことなのに、
それは、
誰にも奪えない現実でした。

自己肯定感が低い日。

それは、
心が怠けている日ではありません。

むしろ、
感じすぎている日です。

疲れを感じている。
違和感を感じている。
無理をしていることに、
ちゃんと気づいている。

感覚が生きているからこそ、
簡単に「大丈夫」と
言えなくなる。

自己肯定感が低いという状態は、
自分を雑に扱えない、
ということでもあります。

それは欠点ではなく、
感度の高さです。

自己肯定感が低い自分を、
直さなくていい。

無理に好きにならなくていい。
前向きに変換しなくていい。

今日は、
自分を肯定できなくてもいい。

ただ、
自分を否定しなかった
それだけで、
十分な一日です。

自己肯定感は、
高めるものではなく、
手放さないもの。

低いままでも、
あなたは、
ちゃんとここにいていい。

高く飛べない日がある
自分を好きになれない夜がある

それでも
息をして
時間の中に
立っている

それは
弱さじゃない
生きている
という形だ

格言
「自己肯定感が低い日は、自分を手放さなかった日である。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

今日は、うまくいかなくてもいい

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

今日は、うまくいかなくてもいい

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

今日は、うまくいかなくてもいい

――夜に読むための、短い手紙

今日を振り返って、
「よくやった」とは言えない夜があります。

達成感もない。
はっきりした反省点もない。
ただ、少し疲れている。

ちゃんと終わらせたかった。
きれいに締めたかった。
意味のある一日にしたかった。

でも、
そうならなかった夜も、
人生にはあります。

一日は、
評価されるために
存在しているわけではありません。

成果があった日だけが、
良い日なのではない。

前に進んだ日だけが、
価値のある日なのでもない。

呼吸して、
時間を過ごして、
今日という箱を
ひとつ閉じた。

それだけで、
もう十分な役割を果たしています。

部屋の灯りを、
少しだけ暗くする。

それだけで、
心も一段、
静かになります。

世界を全部理解しなくていい。
自分を全部整えなくていい。

今日はここまで、
と線を引く。

それは諦めではなく、
自分を休ませる技術です。

夜は、
何かを解決する時間ではありません。

考えきれなかったこと。
答えが出なかった問い。
うまく言えなかった気持ち。

それらを、
明日にそっと引き継ぐ時間。

未完のままでいい。
途中のままでいい。

人生は、
一晩で片づけなくていいのです。

今日は、
ここまででいい。

ちゃんと眠れなくてもいい。
前向きになれなくてもいい。

布団に入って、
目を閉じて、
今日を手放す。

それができたなら、
夜としては、満点です。

格言
「夜は、答えを出さずに休んでいい時間だ。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

正しい躾の裏側に⑥

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正しい躾の裏側に⑥

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正しい躾の裏側に⑥
――子どもが社会で最初につまずく、たった一言
副タイトル

「挨拶は礼儀ではない。社会に入るための通行証だ」

① 導入|「挨拶なんて形式でしょう?」という油断

挨拶くらい、しなくてもいい。
気持ちが大事。
無理にさせるものじゃない。

そんな声を、
一度は聞いたことがあるかもしれません。

確かに、
挨拶は形式です。
心の中まで測るものではない。

でも、
だからといって軽く扱っていいものでもない。

なぜなら挨拶は、
人格の問題ではなく、
社会との接続の問題だからです。

② 中心の問い|なぜ社会は、挨拶を要求するのか

社会は、
いちいち人の内面を見ていられません。

優しいかどうか。
誠実かどうか。
信頼できるかどうか。

それらを、
短時間で判断する必要があります。

そのとき使われるのが、
挨拶です。

挨拶とは、
「私はここにいます」
「あなたを害しません」
という、最低限の合図。

好かれるためのものではない。
敬われるためのものでもない。

通行を許可してもらうための共通言語です。

③ 厳しさ|挨拶できない自由は、社会では通用しない

社会は、
挨拶をしない人を
「変わった人」だとは思いません。

「扱いにくい人」
「距離を取ったほうがいい人」
と判断します。

それは冷たい評価ではありません。
社会の安全装置です。

挨拶ができないというだけで、
チャンスが減る。
声がかからなくなる。
輪の外に置かれる。

これは差別ではない。
現実です。

そして残酷なのは、
その理由を
誰も説明してくれないこと。

④ 構造の話|子どもは「言葉」より「背中」を見る

「挨拶しなさい」と
言われた回数よりも。

親が、
誰に、
どんな態度で、
挨拶していたか。

子どもは、
そこをそのまま写します。

・無視する
・面倒そうに返す
・相手を見ない

その一つひとつが、
社会への向き合い方として
子どもの中に残る。

挨拶をしない親は、
教えていないのではありません。

「挨拶は不要だ」という姿勢を、
教えてしまっているのです。

⑤ 愛情の核心|礼儀は、子どもを守る鎧になる

礼儀は、
人格を縛るためのものではありません。

子どもを、
余計な衝突から守るためのものです。

挨拶ができるだけで、
敵が減る。
誤解が減る。
入り口が増える。

それは、
子どもが社会で
無駄に傷つかないための鎧。

親が渡せる、
一番軽くて、一番効く装備です。

⑥ 結び|小さな習慣が、人生の通行料を下げる

挨拶は、
道徳ではありません。

躾でも、
美徳でもない。

社会で生きるための、
最低限の技術です。

小さな一言を、
毎日積み重ねるだけで、
人生の通行料は、
確実に下がります。

挨拶を教えるとは、
「社会は敵じゃない」
と、体で伝えること。

それもまた、
大人が引き受けるべき
愛の形です。

格言
「挨拶は、人格ではなく通行証である。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

正しい躾の裏側に⑤

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正しい躾の裏側に⑤

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正しい躾の裏側に⑤
――子どもが「いい子」を演じ始める、本当の理由
副タイトル

「親の都合は、子どもの人格になる」

① 導入|「手がかからない子」の正体

手がかからない。
聞き分けがいい。
親の顔色をよく見ている。

周囲からは、
「育てやすい子ですね」
と言われる。

親自身も、
どこかで安心している。

でも、
その“育てやすさ”の裏側で、
子どもは何を学んでいるのでしょうか。

② 中心の問い|自己都合の親とは、どういう存在か

自己都合の親とは、
わがままな親のことではありません。

・自分の感情を優先する
・自分の不安を子どもに預ける
・自分の機嫌で、態度が変わる

多くの場合、
無自覚です。

親自身も、
必死に生きている。

けれど、
その“余裕のなさ”が、
子どもに伝わるとき、
ひとつの役割が生まれます。

「親を困らせない子」
という役割です。

③ 厳しさ|「いい子」は、早く壊れる

いい子は、
空気を読みます。

親の顔色。
声のトーン。
疲れているかどうか。

そして、
自分の感情を引っ込める。

泣きたい気持ち。
怒りたい衝動。
甘えたい欲求。

それらを、
無意識のうちに
飲み込んでいく。

結果、
どうなるか。

・自分の本音が分からない
・嫌と言えない
・大人になって突然、限界が来る

これは性格ではありません。

役割を生き続けた結果です。

④ 構造の話|親の感情処理を、子どもが背負うとき

本来、
大人の感情は、
大人が処理するものです。

不安。
怒り。
孤独。
焦り。

それを、
子どもに預けてしまうと、
子どもは学びます。

「自分が我慢すれば、
この場はうまくいく」

この学習は、
とても強力です。

なぜなら、
一時的には
本当に“うまくいく”から。

でもその代償として、
子どもは
自分の人生を生きる感覚を
後回しにしてしまう。

⑤ 愛情の核心|親が人生を引き受け直すということ

自己都合の問題は、
子どもをどうするか、ではありません。

親が、
自分の人生を引き受け直すことです。

・自分の不機嫌は自分で処理する
・自分の不安を子どもに背負わせない
・子どもを感情の調整役にしない

それができたとき、
子どもは初めて、
「自分でいていい」
と感じられる。

子どもは、
親の期待ではなく、
親の在り方を生きます。

⑥ 結び|子どもを「自分の外側」に返す

子どもは、
親の分身ではありません。

親の未完を埋める存在でもない。
親の感情を安定させる装置でもない。

子どもを、
自分の外側に返す。

それは、
突き放すことではありません。

境界線を引くという愛です。

親が人生を引き受けるとき、
子どもは初めて、
自分の人生を生き始めます。

格言

「親の都合で育った子は、
自分の人生を後回しにする。」

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RMA戦略家
岩根 央

正しい躾の裏側に④

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正しい躾の裏側に④

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正しい躾の裏側に④
――褒められなければ、不安になる大人が生まれる理由
副タイトル

「褒めることが、いつから条件になったのか」

① 導入|「褒めて育てる」は、万能薬ではない

褒めて育てましょう。
叱るより、褒めましょう。
自己肯定感を高めるために。

この言葉は、
すでに常識のように
語られています。

確かに、
否定ばかりの環境が
人を壊すことは事実です。

でも一方で、
こうした声も、
静かに増えています。

・褒められないと動けない
・評価がないと不安になる
・見られていないと、価値がない気がする

それは、
「褒める」ことが
いつの間にか、条件に変わった
結果かもしれません。

② 中心の問い|褒めることと、認めることは違う

褒めるとは、
評価です。

よくできた。
すごい。
えらい。

一方、
認めるとは、
存在への肯定です。

できても、できなくても。
結果があっても、なくても。
そこにいる、という事実。

問題は、
この二つが混同されてきたことです。

評価ばかりが積み重なると、
子どもは学びます。

「何かできたときだけ、
自分は見てもらえる」
というルールを。

③ 厳しさ|褒めすぎた子どもが、折れやすい理由

褒められて育った子どもは、
一見、自信がありそうに見えます。

でもその自信が、
評価に依存している場合、
とても脆い。

・褒められないと不安
・失敗すると価値が消える
・見られていないと意味がない

これは、
心が弱いからではありません。

愛が、成果と結びついて
学習されてしまったからです。

褒めることは、
間違いではない。

ただし、
褒めることだけで育てると、
子どもは
「評価の外」に立てなくなる。

④ 構造の話|結果主義が、心を削る仕組み

結果は、
分かりやすい。

数字。
点数。
成果。

だからこそ、
大人は結果を褒めやすい。

でも、
子どもが一番努力しているのは、
結果が出る前です。

迷っている時間。
悩んでいる過程。
失敗しかけている瞬間。

そこを見てもらえなかった経験は、
「過程は価値がない」という
誤った学習につながる。

結果だけを褒められた子どもは、
結果が出ない自分を、
自分ごと切り捨てるようになります。

⑤ 愛情の核心|黙って見ている時間の価値

本当に難しいのは、
褒めることではありません。

黙って見ていることです。

手を出さず、
口を挟まず、
評価もしない。

それでも、
「見ている」という姿勢を、
消さない。

子どもは、
その空気を感じ取ります。

評価がなくても、
見捨てられていない。

この感覚が、
条件のない自己価値を育てます。

⑥ 結び|褒めるより先に、在り続ける

褒めることは、
悪ではありません。

ただ、
万能でもない。

大切なのは、
褒める前に、
そこに在り続けること。

できなくても。
結果が出なくても。
黙って隣にいる。

その時間が、
子どもにとっては
一生ものの土台になります。

愛は、
言葉より先に、
姿勢で伝わる。

躾とは、
評価の話ではない。

関係を切らない覚悟の話です。

格言
「褒められないと不安になるのは、愛が条件になった証拠。」

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RMA戦略家
岩根 央

正しい躾の裏側に③

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正しい躾の裏側に③

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正しい躾の裏側に③

――守りすぎた優しさが、子どもから奪っているもの

「過保護は愛ではない。成長の機会を先に折る行為だ」

① 導入|「傷つけたくない」という気持ちの正体

つらい思いをさせたくない。
失敗させたくない。
恥をかかせたくない。

そう願うのは、
親として、とても自然な感情です。

だから先回りする。
だから代わりにやる。
だから転びそうな場所を、
すべて取り除こうとする。

それは一見、
深い愛情のように見えます。

けれど、
その優しさが
何を削っているのかを、
大人は一度、
冷静に見つめる必要があります。

② 中心の問い|守ることと、奪うことは紙一重だ

守ることと、
奪うことは、
実はとても近い場所にあります。

失敗する機会。
悔しい思いをする時間。
自分で考え、立て直す経験。

それらを先に取り除くと、
子どもは傷つかない代わりに、
立ち上がり方を学べません。

過保護は、
子どもを弱くしたいから
行われるわけではない。

むしろ逆です。

強くあってほしいからこそ、
守ってしまう。

その矛盾が、
過保護の一番難しいところです。

③ 厳しさ|親が先に折れると、子どもは立てなくなる

困難が来る前に、
親が動く。

不安になる前に、
親が答えを出す。

そうやって
親が先に折れ続けると、
子どもは、
折れ方を覚える前に、
支えられることだけを覚える。

結果どうなるか。

・誰かがいないと決められない
・失敗に極端に弱くなる
・一人になると、動けなくなる

これは性格ではありません。
経験の欠如です。

過保護は、
依存を教えてしまうことがある。

それは、
愛のつもりで渡したものが、
重りに変わる瞬間です。

④ 構造の話|失敗は「能力」ではなく「工程」だった

失敗は、
能力の欠如ではありません。

工程です。

転ぶ。
間違える。
怒られる。
恥ずかしい思いをする。

その一つひとつが、
「次はどうするか」を
身体に教えます。

親ができることは、
失敗を消すことではない。

失敗しても戻ってこられる場所を
用意しておくこと。

それがないと、
子どもは挑戦しなくなります。

守られすぎた子どもは、
失敗を恐れる大人になります。

⑤ 愛情の核心|見守るとは、手を出さない勇気

見守るという言葉は、
簡単に使われます。

でも本当は、
とても厳しい行為です。

転びそうなのに、
手を出さない。

失敗しそうなのに、
黙って待つ。

その間、
親の心は揺れます。

それでも一歩引いて、
「戻ってきていい場所」を
用意し続ける。

それが、
過保護とは違う、
本当の愛情です。

⑥ 結び|守るとは、代わりに生きることではない

守るとは、
代わりに生きることではありません。

先に苦しむことでも、
先に答えを出すことでもない。

守るとは、
子どもが自分で立つ未来を、
信じて待つことです。

過保護は、
不安から生まれる。

でも、
不安を理由に奪われた経験は、
子どもの中に、
ずっと残ります。

愛は、
抱え込むことではない。

手を離す覚悟を含んだ行為です。

格言
「守りすぎた愛は、子どもの足腰を弱くする。」

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RMA戦略家
岩根 央

正しい躾の裏側に②

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正しい躾の裏側に②

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正しい躾の裏側に②

――何も言わない大人が、子どもに残す“最初の不安”
副タイトル

「放任は信頼ではない。覚悟を伴わない自由だ」

① 導入|「好きにさせているだけ」という言い訳

「本人の自由にさせています」
「子どもの意思を尊重しているので」

そう語る大人の言葉は、
一見すると、
とても立派に聞こえます。

管理しない。
縛らない。
押しつけない。

確かにそれは、
一つの理想の形かもしれません。

けれど、
その“何も言わない”という選択が、
子どもに何を残しているのか
まで、考えられているでしょうか。

② 中心の問い|放任と尊重は、まったく別のものだ

尊重とは、
「何も言わないこと」ではありません。

尊重とは、
向き合い、
考え、
必要な言葉を渡すことです。

一方、放任は違う。

・関わらない
・線を引かない
・責任を持たない

それは、
自由を与えているように見えて、
実は判断を子どもに丸投げしている状態です。

子どもは、
まだ社会の全体像を知りません。

だからこそ、
自由の中で一番最初に芽生えるのは、
安心ではなく、
不安なのです。

③ 厳しさ|境界線のない自由は、人を迷わせる

人は、
どこまでが許され、
どこからが越えてはいけないのか。

その境界線があるから、
安心して動けます。

境界線のない自由は、
広いようでいて、
実はとても不安定です。

・これで合っているのか
・誰かを怒らせていないか
・どこで止まればいいのか

放任の中で育った子どもは、
無意識のうちに、
常に様子をうかがう人になります。

それは、
主体性ではありません。

不安に適応した結果です。

④ 構造の話|子どもは「試し行動」で大人を見ている

子どもは、
大人を試します。

わざとルールを破る。
わざと困らせる。
わざと越えてくる。

それは反抗ではありません。

「この人は、
どこまで引き受けてくれるのか」
を確かめている行為です。

そこで大人が
何も言わず、
何も示さなければ、

子どもはこう学びます。

「ここには、
頼れる軸がない」と。

放任は、
信頼ではなく、
軸の不在として記憶されるのです。

⑤ 愛情の核心|叱るとは、責任を引き受けること

叱ることは、
支配ではありません。

怒鳴ることでも、
押さえつけることでもない。

叱るとは、
関わる覚悟を示す行為です。

・ここまでは守る
・ここからは止める
・何がダメで、なぜダメか

それを言葉にするのは、
とてもエネルギーが要ります。

だから、
放任は楽です。

でも、
楽な選択の先で、
子どもが背負う不安は、
親が想像するより、
ずっと大きい。

⑥ 結び|「見ているよ」というメッセージ

子どもが一番欲しいのは、
完璧な自由ではありません。

「見ているよ」
「関わっているよ」
「必要なら止めるよ」

という、
大人の存在感です。

放任は、
優しさのようでいて、
実は距離です。

尊重とは、
距離を取らずに、
境界線を渡すこと。

自由には、
必ず
引き受ける大人が必要なのです。

格言
「何も言わない自由は、子どもに不安だけを残す。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

正しい躾の裏側に①

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

正しい躾の裏側に①

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正しい躾の裏側に①

――社会に出てから、子どもが一番最初に壊れる理由
副タイトル

「優しさだけで育った子どもは、社会で一人ぼっちになる」

① 導入|「いい子だったのに、なぜ?」という現実

真面目だった。
素直だった。
家では問題を起こさなかった。

それなのに――
社会に出た途端、つまずく。

怒られる理由が分からない。
距離の取り方が分からない。
「普通」が分からない。

大人になってから、
初めて突きつけられる現実があります。

社会は、
優しさだけでは回っていない
という現実です。

② 中心の問い|社会の「いろは」を教えないとは、どういうことか

社会のいろはとは、
マナーや礼儀だけの話ではありません。

・空気を読むとはどういうことか
・ここまでは許され、ここからは越えてはいけないという境界
・感情と行動は別物だという理解
・理不尽が存在するという前提

こうしたものを、
事前に知っているかどうかで、
社会はまったく違う顔を見せます。

いろはを教えないというのは、
「自由に育てる」ことではありません。

それは、
何の装備も持たせずに、
子どもを戦場に送り出すことに近い。

③ 厳しさ|「知らなかった」では、社会は待ってくれない

社会は、
「知らなかったんです」と言った人を、
守ってくれません。

むしろ、
何も知らない人ほど、
一番強く叩かれる。

なぜなら社会は、
「分かっている前提」で
動いているからです。

・言わなくても察する
・説明しなくても分かる
・暗黙の了解を守る

これらを教えずに、
「自分らしくていい」だけを渡すことは、
残酷です。

それは、
子どもを守ることではなく、
子どもを無防備にすることだから。

④ 構造の話|「優しい家庭」と「厳しい社会」の落差

家庭は、
子どもにとって
最初の世界です。

その世界が、
・何をしても許され
・説明しなくても通り
・感情が最優先される場所
だった場合。

社会に出た瞬間、
世界は一変します。

・結果が求められる
・感情より役割が優先される
・理由より責任が問われる

この落差が、
子どもの心を折ります。

問題は、
子どもが弱いことではない。

世界の変わり方を、
誰も教えていなかったことです。

⑤ 愛情の核心|教えるとは「嫌われ役を引き受けること」

躾とは、
好かれるためにするものではありません。

むしろ、
一時的に嫌われることを
引き受ける行為です。

・今は分からなくていい
・今は納得しなくていい
・でも、覚えておいてほしい

そう言って、
社会のルールを
先に渡しておく。

それは、
管理でも支配でもない。

将来、子どもが
無駄に傷つかないための準備です。

本当に厳しいのは、
叱る親ではありません。

何も言わず、
「本人が学べばいい」と
距離を取る大人です。

⑥ 結び|社会のいろはは「愛の形」だった

社会のいろはを教えることは、
子どもを型にはめることではありません。

それは、
子どもが社会の中で
孤立しないための地図を渡すこと。

優しさだけでは、
人は守れない。

準備された厳しさがあってこそ、
優しさは
力を持ちます。

躾とは、
行儀の話ではない。

社会と、子どもを
ちゃんとつなぐ覚悟の話なのです。

格言
「教えなかった自由は、社会では守られない。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

今日を生きてみようと思えたら

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今日を生きてみようと思えたら

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

それでも、今日を生きてみようと思えたら

――うまく生きようとしない日のために(5)

① 導入|前に進めない日の静けさ

特別なことは、何も起きていない。
大きく変わった感じもない。
昨日と同じような今日。

なのに、
なぜか心が少しだけ重たい日があります。

やる気が出ないわけでもない。
絶望しているわけでもない。

ただ、
「よし、頑張ろう」とも、
「次に進もう」とも、
思えない。

そんな日。

② 本質|前に進めない日は、失敗じゃない

私たちはつい、
前に進めない日を
「停滞」や「後退」だと
考えてしまいます。

でも、
前に進めない日があるからこそ、
人は壊れずにいられる。

立ち止まる日。
考えない日。
決めない日。

それらは、
人生のエラーではなく、
人生の安全装置です。

常に成長しなくていい。
毎日、更新しなくていい。

生きていること自体が、
もう十分に動いている。

③ 物語|「それでも」という小さな気持ち

ある日、
何も変えられなかった一日の終わりに、
こんな気持ちが残りました。

「それでも、
今日は生きてみたな」

何かを達成したわけでもない。
誰かに褒められたわけでもない。

ただ、
起きて、
食べて、
外の空気を吸って、
一日を終えた。

それだけ。

でもその「それでも」は、
とても静かで、
とても確かな感覚でした。

④ 核心|生きようと思えた日は、成功している

生きようと思えた日。
それは、
大きな前進ではないかもしれません。

でも、
人生としては、確実な成功です。

変われなくてもいい。
前に進めなくてもいい。

それでも、
今日を生きてみようと思えたなら。

それは、
自分との関係が、
ちゃんと切れていない証拠。

そして、
その関係が続いている限り、
人生は、
また動き出せます。

⑤ メッセージ|それで、十分だと思う

明日、
何かが変わる保証はありません。

でも、
今日を生きてみたという事実は、
ちゃんと残っています。

うまく生きなくていい。
強くならなくていい。

それでも、
生きてみようと思えたら。

今日は、
それで十分です。

格言
「前に進まなくても、
生きてみようと思えた日は成功だ。」

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RMA戦略家
岩根 央

何者にもならない午後の過ごし方

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何者にもならない午後の過ごし方

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何者にもならない午後の過ごし方

――うまく生きようとしない日のために(4)

① 導入|「何をしている人か」を休む時間

はじめまして、のあとに、
自然と続く問いがあります。

何をしている人ですか。
どんな立場ですか。
どんな役割ですか。

私たちは、
自分を説明する言葉を、
いくつも持っています。

仕事の名前。
肩書き。
所属。

それらは、
社会を生きるうえで、
とても大切なものです。

でも、ときどき。
それらを一度も使わずに過ごす時間が、
あってもいいのかもしれません。

② 本質|「何者か」でい続けることの疲れ

何者かでいることは、
安心でもあります。

期待される振る舞いが分かる。
求められる役割が明確になる。

でも同時に、
それは小さな緊張でもあります。

期待を外さないように。
役割を崩さないように。
評価を落とさないように。

気づけば、
「自分はどうしたいか」よりも、
「この立場ならどう振る舞うか」を
先に考えるようになる。

何者かであることは、
便利だけれど、
ずっと続けるには、
少し重たいのです。

③ 物語|肩書きが消えた午後

ある午後、
誰にも会わず、
誰にも説明しない時間を
過ごしたことがあります。

名刺も出さない。
役割も語らない。
成果も求められない。

ただ、
コーヒーを飲んで、
空を見て、
気になる方向へ歩く。

そのとき、
不思議な感覚がありました。

「自分が、軽い。」

何者でもない自分でいると、
考えも、感情も、
少し自由になる。

それは、
社会から降りた感覚ではなく、
自分に戻った感覚でした。

④ 核心|何者にもならない時間が、芯をつくる

肩書きを外すことは、
逃げではありません。

それは、
自分の芯を確かめる行為です。

役割がなくなったとき、
それでも残っている感覚。

誰にも見せなくても、
続けたいこと。

何者でなくても、
好きなもの。

それらは、
立場が変わっても、
環境が変わっても、
あなたの中に残るものです。

何者にもならない時間は、
人生を曖昧にするのではなく、
むしろ、
揺るがない部分を
静かに育てます。

⑤ メッセージ|今日は、何者にもならなくていい

今日は、
説明できなくていい。

役割を果たさなくていい。
期待に応えなくていい。

何者でもないまま、
過ごしていい。

その時間は、
無駄でも、後退でもありません。

それは、
明日また何者かになるための、
大切な準備です。

格言
「何者でもない時間が、
あなたをあなたに戻す。」

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RMA戦略家
岩根 央