自己肯定感が低い人は、感じる力が高い

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

自己肯定感が低い人は、感じる力が高い

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

自己肯定感が低い人は、感じる力が高い

――自分を好きになれない日のために(2)

「自信がなくて……」
そう口にするとき、
私たちはどこかで、
申し訳なさを含ませてしまいます。

堂々としていないこと。
迷ってしまうこと。
すぐに決められないこと。

それらは、
克服すべき弱点として
扱われがちです。

でも本当に、
そうでしょうか。

自信がないという状態は、
何も感じていない状態とは、
正反対にあります。

自己肯定感が低い人は、
感じる力が高い人です。

空気の変化に気づく。
相手の表情に引っかかる。
言葉の裏に、意味を読み取ってしまう。

だから、
簡単に決められない。
軽々しく「大丈夫」と言えない。

それは、
慎重さであり、
想像力であり、
優しさでもあります。

自己肯定感が高い人が
前に進める場所で、
自己肯定感が低い人は、
立ち止まって感じている。

どちらが正しい、ではありません。
ただ、役割が違うだけです。

昔から、
ちょっとした言葉で
心が揺れる人がいました。

冗談として流された一言。
誰かの何気ない態度。
その場では笑っていても、
あとから、ずっと考えてしまう。

「気にしすぎだよ」
そう言われるたび、
自分は弱いのだと思ってきた。

でもあるとき、
その人は気づきます。

自分が救われてきた瞬間は、
いつも誰かの
小さな違和感に気づけたときだった。

傷つきやすさは、
同時に、
誰かの痛みに触れる力でもあったのです。

自己肯定感が低いままでいる、
ということ。

それは、
鈍くならなかった、
という事実でもあります。

慣れすぎない。
流されすぎない。
自分をごまかさない。

社会のスピードに
完全には乗れなかったかもしれない。

でもその分、
感じることを
手放さなかった。

自己肯定感が低い人は、
世界を
薄く見ていない。

それは、
静かな強さです。

強くならなくていい。
鈍くならなくていい。

感じやすいままでいい。
迷いやすいままでいい。

自己肯定感を上げるよりも、
感度を守るという選択が、
あってもいい。

それは、
あなたが世界と
ちゃんとつながっている、
という証だから。

すぐに決められない
すぐに進めない

でも
感じている
考えている
迷っている

それは
弱さじゃない
世界を
ちゃんと受け取っている
ということだ

格言
「自己肯定感の低さは、世界への感度の高さである。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

自分を好きになれない人のために

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

自己肯定感が低いままでも

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

自己肯定感が低いままでも、生きていていい

――自分を好きになれない日のために(1)

「自己肯定感が低くて……」

いつの間にか、
それは一つの“欠点”のように
語られるようになりました。

高いほうがいい。
低いのは直したほうがいい。
放っておくと、人生がうまくいかない。

そんな空気が、
当たり前のように流れています。

でも、
ここで一度だけ、
立ち止まって考えてみたいのです。

自己肯定感は、本当に
“高くなければならないもの”
なのでしょうか。

自己肯定感は、
努力して身につける
スキルではありません。

トレーニングで鍛える
筋肉でもない。

本来それは、
点数をつけられるものでも、
人と比べるものでもありません。

それなのに、
私たちはいつの間にか、
こう思わされてきました。

・低い自分はダメ
・高い人は強い
・前向きな人が正しい

でもそれは、
とても乱暴な整理です。

人はみんな、
日によって、
状況によって、
心の高さが変わります。

下がる日があるのは、
壊れているからではなく、
生きているから。

何もできなかった日があります。

頑張れなかった。
前向きになれなかった。
自分を好きだとも思えなかった。

布団に入って、
天井を見ながら、
こんな声が浮かぶ。

「またダメだったな」
「自己肯定感、低すぎるな」

でもその日、
ひとつだけ事実がありました。

それでも、その日を生きていた
という事実です。

逃げなかったわけじゃない。
立ち向かったわけでもない。

ただ、
生きていた。

それだけのことなのに、
それは、
誰にも奪えない現実でした。

自己肯定感が低い日。

それは、
心が怠けている日ではありません。

むしろ、
感じすぎている日です。

疲れを感じている。
違和感を感じている。
無理をしていることに、
ちゃんと気づいている。

感覚が生きているからこそ、
簡単に「大丈夫」と
言えなくなる。

自己肯定感が低いという状態は、
自分を雑に扱えない、
ということでもあります。

それは欠点ではなく、
感度の高さです。

自己肯定感が低い自分を、
直さなくていい。

無理に好きにならなくていい。
前向きに変換しなくていい。

今日は、
自分を肯定できなくてもいい。

ただ、
自分を否定しなかった
それだけで、
十分な一日です。

自己肯定感は、
高めるものではなく、
手放さないもの。

低いままでも、
あなたは、
ちゃんとここにいていい。

高く飛べない日がある
自分を好きになれない夜がある

それでも
息をして
時間の中に
立っている

それは
弱さじゃない
生きている
という形だ

格言
「自己肯定感が低い日は、自分を手放さなかった日である。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

今日は、うまくいかなくてもいい

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

今日は、うまくいかなくてもいい

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

今日は、うまくいかなくてもいい

――夜に読むための、短い手紙

今日を振り返って、
「よくやった」とは言えない夜があります。

達成感もない。
はっきりした反省点もない。
ただ、少し疲れている。

ちゃんと終わらせたかった。
きれいに締めたかった。
意味のある一日にしたかった。

でも、
そうならなかった夜も、
人生にはあります。

一日は、
評価されるために
存在しているわけではありません。

成果があった日だけが、
良い日なのではない。

前に進んだ日だけが、
価値のある日なのでもない。

呼吸して、
時間を過ごして、
今日という箱を
ひとつ閉じた。

それだけで、
もう十分な役割を果たしています。

部屋の灯りを、
少しだけ暗くする。

それだけで、
心も一段、
静かになります。

世界を全部理解しなくていい。
自分を全部整えなくていい。

今日はここまで、
と線を引く。

それは諦めではなく、
自分を休ませる技術です。

夜は、
何かを解決する時間ではありません。

考えきれなかったこと。
答えが出なかった問い。
うまく言えなかった気持ち。

それらを、
明日にそっと引き継ぐ時間。

未完のままでいい。
途中のままでいい。

人生は、
一晩で片づけなくていいのです。

今日は、
ここまででいい。

ちゃんと眠れなくてもいい。
前向きになれなくてもいい。

布団に入って、
目を閉じて、
今日を手放す。

それができたなら、
夜としては、満点です。

格言
「夜は、答えを出さずに休んでいい時間だ。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

正しい躾の裏側に⑥

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

正しい躾の裏側に⑥

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

正しい躾の裏側に⑥
――子どもが社会で最初につまずく、たった一言
副タイトル

「挨拶は礼儀ではない。社会に入るための通行証だ」

① 導入|「挨拶なんて形式でしょう?」という油断

挨拶くらい、しなくてもいい。
気持ちが大事。
無理にさせるものじゃない。

そんな声を、
一度は聞いたことがあるかもしれません。

確かに、
挨拶は形式です。
心の中まで測るものではない。

でも、
だからといって軽く扱っていいものでもない。

なぜなら挨拶は、
人格の問題ではなく、
社会との接続の問題だからです。

② 中心の問い|なぜ社会は、挨拶を要求するのか

社会は、
いちいち人の内面を見ていられません。

優しいかどうか。
誠実かどうか。
信頼できるかどうか。

それらを、
短時間で判断する必要があります。

そのとき使われるのが、
挨拶です。

挨拶とは、
「私はここにいます」
「あなたを害しません」
という、最低限の合図。

好かれるためのものではない。
敬われるためのものでもない。

通行を許可してもらうための共通言語です。

③ 厳しさ|挨拶できない自由は、社会では通用しない

社会は、
挨拶をしない人を
「変わった人」だとは思いません。

「扱いにくい人」
「距離を取ったほうがいい人」
と判断します。

それは冷たい評価ではありません。
社会の安全装置です。

挨拶ができないというだけで、
チャンスが減る。
声がかからなくなる。
輪の外に置かれる。

これは差別ではない。
現実です。

そして残酷なのは、
その理由を
誰も説明してくれないこと。

④ 構造の話|子どもは「言葉」より「背中」を見る

「挨拶しなさい」と
言われた回数よりも。

親が、
誰に、
どんな態度で、
挨拶していたか。

子どもは、
そこをそのまま写します。

・無視する
・面倒そうに返す
・相手を見ない

その一つひとつが、
社会への向き合い方として
子どもの中に残る。

挨拶をしない親は、
教えていないのではありません。

「挨拶は不要だ」という姿勢を、
教えてしまっているのです。

⑤ 愛情の核心|礼儀は、子どもを守る鎧になる

礼儀は、
人格を縛るためのものではありません。

子どもを、
余計な衝突から守るためのものです。

挨拶ができるだけで、
敵が減る。
誤解が減る。
入り口が増える。

それは、
子どもが社会で
無駄に傷つかないための鎧。

親が渡せる、
一番軽くて、一番効く装備です。

⑥ 結び|小さな習慣が、人生の通行料を下げる

挨拶は、
道徳ではありません。

躾でも、
美徳でもない。

社会で生きるための、
最低限の技術です。

小さな一言を、
毎日積み重ねるだけで、
人生の通行料は、
確実に下がります。

挨拶を教えるとは、
「社会は敵じゃない」
と、体で伝えること。

それもまた、
大人が引き受けるべき
愛の形です。

格言
「挨拶は、人格ではなく通行証である。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

正しい躾の裏側に⑤

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

正しい躾の裏側に⑤

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

正しい躾の裏側に⑤
――子どもが「いい子」を演じ始める、本当の理由
副タイトル

「親の都合は、子どもの人格になる」

① 導入|「手がかからない子」の正体

手がかからない。
聞き分けがいい。
親の顔色をよく見ている。

周囲からは、
「育てやすい子ですね」
と言われる。

親自身も、
どこかで安心している。

でも、
その“育てやすさ”の裏側で、
子どもは何を学んでいるのでしょうか。

② 中心の問い|自己都合の親とは、どういう存在か

自己都合の親とは、
わがままな親のことではありません。

・自分の感情を優先する
・自分の不安を子どもに預ける
・自分の機嫌で、態度が変わる

多くの場合、
無自覚です。

親自身も、
必死に生きている。

けれど、
その“余裕のなさ”が、
子どもに伝わるとき、
ひとつの役割が生まれます。

「親を困らせない子」
という役割です。

③ 厳しさ|「いい子」は、早く壊れる

いい子は、
空気を読みます。

親の顔色。
声のトーン。
疲れているかどうか。

そして、
自分の感情を引っ込める。

泣きたい気持ち。
怒りたい衝動。
甘えたい欲求。

それらを、
無意識のうちに
飲み込んでいく。

結果、
どうなるか。

・自分の本音が分からない
・嫌と言えない
・大人になって突然、限界が来る

これは性格ではありません。

役割を生き続けた結果です。

④ 構造の話|親の感情処理を、子どもが背負うとき

本来、
大人の感情は、
大人が処理するものです。

不安。
怒り。
孤独。
焦り。

それを、
子どもに預けてしまうと、
子どもは学びます。

「自分が我慢すれば、
この場はうまくいく」

この学習は、
とても強力です。

なぜなら、
一時的には
本当に“うまくいく”から。

でもその代償として、
子どもは
自分の人生を生きる感覚を
後回しにしてしまう。

⑤ 愛情の核心|親が人生を引き受け直すということ

自己都合の問題は、
子どもをどうするか、ではありません。

親が、
自分の人生を引き受け直すことです。

・自分の不機嫌は自分で処理する
・自分の不安を子どもに背負わせない
・子どもを感情の調整役にしない

それができたとき、
子どもは初めて、
「自分でいていい」
と感じられる。

子どもは、
親の期待ではなく、
親の在り方を生きます。

⑥ 結び|子どもを「自分の外側」に返す

子どもは、
親の分身ではありません。

親の未完を埋める存在でもない。
親の感情を安定させる装置でもない。

子どもを、
自分の外側に返す。

それは、
突き放すことではありません。

境界線を引くという愛です。

親が人生を引き受けるとき、
子どもは初めて、
自分の人生を生き始めます。

格言

「親の都合で育った子は、
自分の人生を後回しにする。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

正しい躾の裏側に④

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

正しい躾の裏側に④

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

正しい躾の裏側に④
――褒められなければ、不安になる大人が生まれる理由
副タイトル

「褒めることが、いつから条件になったのか」

① 導入|「褒めて育てる」は、万能薬ではない

褒めて育てましょう。
叱るより、褒めましょう。
自己肯定感を高めるために。

この言葉は、
すでに常識のように
語られています。

確かに、
否定ばかりの環境が
人を壊すことは事実です。

でも一方で、
こうした声も、
静かに増えています。

・褒められないと動けない
・評価がないと不安になる
・見られていないと、価値がない気がする

それは、
「褒める」ことが
いつの間にか、条件に変わった
結果かもしれません。

② 中心の問い|褒めることと、認めることは違う

褒めるとは、
評価です。

よくできた。
すごい。
えらい。

一方、
認めるとは、
存在への肯定です。

できても、できなくても。
結果があっても、なくても。
そこにいる、という事実。

問題は、
この二つが混同されてきたことです。

評価ばかりが積み重なると、
子どもは学びます。

「何かできたときだけ、
自分は見てもらえる」
というルールを。

③ 厳しさ|褒めすぎた子どもが、折れやすい理由

褒められて育った子どもは、
一見、自信がありそうに見えます。

でもその自信が、
評価に依存している場合、
とても脆い。

・褒められないと不安
・失敗すると価値が消える
・見られていないと意味がない

これは、
心が弱いからではありません。

愛が、成果と結びついて
学習されてしまったからです。

褒めることは、
間違いではない。

ただし、
褒めることだけで育てると、
子どもは
「評価の外」に立てなくなる。

④ 構造の話|結果主義が、心を削る仕組み

結果は、
分かりやすい。

数字。
点数。
成果。

だからこそ、
大人は結果を褒めやすい。

でも、
子どもが一番努力しているのは、
結果が出る前です。

迷っている時間。
悩んでいる過程。
失敗しかけている瞬間。

そこを見てもらえなかった経験は、
「過程は価値がない」という
誤った学習につながる。

結果だけを褒められた子どもは、
結果が出ない自分を、
自分ごと切り捨てるようになります。

⑤ 愛情の核心|黙って見ている時間の価値

本当に難しいのは、
褒めることではありません。

黙って見ていることです。

手を出さず、
口を挟まず、
評価もしない。

それでも、
「見ている」という姿勢を、
消さない。

子どもは、
その空気を感じ取ります。

評価がなくても、
見捨てられていない。

この感覚が、
条件のない自己価値を育てます。

⑥ 結び|褒めるより先に、在り続ける

褒めることは、
悪ではありません。

ただ、
万能でもない。

大切なのは、
褒める前に、
そこに在り続けること。

できなくても。
結果が出なくても。
黙って隣にいる。

その時間が、
子どもにとっては
一生ものの土台になります。

愛は、
言葉より先に、
姿勢で伝わる。

躾とは、
評価の話ではない。

関係を切らない覚悟の話です。

格言
「褒められないと不安になるのは、愛が条件になった証拠。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

正しい躾の裏側に③

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

正しい躾の裏側に③

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

正しい躾の裏側に③

――守りすぎた優しさが、子どもから奪っているもの

「過保護は愛ではない。成長の機会を先に折る行為だ」

① 導入|「傷つけたくない」という気持ちの正体

つらい思いをさせたくない。
失敗させたくない。
恥をかかせたくない。

そう願うのは、
親として、とても自然な感情です。

だから先回りする。
だから代わりにやる。
だから転びそうな場所を、
すべて取り除こうとする。

それは一見、
深い愛情のように見えます。

けれど、
その優しさが
何を削っているのかを、
大人は一度、
冷静に見つめる必要があります。

② 中心の問い|守ることと、奪うことは紙一重だ

守ることと、
奪うことは、
実はとても近い場所にあります。

失敗する機会。
悔しい思いをする時間。
自分で考え、立て直す経験。

それらを先に取り除くと、
子どもは傷つかない代わりに、
立ち上がり方を学べません。

過保護は、
子どもを弱くしたいから
行われるわけではない。

むしろ逆です。

強くあってほしいからこそ、
守ってしまう。

その矛盾が、
過保護の一番難しいところです。

③ 厳しさ|親が先に折れると、子どもは立てなくなる

困難が来る前に、
親が動く。

不安になる前に、
親が答えを出す。

そうやって
親が先に折れ続けると、
子どもは、
折れ方を覚える前に、
支えられることだけを覚える。

結果どうなるか。

・誰かがいないと決められない
・失敗に極端に弱くなる
・一人になると、動けなくなる

これは性格ではありません。
経験の欠如です。

過保護は、
依存を教えてしまうことがある。

それは、
愛のつもりで渡したものが、
重りに変わる瞬間です。

④ 構造の話|失敗は「能力」ではなく「工程」だった

失敗は、
能力の欠如ではありません。

工程です。

転ぶ。
間違える。
怒られる。
恥ずかしい思いをする。

その一つひとつが、
「次はどうするか」を
身体に教えます。

親ができることは、
失敗を消すことではない。

失敗しても戻ってこられる場所を
用意しておくこと。

それがないと、
子どもは挑戦しなくなります。

守られすぎた子どもは、
失敗を恐れる大人になります。

⑤ 愛情の核心|見守るとは、手を出さない勇気

見守るという言葉は、
簡単に使われます。

でも本当は、
とても厳しい行為です。

転びそうなのに、
手を出さない。

失敗しそうなのに、
黙って待つ。

その間、
親の心は揺れます。

それでも一歩引いて、
「戻ってきていい場所」を
用意し続ける。

それが、
過保護とは違う、
本当の愛情です。

⑥ 結び|守るとは、代わりに生きることではない

守るとは、
代わりに生きることではありません。

先に苦しむことでも、
先に答えを出すことでもない。

守るとは、
子どもが自分で立つ未来を、
信じて待つことです。

過保護は、
不安から生まれる。

でも、
不安を理由に奪われた経験は、
子どもの中に、
ずっと残ります。

愛は、
抱え込むことではない。

手を離す覚悟を含んだ行為です。

格言
「守りすぎた愛は、子どもの足腰を弱くする。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

正しい躾の裏側に②

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

正しい躾の裏側に②

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

正しい躾の裏側に②

――何も言わない大人が、子どもに残す“最初の不安”
副タイトル

「放任は信頼ではない。覚悟を伴わない自由だ」

① 導入|「好きにさせているだけ」という言い訳

「本人の自由にさせています」
「子どもの意思を尊重しているので」

そう語る大人の言葉は、
一見すると、
とても立派に聞こえます。

管理しない。
縛らない。
押しつけない。

確かにそれは、
一つの理想の形かもしれません。

けれど、
その“何も言わない”という選択が、
子どもに何を残しているのか
まで、考えられているでしょうか。

② 中心の問い|放任と尊重は、まったく別のものだ

尊重とは、
「何も言わないこと」ではありません。

尊重とは、
向き合い、
考え、
必要な言葉を渡すことです。

一方、放任は違う。

・関わらない
・線を引かない
・責任を持たない

それは、
自由を与えているように見えて、
実は判断を子どもに丸投げしている状態です。

子どもは、
まだ社会の全体像を知りません。

だからこそ、
自由の中で一番最初に芽生えるのは、
安心ではなく、
不安なのです。

③ 厳しさ|境界線のない自由は、人を迷わせる

人は、
どこまでが許され、
どこからが越えてはいけないのか。

その境界線があるから、
安心して動けます。

境界線のない自由は、
広いようでいて、
実はとても不安定です。

・これで合っているのか
・誰かを怒らせていないか
・どこで止まればいいのか

放任の中で育った子どもは、
無意識のうちに、
常に様子をうかがう人になります。

それは、
主体性ではありません。

不安に適応した結果です。

④ 構造の話|子どもは「試し行動」で大人を見ている

子どもは、
大人を試します。

わざとルールを破る。
わざと困らせる。
わざと越えてくる。

それは反抗ではありません。

「この人は、
どこまで引き受けてくれるのか」
を確かめている行為です。

そこで大人が
何も言わず、
何も示さなければ、

子どもはこう学びます。

「ここには、
頼れる軸がない」と。

放任は、
信頼ではなく、
軸の不在として記憶されるのです。

⑤ 愛情の核心|叱るとは、責任を引き受けること

叱ることは、
支配ではありません。

怒鳴ることでも、
押さえつけることでもない。

叱るとは、
関わる覚悟を示す行為です。

・ここまでは守る
・ここからは止める
・何がダメで、なぜダメか

それを言葉にするのは、
とてもエネルギーが要ります。

だから、
放任は楽です。

でも、
楽な選択の先で、
子どもが背負う不安は、
親が想像するより、
ずっと大きい。

⑥ 結び|「見ているよ」というメッセージ

子どもが一番欲しいのは、
完璧な自由ではありません。

「見ているよ」
「関わっているよ」
「必要なら止めるよ」

という、
大人の存在感です。

放任は、
優しさのようでいて、
実は距離です。

尊重とは、
距離を取らずに、
境界線を渡すこと。

自由には、
必ず
引き受ける大人が必要なのです。

格言
「何も言わない自由は、子どもに不安だけを残す。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

正しい躾の裏側に①

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

正しい躾の裏側に①

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

正しい躾の裏側に①

――社会に出てから、子どもが一番最初に壊れる理由
副タイトル

「優しさだけで育った子どもは、社会で一人ぼっちになる」

① 導入|「いい子だったのに、なぜ?」という現実

真面目だった。
素直だった。
家では問題を起こさなかった。

それなのに――
社会に出た途端、つまずく。

怒られる理由が分からない。
距離の取り方が分からない。
「普通」が分からない。

大人になってから、
初めて突きつけられる現実があります。

社会は、
優しさだけでは回っていない
という現実です。

② 中心の問い|社会の「いろは」を教えないとは、どういうことか

社会のいろはとは、
マナーや礼儀だけの話ではありません。

・空気を読むとはどういうことか
・ここまでは許され、ここからは越えてはいけないという境界
・感情と行動は別物だという理解
・理不尽が存在するという前提

こうしたものを、
事前に知っているかどうかで、
社会はまったく違う顔を見せます。

いろはを教えないというのは、
「自由に育てる」ことではありません。

それは、
何の装備も持たせずに、
子どもを戦場に送り出すことに近い。

③ 厳しさ|「知らなかった」では、社会は待ってくれない

社会は、
「知らなかったんです」と言った人を、
守ってくれません。

むしろ、
何も知らない人ほど、
一番強く叩かれる。

なぜなら社会は、
「分かっている前提」で
動いているからです。

・言わなくても察する
・説明しなくても分かる
・暗黙の了解を守る

これらを教えずに、
「自分らしくていい」だけを渡すことは、
残酷です。

それは、
子どもを守ることではなく、
子どもを無防備にすることだから。

④ 構造の話|「優しい家庭」と「厳しい社会」の落差

家庭は、
子どもにとって
最初の世界です。

その世界が、
・何をしても許され
・説明しなくても通り
・感情が最優先される場所
だった場合。

社会に出た瞬間、
世界は一変します。

・結果が求められる
・感情より役割が優先される
・理由より責任が問われる

この落差が、
子どもの心を折ります。

問題は、
子どもが弱いことではない。

世界の変わり方を、
誰も教えていなかったことです。

⑤ 愛情の核心|教えるとは「嫌われ役を引き受けること」

躾とは、
好かれるためにするものではありません。

むしろ、
一時的に嫌われることを
引き受ける行為です。

・今は分からなくていい
・今は納得しなくていい
・でも、覚えておいてほしい

そう言って、
社会のルールを
先に渡しておく。

それは、
管理でも支配でもない。

将来、子どもが
無駄に傷つかないための準備です。

本当に厳しいのは、
叱る親ではありません。

何も言わず、
「本人が学べばいい」と
距離を取る大人です。

⑥ 結び|社会のいろはは「愛の形」だった

社会のいろはを教えることは、
子どもを型にはめることではありません。

それは、
子どもが社会の中で
孤立しないための地図を渡すこと。

優しさだけでは、
人は守れない。

準備された厳しさがあってこそ、
優しさは
力を持ちます。

躾とは、
行儀の話ではない。

社会と、子どもを
ちゃんとつなぐ覚悟の話なのです。

格言
「教えなかった自由は、社会では守られない。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

今日を生きてみようと思えたら

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

今日を生きてみようと思えたら

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

それでも、今日を生きてみようと思えたら

――うまく生きようとしない日のために(5)

① 導入|前に進めない日の静けさ

特別なことは、何も起きていない。
大きく変わった感じもない。
昨日と同じような今日。

なのに、
なぜか心が少しだけ重たい日があります。

やる気が出ないわけでもない。
絶望しているわけでもない。

ただ、
「よし、頑張ろう」とも、
「次に進もう」とも、
思えない。

そんな日。

② 本質|前に進めない日は、失敗じゃない

私たちはつい、
前に進めない日を
「停滞」や「後退」だと
考えてしまいます。

でも、
前に進めない日があるからこそ、
人は壊れずにいられる。

立ち止まる日。
考えない日。
決めない日。

それらは、
人生のエラーではなく、
人生の安全装置です。

常に成長しなくていい。
毎日、更新しなくていい。

生きていること自体が、
もう十分に動いている。

③ 物語|「それでも」という小さな気持ち

ある日、
何も変えられなかった一日の終わりに、
こんな気持ちが残りました。

「それでも、
今日は生きてみたな」

何かを達成したわけでもない。
誰かに褒められたわけでもない。

ただ、
起きて、
食べて、
外の空気を吸って、
一日を終えた。

それだけ。

でもその「それでも」は、
とても静かで、
とても確かな感覚でした。

④ 核心|生きようと思えた日は、成功している

生きようと思えた日。
それは、
大きな前進ではないかもしれません。

でも、
人生としては、確実な成功です。

変われなくてもいい。
前に進めなくてもいい。

それでも、
今日を生きてみようと思えたなら。

それは、
自分との関係が、
ちゃんと切れていない証拠。

そして、
その関係が続いている限り、
人生は、
また動き出せます。

⑤ メッセージ|それで、十分だと思う

明日、
何かが変わる保証はありません。

でも、
今日を生きてみたという事実は、
ちゃんと残っています。

うまく生きなくていい。
強くならなくていい。

それでも、
生きてみようと思えたら。

今日は、
それで十分です。

格言
「前に進まなくても、
生きてみようと思えた日は成功だ。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

何者にもならない午後の過ごし方

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

何者にもならない午後の過ごし方

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

何者にもならない午後の過ごし方

――うまく生きようとしない日のために(4)

① 導入|「何をしている人か」を休む時間

はじめまして、のあとに、
自然と続く問いがあります。

何をしている人ですか。
どんな立場ですか。
どんな役割ですか。

私たちは、
自分を説明する言葉を、
いくつも持っています。

仕事の名前。
肩書き。
所属。

それらは、
社会を生きるうえで、
とても大切なものです。

でも、ときどき。
それらを一度も使わずに過ごす時間が、
あってもいいのかもしれません。

② 本質|「何者か」でい続けることの疲れ

何者かでいることは、
安心でもあります。

期待される振る舞いが分かる。
求められる役割が明確になる。

でも同時に、
それは小さな緊張でもあります。

期待を外さないように。
役割を崩さないように。
評価を落とさないように。

気づけば、
「自分はどうしたいか」よりも、
「この立場ならどう振る舞うか」を
先に考えるようになる。

何者かであることは、
便利だけれど、
ずっと続けるには、
少し重たいのです。

③ 物語|肩書きが消えた午後

ある午後、
誰にも会わず、
誰にも説明しない時間を
過ごしたことがあります。

名刺も出さない。
役割も語らない。
成果も求められない。

ただ、
コーヒーを飲んで、
空を見て、
気になる方向へ歩く。

そのとき、
不思議な感覚がありました。

「自分が、軽い。」

何者でもない自分でいると、
考えも、感情も、
少し自由になる。

それは、
社会から降りた感覚ではなく、
自分に戻った感覚でした。

④ 核心|何者にもならない時間が、芯をつくる

肩書きを外すことは、
逃げではありません。

それは、
自分の芯を確かめる行為です。

役割がなくなったとき、
それでも残っている感覚。

誰にも見せなくても、
続けたいこと。

何者でなくても、
好きなもの。

それらは、
立場が変わっても、
環境が変わっても、
あなたの中に残るものです。

何者にもならない時間は、
人生を曖昧にするのではなく、
むしろ、
揺るがない部分を
静かに育てます。

⑤ メッセージ|今日は、何者にもならなくていい

今日は、
説明できなくていい。

役割を果たさなくていい。
期待に応えなくていい。

何者でもないまま、
過ごしていい。

その時間は、
無駄でも、後退でもありません。

それは、
明日また何者かになるための、
大切な準備です。

格言
「何者でもない時間が、
あなたをあなたに戻す。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

役に立たない時間が、人を一番遠くへ連れていく

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

役に立たない時間が、人を一番遠くへ連れていく

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

役に立たない時間が、人を一番遠くへ連れていく

――うまく生きようとしない日のために(3)

① 導入|何も生まれない時間への罪悪感

その時間、何の意味があるんですか。
何か生み出せるんですか。
成果につながるんですか。

気づけば私たちは、
時間に対してまで、
説明責任を求めるようになりました。

目的のない散歩。
結論のない会話。
何も決めない午後。

そういう時間を過ごすと、
どこかで
「もったいないことをした」
という気持ちが、
胸の奥に残る。

でも本当に、
そうでしょうか。

② 本質|役に立つ時間は、視野を狭めることがある

役に立つ時間は、
私たちを前に進ませてくれます。

効率よく。
最短距離で。
無駄なく。

けれど同時に、
視野を
少しずつ狭めてもいきます。

「何のためにやるか」
「どう成果にするか」

その問いばかりが増えると、
世界は、
使えるものと使えないものに
分けられていく。

役に立たない時間は、
その分け方を、
いったん無効にしてくれる。

だからこそ、
少し怖くて、
少し自由なのです。

③ 物語|遠回りした午後のこと

ある午後、
目的もなく、
遠回りをして帰ったことがありました。

急いでいない。
考え事もない。
ただ、歩く。

途中で見つけた、
名前も知らない路地。
閉まりかけの小さな店。
風の向きが変わる瞬間。

そのどれもが、
役に立つわけではありません。

でもその夜、
ふと、
長い間動かなかった考えが、
少しだけ動きました。

答えは出ない。
でも、
方向が変わった。

それで十分だったのです。

④ 核心|役に立たない時間は、思考の更新装置

役に立たない時間は、
怠けでも、逃避でもありません。

それは、
思考の更新装置です。

常に目的に縛られていると、
考えは、
同じ場所を回り続ける。

意味のない時間は、
その円を、
そっと歪ませる。

新しい発想は、
集中しているときより、
気を抜いた瞬間に
生まれることが多い。

遠くへ行くためには、
まっすぐ進まない時間が、
どうしても必要なのです。

⑤ メッセージ|今日は、何の役にも立たなくていい

今日は、
役に立たなくていい。

誰の期待にも応えなくていい。
何かを生み出さなくていい。

ただ、
時間を使う。

それだけで、
あなたの中では、
ちゃんと何かが動いています。

人生は、
効率よく進んだ人だけが
遠くへ行けるわけではありません。

寄り道した人のほうが、
思いもよらない場所に
辿り着くこともあるのです。

格言
「遠くへ行きたいなら、
役に立たない時間を持て。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

意味が分からないまま、好きなままでいい

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

意味が分からないまま、好きなままでいい

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

意味が分からないまま、好きなままでいい

――うまく生きようとしない日のために(2)

① 導入|説明できない好きを抱えたまま

それ、どうして好きなんですか?
役に立つんですか?
将来につながりますか?

いつの間にか、
そんな質問に答えられるものだけが、
「好き」として認められるようになりました。

説明できない好き。
理由の分からない興味。
何の得にもならない時間。

大人になるにつれて、
それらは少しずつ、
後ろに追いやられていきます。

でも、
胸の奥に、
まだ残っていませんか。

意味は分からないけれど、
なぜか惹かれてしまうもの。

② 本質|好きは、成果のために生まれたわけじゃない

「好き」を語るとき、
私たちはつい、
価値や理由を添えようとします。

仕事に活きるから。
学びになるから。
人に褒められるから。

もちろん、それも悪くない。

けれど本当は、
好きという感情は、
役に立つかどうかとは無関係に生まれるものです。

意味があるから好きなのではなく、
好きだから、
あとから意味が付いてくる。

順番は、いつも逆。

最初にあるのは、
説明のつかない引力です。

③ 物語|誰にも見せていなかった時間

ある人は、
忙しい日々の合間に、
こっそり続けていることがありました。

誰にも話していないし、
SNSにも載せていない。

上手でもないし、
評価されるわけでもない。

ただ、
それをしている時間だけ、
自分の輪郭が、
少しはっきりする。

「何の意味があるの?」
と聞かれたら、
答えられない。

でも、
やめようとは思えなかった。

それは、
人生の中で、
数少ない
説明不要の居場所だったのです。

④ 核心|意味を求めすぎると、感覚が遠ざかる

意味を求めることは、
ときに、
自分を安心させてくれます。

でも、
意味ばかりを先に置くと、
感覚が追いつけなくなる。

本当は好きなのに、
「意味がないから」と手放してしまう。

本当は気になるのに、
「役に立たないから」と遠ざけてしまう。

そうして、
人生は少しずつ、
効率は良くなるけれど、
色を失っていきます。

意味が分からないまま、
好きでいていい。

それは、
人生に色を戻す、
とても静かな選択です。

⑤ メッセージ|好きは、守らなくてもいい

好きなものを、
正当化しなくていい。

将来に結びつけなくていい。
成果に変えなくていい。

ただ、
好きなままでいていい。

説明されない好きは、
誰かに奪われることも、
評価されることもない。

それは、
あなたの人生の中で、
いちばん自由な場所だから。


格言
「好きは、説明される前に完成している。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

ちゃんとしなくてもいい

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

うまく生きようとしない日のために(1)

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

ちゃんとしない朝が、人生を助けることもある

――うまく生きようとしない日のために(1)

① 導入|ちゃんと始められない朝

目覚ましが鳴って、
少しだけ遅れて起きた朝。

予定よりも遅く、
気持ちもどこかぼんやりしていて、
「よし、今日も頑張ろう」とは、
どうしても思えない。

そんな朝があります。

ちゃんと起きていない。
ちゃんと考えていない。
ちゃんと決められてもいない。

でも、不思議と、
それを責める気にもなれない。

もしかしたら――
人生は、
こういう朝を必要としているのかもしれません。

② 本質|ちゃんとしすぎた人ほど、息が浅くなる

私たちはいつの間にか、
「ちゃんとすること」を
生き方の基本にしてきました。

ちゃんと働く。
ちゃんと考える。
ちゃんと答えを出す。

それは悪いことではありません。
むしろ、多くの場面で、
私たちを守ってくれました。

でも、
ちゃんとし続けることは、
同時に、
呼吸を浅くする行為でもあります。

いつの間にか、
「うまくやれているか」
「正しく進んでいるか」
そんな問いばかりが増えていく。

気づくと、
生きている感覚よりも、
評価されている感覚のほうが
大きくなってしまうのです。

③ 物語|予定を外した一日の記憶

ある日、
予定していたことを、
全部やめたことがありました。

理由は特にありません。
疲れていたわけでも、
嫌なことがあったわけでもない。

ただ、
「今日はやらなくていい気がした」
それだけ。

代わりに、
遠回りをして歩いたり、
意味のないメモを書いたり、
何も決めずに時間を過ごしました。

成果は、何もありません。
でもその夜、
久しぶりに、
ちゃんと眠れたのです。

人生が前に進んだ感じはない。
けれど、
自分に戻れた感覚だけが、
確かに残っていました。

④ 核心|ちゃんとしない時間は、怠けではない

ちゃんとしない時間は、
怠けではありません。

それは、
生き方の調整です。

機械が熱を持ちすぎると、
一度止まらなければ壊れてしまうように。

人もまた、
ちゃんとしすぎると、
自分の感覚を見失ってしまう。

ちゃんとしない朝は、
人生をサボる時間ではなく、
人生を取り戻す時間なのです。

⑤ メッセージ|今日は、少しだけ力を抜いていい

今日は、
全部うまくやらなくていい。

ちゃんと考えなくていい。
ちゃんと決めなくていい。

ただ、
息をして、
空を見て、
今の自分に戻ってくる。

それだけで、
人生はちゃんと、
あなたを運んでいきます。

格言
「人生は、ちゃんとしない時間で呼吸している。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

逃げたくなる瞬間に、何を選ぶか

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

逃げたくなる瞬間に、何を選ぶか

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

大人とは何か(3)

── 逃げたくなる瞬間に、何を選ぶか

教育とは、失敗をなかったことにする技術を教えることではなく、
失敗を引き受け、立て直す経験を保障することだ。

【教育とは「失敗を消す力」ではない】

私たちはいつの間にか、
「失敗しない方法」を
賢さだと教えられてきました。

間違えないこと。
傷を残さないこと。
問題を表に出さないこと。

けれど本当に必要なのは、
隠す力ではなく、
説明する力なのではないでしょうか。

正解を出すことより、
プロセスを語れること。

子どもは、
言葉よりも先に、
大人の「処理の仕方」を見ています。

失敗したとき、
どう向き合うのか。
どう引き受けるのか。
どう立て直すのか。

それを見せることが、
教育なのだと思うのです。

【大人とは、逃げない人ではない】

大人とは、逃げない人ではなく、
逃げたくなる瞬間にどう振る舞うかを選べる人だ。

完璧である必要はありません。
間違えない人である必要もない。

逃げたくなる瞬間は、
誰にでも訪れます。

責任が重いとき。
説明が難しいとき。
自分が傷つくかもしれないとき。

大人であるとは、
その瞬間に
「どうするか」を
自分で引き受けようとすること。

向き合い直す。
説明し直す。
時間をかけて立て直す。

それは理想論ではなく、
社会で生きるための、
現実的な選択です。

【向き合うという選択】

向き合う社会は、
正直、楽ではありません。

時間がかかる。
摩擦も起きる。
時には、誤解も生まれる。

けれど、
向き合う社会には、
人が育つ余地があります。

やり過ごす社会は楽です。
でも、
向き合う社会のほうが、
結果的に人を強くします。

それは、
誰かを裁く強さではなく、
立て直せる強さ。

そしてその強さは、
一人ひとりの
小さな選択からしか生まれません。

【結び】

やり過ごす社会は楽だが、
向き合う社会のほうが、結果的に人を強くする。

断罪する必要はありません。
理想論に逃げる必要もない。

ただ、
「大人であろうとする選択」が、
まだ私たちの手の中にあることを、
忘れずにいたい。

それだけで、
社会の空気は、
きっと少しずつ変わっていきます。

格言
「大人とは、
逃げなかった人ではなく、
逃げたい瞬間に選び直した人である。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

やり過ごすという“合理性”の正体

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

やり過ごすという“合理性”の正体

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

大人とは何か(2)

── やり過ごすという“合理性”の正体

やり過ごすという選択は、
問題を消すのではなく、
見えない場所へ押し出しているだけだ。

【「バレなければいい」「やり過ごせばいい」という考え方】

「その場が収まるなら、それでいい」
「今は波風を立てるべきじゃない」

こうした判断は、
とても合理的に見えます。

説明には時間がかかる。
向き合えば、摩擦が生まれる。
下手をすれば、自分が傷つく。

だから、
触れない。
黙る。
先送りにする。

結果として、
その場は静かになります。

けれど、
問題が解決したわけではありません。

ただ、
見えない場所に移動しただけ。

説明されなかった理由。
引き受けられなかった失敗。
語られなかった判断。

それらは、
必ずどこかに残り、
別の形で現れます。

【なぜ、それは「賢さ」に見えるのか】

やり過ごす行為が、
大人の知恵のように見えるのには、
理由があります。

短期的には、
損をしないからです。

評価は下がらない。
立場も守られる。
責任も問われにくい。

一方で、
向き合う人はどうなるか。

説明を求められ、
時間を取られ、
時には誤解される。

その姿を見れば、
人は学習します。

「黙っていた方が楽だ」
「触らない方が賢い」

こうして、
やり過ごす態度は、
“合理的な振る舞い”として
社会に定着していきます。

【なぜ社会は「向き合わない人」を育ててしまうのか】

向き合わなかった人が罰せられず、
向き合った人が損をする環境では、
逃げが学習される。

これは、
個人の資質の問題ではありません。

学校でも、組織でも、家庭でも。
私たちは、
無言のメッセージを受け取ってきました。

「正直に言うと、面倒になる」
「波風を立てる人は扱いづらい」
「空気を読める人が大人だ」

そして実際に、
向き合った人が傷つく場面を、
何度も見てきた。

その記憶は、
とても強い。

だから人は、
逃げることを覚えます。

これは弱さではなく、
教育された結果なのです。

【誰が、そのコストを払っているのか】

問題を見えない場所へ
押し出したとき。

そのコストを払うのは、
誰でしょうか。

多くの場合、
それはその場に
力を持たない人たちです。

子どもだったり、
立場の弱い人だったり、
まだ言葉を持たない
次の世代だったり。

やり過ごす社会は、
今いる大人には楽です。

けれど、
未来に対しては、
とても高くつく。

そのことに気づいたとき、
初めて、
「大人であること」の重さが
見えてきます。

格言
「やり過ごした問題は、
いつか別の誰かの宿題になる。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

違和感は、弱さではない

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

違和感は、弱さではない

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

大人とは何か(1)

── 違和感は、あなたの弱さではない**

大人とは、立場や年齢のことではなく、
社会の中で「向き合い方」を選び続ける姿勢のことだ。

【導入|問題提起】

「バレなければいい」
「やり過ごせばいい」

いつから、
こうした言葉が
“大人の知恵”として
通用するようになったのだろう。

誰かを責めたいわけではない。
特定の人を批判したいわけでもない。

ただ、
社会のあちこちで、
この空気を感じることが増えた。

問題が起きたとき、
真正面から扱うよりも、
波風を立てずに処理する。

説明するより、黙る。
直すより、避ける。
向き合うより、やり過ごす。

それは、とても合理的で、
とても大人びて見える選択だ。

そして気づけば、
私たち自身もまた、
その空気の中で
呼吸している。

「仕方ないよね」
「大人なんだから」

そんな言葉と一緒に。

【違和感が、先に来る】

人は、
正解を出し続けるほど、
本当に自由になっていくのだろうか。

判断を任され、
決断を重ね、
期待に応え続けてきた。

気づけば、
迷うことなく
答えを出せる自分が
そこにいる。

ある日、
何気ない会話の途中で、
自分が同じ話を
何度もしていることに
気づいた。

結論も、
選択肢も、
過去に考えたものと
変わっていない。

それは間違っていない。
むしろ、合理的だ。

けれど、
なぜか心だけが、
そこに追いついていなかった。

それは迷いではない。
失敗でもない。

ただ、
問いが更新されなくなったときに生まれる、
静かな違和感だった。

【それは、個人の問題ではなかった】

ここで、
ひとつだけ
はっきりさせておきたい。

この違和感は、
あなたの性格の問題ではない。
能力の限界でもない。

むしろ逆だ。

正しさを求められる立場。
判断を任される立場。
誰かの失敗を
引き受ける立場。

そうした場所に
長く立ってきた人ほど、
この感覚に
触れやすい。

エリートという言葉は、
誇りであると同時に、
更新を許されにくい構造
でもある。

間違えない人であること。
揺れない人であること。
答えを出し続ける人であること。

その期待に
応え続けるほど、
問い直す自由は、
少しずつ
後ろへ追いやられていく。

これは弱さではない。
構造が生み出した、
必然的な重さなのかもしれない。

格言
違和感は、間違いではない。
向き合う準備が整った合図である。

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

『結果を出し続けてきたあなたへ、まず“休んでいい”という話をしよう。』

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

『結果を出し続けてきたあなたへ、まず“休んでいい”という話をしよう。』

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

『結果を出し続けてきたあなたへ、まず“休んでいい”という話をしよう。』

――闘う人生を生きてきた人のための、静かな手紙

① 導入:誰にも見せない顔を、今日だけは下ろしていい

今日も、きっとあなたは
「大丈夫な顔」で一日を終えたのでしょう。

数字の前では冷静に。
部下の前では強く。
家族の前では、なるべく穏やかに。

弱音は、飲み込むもの。
迷いは、処理するもの。
感情は、仕事が終わってから。

そんなふうに、
ずっと“戦える自分”を生きてきた。

でも今日は、
少しだけ、その鎧を置いていい。

成果を出してきたあなたにこそ、
この言葉を先に渡したいのです。

「もう、十分やってきましたよ。」

② 本質:ビジネスは“強さ”より先に、消耗を生む

ビジネスの世界では、
強い人が評価されます。

決断が早い人。
結果を出す人。
折れない人。

でもその裏で、
静かに削られていくものがあります。

・感情を感じる余裕
・立ち止まる感覚
・「本当はどうしたいか」という問い

成果を出すほど、
それらは後回しにされていく。

それは間違いではありません。
あなたが、責任を引き受けてきた証です。

ただ――
魂は、ずっと無言で耐え続ける存在ではない。

ある日ふと、
理由のわからない疲れとして、
その声は現れます。

それは、怠けではなく、
生き方の微調整を求めるサインなのです。

③ 心理と身体:休めない人ほど、実は限界に近い

心理学の世界では、
「休めない人ほど、ストレスに気づきにくい」
と言われています。

頑張ることに慣れすぎると、
緊張が“通常運転”になる。

肩が重いのも。
呼吸が浅いのも。
眠りが浅いのも。

「こんなものだ」と、処理してしまう。

でも、身体は正直です。

・何もしていないのに、ため息が出る
・一人になると、急に疲れが押し寄せる
・成功しても、心が動かない

それは、心が弱ったのではなく、
魂が休憩を求めている状態。

止まることは、後退ではありません。
整えることは、甘えではありません。

それは、
次の判断を誤らないための
プロとしての行為なのです。

④ 物語:結果を出し続けた男が、何も感じなくなった日

ある経営者がいました。

売上も伸び、
評価も高く、
周囲からは「順調ですね」と言われる日々。

けれどある朝、
彼は気づきました。

成功しているはずなのに、
何も感じていない自分に。

嬉しくもない。
悔しくもない。
ただ、空白。

彼はそこで初めて、
自分が「疲れている」ことを認めました。

戦うことをやめたのではない。
感じることを、取り戻したのです。

しばらく休み、
余白をつくり、
自分の声を聞き直したとき。

彼の判断は、
以前よりも静かで、
以前よりも強くなっていました。

⑤ 魂レベルの気づき:癒された人だけが、長く勝ち続ける

ビジネスの世界では、
短距離走のような成功が、よく称賛されます。

でも本当に価値があるのは、
壊れずに走り続けられること。

魂が疲弊したままでは、
判断は鈍り、
関係は歪み、
選択は狭くなる。

癒しとは、
立ち止まることではありません。

本来の自分に戻ること。

余白を取り戻した人だけが、
また、静かに前に出られる。

今年は、
もう一段強くなる前に、
一度、深く息をしてください。

それは、逃げではなく、
次のフェーズへの準備です。

⑥ 詩《戦ってきた人のための、休符》

強くあろうとした日々は
無駄じゃない

耐えてきた時間も
選び続けた夜も
すべて
あなたの実力だ

だから今日は
少しだけ
鎧を外していい

休むことは
弱さじゃない

それは
長く
勝ち続ける人の
静かな戦略

格言
「癒された判断だけが、次の成功を連れてくる。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

エリート経営者が陥る負のループ③

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

エリート経営者が陥る負のループ③

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

エリート経営者が陥る負のループ③

正しさの先で、問いが戻ってくるまで

① 違和感が、先に来る

人は、
正解を出し続けるほど、
本当に自由になっていくのだろうか。

判断を任され、
決断を重ね、
期待に応え続けてきた。
気づけば、
迷うことなく答えを出せる自分が、
そこにいる。

ある日、
何気ない会話の途中で、
自分が同じ話を、
何度もしていることに気づいた。

結論も、
選択肢も、
過去に考えたものと変わっていない。
それは間違っていないし、
むしろ合理的だ。

けれど、
なぜか心だけが、
そこに追いついていなかった。

それは迷いではない。
失敗でもない。
ただ、
問いが更新されなくなったときに生まれる、
静かな違和感だった。

② それは、個人の問題ではなかった

ここで、ひとつだけ
はっきりさせておきたいことがある。

この違和感は、
あなたの性格の問題ではない。
能力の限界でもない。

むしろ逆だ。

正しさを求められる立場。
判断を任される立場。
誰かの失敗を引き受ける立場。

そうした場所に
長く立ってきた人ほど、
この感覚に触れやすい。

エリートという言葉は、
誇りであると同時に、
更新を許されにくい構造でもある。

間違えない人であること。
揺れない人であること。
答えを出し続ける人であること。

その期待に応え続けるほど、
問い直す自由は、
少しずつ後ろへ追いやられていく。

これは弱さではない。
構造が生み出した、必然的な重さなのかもしれない。

③ 抜け道を探さない、という在り方

多くの人は、
この感覚に触れた瞬間、
こう考え始める。

「どうすれば抜けられるのか」
「次の一手は何か」

けれど、
ここで急いで答えを探すこと自体が、
同じ円を、
もう一度なぞることになる場合がある。

仏陀は、
答えを配った人ではなかった。
問いの前に、
ただ座り続けた人だった。

哲学者たちは、
解決よりも先に、
問いの置き方を変えてきた。

抜け道を探さない。
すぐに結論を出さない。
問いを急がない。

それは停滞ではなく、
姿勢の転換だ。

この姿勢が生まれたとき、
思考の円は、
少しずつ歪み始める。

④ 余白に現れる、誰か

最近、
少し不思議な出会いがあった。

合理と即興を、
同時に語る人たち。

答えをくれるわけでもなく、
導くわけでもない。

ただ、
同じ問いを、
少し違う角度から眺めている。

その姿勢を見ていて、
ふと思った。

問題は、
答えの不足ではなく、
問いの向きだったのかもしれない、と。

彼らは何も説明しない。
けれど、
一緒にいると、
思考の呼吸が、
自然と深くなる。

そんな感覚だけが、
静かに残った。

⑤ 問いは、続いていく

もしかすると。

人生や経営が立ち止まるとき、
問題は外にないのかもしれない。

環境でも、
能力でも、
努力不足でもない。

あるのは、
問いの置き方だけ。

正解を出し続けてきた人ほど、
一度、
問いの前に立ち返る必要がある。

それは後退ではなく、
再配置だ。

答えを急がないという選択が、
次の一手を、
静かに連れてくることもある。

問いは、
まだ終わっていない。
そしてきっと、
ここからが本番なのだ。

格言
「強さとは、問いを持ち続ける覚悟である。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
詳細は、こちら の扉を開けてください
୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央

エリート経営者が陥る負のループ②

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

エリート経営者が陥る負のループ②

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

エリート経営者が陥る負のループ②

成功の先で、エリートという言葉が重くなるとき

人は、

正解を出し続けるほど、
本当に自由になっていくのだろうか。

判断を任され、
決断を重ね、
期待に応え続けてきた。
気づけば、
迷うことなく答えを出せる自分が、そこにいる。

ある日、
何気ない会話の途中で、
自分が同じ話を、何度もしていることに気づいた。

結論も、
選択肢も、
過去に考えたものと変わっていない。

それは間違っていないし、
むしろ合理的だ。

けれど、
なぜか心だけが、そこに追いついていなかった。

それは迷いではない。
失敗でもない。
ただ、
問いが更新されなくなったときに生まれる、
静かな違和感だった。

何かを成し遂げるたびに、

「次も期待される自分」が育っていく。

いつの間にか、
自分が、自分の肩に手をかけているような感覚になる。

そして、少しずつ静かに、
同じ景色をぐるぐると回っていることに気づく。

一見、前に進んでいる。
でも実は、
“思考の円”の中を周回しているだけかもしれない。

誰も責めていないのに、
なぜか「間違ってはいけない」と思う。
誰も頼っていないのに、
なぜか「弱音を吐けない」と思う。

そんなふうにして、
思考だけが先行し、身体が置いていかれる瞬間が増えていく。

これは、性格のせいじゃない。

能力のせいでもない。

それは、
**「正しさを背負う構造」**の中で、
誰にも見えない重さを一人で引き受け続けているから。

・判断を求められる立場
・責任を分け合えない立場
・誰かの期待と失望を受け止める立場

そのすべては、
尊敬されるべき強さだ。

でも、
だからこそ――立ち止まることが許されなくなる。

もしかしたら、
“強さ”とは、いつしか**「休めなさ」**と隣り合わせになるのかもしれない。

「どうすれば抜けられるのか?」

その問いに、今日は答えない。

答えよりも、
“姿勢”を見つめたいのです。

たとえば、
問いを置き直してみる。
正しさを脇に置いて、
ただ目の前の「違和感」に触れてみる。

仏陀も、哲学者も、アーティストも、
「答えがある」とは言わなかった。

彼らはただ、
“違う問いの見方”をしていただけ。

それだけで、
世界の形が、少し変わって見えた。

最近、
合理と即興を、
同じテーブルで語る人たちに出会った。

答えを与える人ではない。
導くでも、教えるでもない。

ただ、
“問いの角度”が、ほんの少しだけ違っていた。

それだけなのに――
自分の思考が、静かにほどけていくような感覚があった。

もしかすると、
人生や経営が行き詰まるとき、
問題は外にないのかもしれない。

あるのは、
問いの置き方だけなのかもしれない。

書籍の案内

『エリート経営者が陥る負のループ』
――これは、2026年元旦に執筆された、
東大卒の元行政マンと、まったく異なる人生を歩んできた“もう一人”の視点が交差する、
二人の対話と沈黙から生まれた、問いの書です。

名刺ではつながらなかった二人が、
“合理”と“即興”という異なる言語で、同じ静けさを見つけた瞬間。

このブログは、その序章にすぎません。

格言
「強さとは、問いを持ち続ける覚悟である。」

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
RMA戦略家
岩根 央