学力・稼げる力・営業力の決定的な違い ― パート2編

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学力・稼げる力・営業力の決定的な違い ― パート2 ドラマ編

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ある営業会議でのこと。
新人のA君は、プレゼン資料を何十枚も用意して意気込んでいた。

「うちの商品は業界No.1のシェアを誇り、コスト削減にもつながります!」
「競合と比較して、ここが優れていて…」

彼の説明は理路整然としていて、学力を積み重ねた人らしい完璧さだった。
けれど、相手の表情は固いまま。
説明が続けば続くほど、相手の心は遠ざかっていった。

その空気を横で見ていたベテラン営業のB課長が、ふっと笑顔で口を開いた。

「ところで、社長。最近、社員さんたち元気にされています?」

話題は商品の話から逸れ、相手の会社の“人”の話へ。
社長は少し驚いたように、けれどすぐに頬を緩めた。

「実はね、最近新人が入ったんですよ。でもまだ慣れてなくてね…」

そこから、現場の空気や社員の悩みの話が自然に始まった。
B課長はただ相槌を打つのではなく、時折こう言葉を添えた。

「それは大変ですね…でも、すごく大事にされているんですね。」
「なるほど。だから社長がこのサービスに興味を持たれたんですね。」

数分後には、社長は自ら「ぜひ導入したい」と言っていた。
資料の何十枚分よりも、「寄り添う一言」が相手の心を動かした瞬間だった。

営業力とは、説明の巧みさではなく、
「あなたのことを理解したい」という姿勢からにじみ出るものだ。

学力で磨かれるのは知識。
稼ぐ力で培われるのは技術。
だが、営業力は“心を動かす力”。

それは人間力の延長線上にしか存在しない。

説明で納得させるのではなく、営業力で「一緒に進みたい」と思わせる。
この違いこそが、人生を左右する力の差なのだ。

💫今日の格言
「営業は商品を売ることではなく、信頼を届けること。説明は記憶に残るが、営業は心に残る。」

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RMA戦略家
岩根 央

学力・稼げる力・営業力の決定的な違い

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学力・稼げる力・営業力の決定的な違い

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学力は幼少から鍛えることができる。
稼ぐ力も、環境や経験によって磨くことができる。
だからこそ、多くの人は「学び方」や「稼ぎ方」を追い求めている。

しかし――
営業力については、決定的に勘違いされやすい。

「営業力=説明力」だと思っている人があまりにも多い。
けれど、営業力と説明力はまったく別の世界に属している。

説明力は、相手に情報を届ける力。
どれだけ詳しく、どれだけ理路整然と話せるか――それが説明だ。
一方、営業力は「人間力」そのもの。

説明がうまくても、心を動かせるとは限らない。
むしろ、人の心に寄り添わず、知識や資格を盾に話す人ほど、相手の心の扉を閉ざしてしまうことがある。

営業力とは、人の懐に自然に入っていける温度感であり、
「あなたのことを理解したい」という姿勢を持ち続ける力だ。

よく口では達者に語り、学力や資格を誇らしげに見せる人がいる。
それは決して無価値ではない。
ただ、それだけでは人は動かない。

人が動くのは、知識に納得したからではなく、心が「この人と一緒にいたい」と感じたからだ。
その感覚こそが営業力。

学力は試験で測れる。
稼ぐ力は数字で見える。
しかし営業力は――
「人から信じてもらえた数」「人から選んでもらえた瞬間」でしか測れない。

そしてそれは、言葉の巧みさではなく、日々の誠実さから生まれるものだ。

学力は脳に、稼ぐ力は技術に、営業力は魂に宿る。
だからこそ、営業力は決定的に違う。
それは「人を幸せにする力」と言い換えてもいいのかもしれない。

今日の格言
「営業力とは、知識を語ることではなく、人の心に寄り添い、人を動かす温度を生むことである。」

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RMA戦略家
岩根 央

どうして夫は「旦那」と呼ばれるのか

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どうして夫は「旦那」と呼ばれるのか

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「旦那」という呼び方、実は仏教に由来する言葉だって知っていましたか?
もともとは「檀那(だんな)」と書き、インドの古い言葉「ダーナ(与える)」が語源です。
仏教では、人に施しや教えを与えることを「布施」といい、これが善い行いの一つとして大切にされてきました。

つまり、「旦那」という言葉の根っこには――
家族を支え、守り、何かを与え続ける人への敬意が込められているのです。

ある40代の男性Aさんが、こんな話をしてくれました。

最近、中学時代の自分と同じ年頃の息子を見ながら、当時の父の姿をよく思い出すそうです。
夜遅く帰ってきて、晩酌しながらテレビを眺め、あまり多くを語らない父。
正直、その背中は怖く、近寄りがたかった。
父が帰宅すると、子どもたちの団らんタイムは一瞬で終わり、居間は静まり返ったそうです。

そんな父の意外な一面を見たのは、家族で外食に出かけたときのこと。
偶然、仕事関係の人と会った父は、家では見せない柔らかな笑顔で、深く頭を下げながら会話していました。
その姿にAさんは衝撃を受けたと言います。
「家では威張っているのに、外ではこんなに愛想よくできるんだ…」と、むしろ反発心が強くなったそうです。

しかし、Aさんが社会に出て営業の仕事をし、家庭を持つようになってから――
あのときの父の姿が、まったく違う意味で胸に迫ってきたそうです。

お客様に頭を下げ、成果を求められ、数字に追われる日々。
失敗すれば給料に響き、家族を養えなくなるかもしれないというプレッシャー。
くたくたになって帰宅し、テレビを眺めながら無言で座る自分に、
「あ…これはあのときの父だ」と気づく瞬間が何度もあったといいます。

Aさんは、ようやくわかったそうです。
ファミレスで見た、あの笑顔も、頭を下げる姿も、
すべては「家族を守る」という覚悟から生まれたものだったと。

「旦那」という呼び名は、単なる呼称ではありません。
そこには、“与える人”として生きる背中への敬意と感謝が、静かに込められているのです。

格言
与える人の背中には、言葉以上の物語が宿っている。

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RMA戦略家
岩根 央

周りとのストレスを軽減するには

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周りとのストレスを軽減するには

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人間関係でストレスを感じやすい人ほど、
「相手を下げて、自分を上げる」思考になっていることがあります。

たとえば、
「自分はこんなに頑張っているのに、あの人は楽してる」
「私ばかりが苦労して、あの人は何もしてない」

この考え方は、シーソーで自分の側を上げて相手を下げるのと同じ。
ボール(=相手の心)は、スーッと遠ざかっていきます。

逆に、
「頑張っているのは相手、楽をしているのは自分」
と視点を変えてみると、相手の心は不思議と近づいてきます。
これは「へりくだれ」という話ではなく、案外これが事実だったりもするのです。

職場や家庭でも、この差ははっきり出ます。
自分の成果を誇るよりも、誰かの努力を立てて伝える人は、信用も人望も集まります。
「おかげさま」という感覚は、相手の自己肯定感を高め、自分のストレスを減らす最良の習慣です。

人間関係のシーソーを、相手側をそっと上げる方へ傾けてみる――
それだけで、周りとの距離感がぐっと楽になります。

格言
「相手を立てると、心の距離は自然と縮まる。」

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RMA戦略家
岩根 央

親の言うことが聞けない理由

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親の言うことが聞けない理由

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「なんで親の言うことが聞けないの!」
このセリフ、子ども時代に耳にした人もいれば、親になって口にした人も多いだろう。

でも、そもそもなぜ「親の言うことは聞かなければならない」のだろうか。
世界には80億の価値観があり、人の意見は必ずしも正しいとは限らない。
ましてや、親だって間違えることはある。
「親だから正しい」という理由で無条件に従うことが、必ずしも理にかなっているわけではない。

特に、尊敬できないと感じる瞬間があるとき、子どもが従いにくくなるのは自然なことだ。

そんな質問を受けたとき、親の口から出やすいのは――
「誰のおかげでここまで大きくなったと思ってるんだ!」
確かに、親は経済的にも精神的にも多くを注いできた。
だが、子どもからすれば「頼んで生まれたわけじゃない」という本音が、喉元までこみあげることもある。
それを言えないもどかしさが、反抗的な態度や沈黙として現れるのだ。

ここで見落としがちなのは、感情の根っこにある“承認されない痛み”だ。
痛いときに「痛くない」と否定される。
悲しいときに「泣くな」と抑えられる。
そうした経験が積み重なり、「自分の感じたことは受け入れられない」という感覚が根づいてしまう。

親がどれだけ「育ててきた苦労」を語っても、子どもの胸に生きる喜びや感謝がなければ、その言葉は響かない。
大切なのはまず、相手の存在をそのまま受け止めること。
そこからしか、本当の意味で「親の言葉に耳を傾ける関係」は育たないのだ。

格言
「人は、受け止められたときにだけ、心を開く。」

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RMA戦略家
岩根 央

「明日やる人」と「今日やる人」の分かれ道

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「明日やる人」と「今日やる人」の分かれ道

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「明日からやろう」と言ったその時、
たしかに、未来はあった。

けれど、「明日」には魔法がかかっていて、
いつも少しだけ遠くにいる。
追いかけても、追いかけても、
ほんとうの意味では、たどり着けない。

「明日から」は、やさしい言い訳の羽衣。
「今日はまだ本気じゃない」って思える余地があるから、
自分を守れる。
でもその一方で、何かを大切にする時間は、
少しずつ薄れていく。

たった1日の差?
いいえ、それは「0」と「1」の差。
「まだ始めてない」と
「もう始めた」の間には、
決意と行動の壁がそびえている。

100日続けた人がいる。
1日目から始めたからこそ、
100日目の景色が見えるようになった。

そのはじまりを
「明日」に置くのか
「今日」に置くのか。

未来は、
ほんの小さな選択の積み重ねで、
静かに分かれていく。

格言
「明日」は予定、「今日」は決意。
道を創るのは、たった今ここにある“1日目”。

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RMA戦略家
岩根 央

感情を制する者は、人生を制す

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感情を制する者は、人生を制す

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感情を制する者は、人生を制す
「感情的になったら、試合は終わり。」

ある時、それを“人生の先を歩く人”から聞いた。
その瞬間、腑に落ちたような、少し苦しくなるような気持ちになった。

何かに腹が立ったとき。
悔しくて泣きたくなったとき。
少し成果が出て、思わず誇りたくなったとき。

そのすべての感情は、
たしかに“人間らしさ”かもしれないけれど、
同時に、“動揺”でもある。

感情をあらわにするということは、
その人の“器のふち”を見せるということでもある。

だから、
嬉しいときこそ静かに、
悔しいときこそ淡々と、
感情を燃やす場所は、内側にあればいい。

どこまでも冷静に、でも心は熱く。
そういう人が、結局は一番、強い。

感情を抑えるのではない。
“管理する”のだ。
波が来ても、ペースは崩さない。

それは、生まれ持った性格じゃなくて、
選び続けた“在り方”の積み重ね。

感情にのまれる人は、場面に呑まれる。
感情を選べる人は、場面を動かせる。

静かに燃える人ほど、
いつの間にか“芯の強さ”をまとうもの。

格言:
「感情を支配することは、自分を支配すること。」

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RMA戦略家
岩根 央

子どもから「小さな表現の芽」を奪わないために

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子どもから「小さな表現の芽」を奪わないために

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「何を言いたいのかわからない」
「意見を聞かれても、何も浮かばない」

そんな声を、大人になった私たちは時折、耳にします。
でも、それは本当に“何もない”からでしょうか?

もしかすると、幼い頃から「言わないほうがいい空気」を感じ取ってきた結果かもしれません。

例えば、ケガをして泣く子どもに対して
「泣かないの」「痛くないでしょ」と言ってしまう場面。
大人にとっては励ましのつもりでも、
子どもの「感じた痛み」を否定してしまっている瞬間でもあるのです。

子どもが小さな勇気を出して「いやだ」と言ったとき、
「そんなこと言っちゃだめ」と制してしまう。

こうした“抑えつけ”が積もっていくと、
やがて子どもは「感じること」や「言葉にすること」を
自分の中でやめてしまいます。

でも、自分の気持ちを丁寧に感じて、表現できることこそが、人としての土台。
未来に向けて、創造力や思いやりの根になるのです。

泣きたいときは泣いてもいい。
話したいときは言葉を探していい。
そんな風に、ひとりひとりの表現の芽を、
静かに、そして力強く守っていきたいですね。

💬 今日の格言
「伝える力は、信じてもらえた経験から育つ。」

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RMA戦略家
岩根 央

ホンモノの財か?

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憶レベルを稼ごうと思わないのは何故か

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巨額の売上。
名声。地位。力。
それを「やろうと思えばできる」と思える者こそ、
なぜ、あえてそれを求めないのか。
(「小規模企業」でという意味です)

それは単に、諦めや怠惰からくる選択ではない。
むしろ ―― 悟りに近い「選び方」なのだと思う。

ある僧は言った。
「火の中に金を探しに行く者よ、それを手にしたときには既に焼かれている」と。

富を掴みにいく手のひらは、
欲に焼かれ、
理想とした未来とは別の焦げ跡を残す。

もちろん、何かを築くことは尊い。
人を喜ばせる事業も、社会を潤す商いも美しい。
ただ、”それが自我の延長でしかないなら”、苦しみもまた比例する。

だからこそ、
仏教で言う「足るを知る」は、
あきらめではなく、選択の美学なのだ。

“欲望を満たす”ではなく、”魂を静める”方向へと向かうこと。
それができるのは、ほんのひと握りの人だけ。

「稼がない自由」を選ぶことは、
自分の心と、未来の静寂への最高の投資かもしれない。

格言:
欲の海に舟を浮かべるな。静かな岸辺に、ほんとうの財がある。

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RMA戦略家
岩根 央

人生の過去に隠されていたもの

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人生の過去に隠されていたもの

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人生の過去に隠されていたもの
〜 それは未来の光と呼ばれていた 〜

人間万事、塞翁が馬。
何が幸せで、何が不幸かなんて、
人生の途中では誰にもわからない。

けれど、何かに傷ついた日、
何かを失った夜、
人は――ふと、昔の記憶を辿る。

あの道を思い出す。
幼い手をひかれて、母と歩いた夕暮れ。
あの時はまだ、すべてがわからずに、
ただ安心していた。

今、振り返ってみれば、
それは優しさに包まれていた時間だったと気づく。
そして、どれほど深い道を自分が歩いてきたのかを
ようやく理解する。

あの涙も、
あの迷いも、
忘れていた小さな笑い声も――

全部が、
今の「わたし」を作っていた。

そう思えたとき、
過去は過去ではなくなる。
それは未来を照らす、
静かな灯火になるのだ。

💫 今日の格言
「過去は、振り返るためにあるのではなく、“抱きしめるため”に存在する。」

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RMA戦略家
岩根 央

親の言葉は、誰のための声なのか

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親の言葉は、誰のための声なのか

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〜 「生きてきてよかった」と言える日がくるように 〜

「なんで親の言うことが聞けないの!」

この言葉に、
覚えがある人も多いかもしれない。
かつて言われた人も、
今まさに子に言ってしまった人も。

この言葉の裏には、
親としての責任や心配や、
「あなたを守りたい」という想いが詰まっている。
でも――その気持ちがまっすぐに届かないときもある。

子どもは子どもで、
こう返したくなることがある。

「じゃあ、なんで親の言うことを聞かないといけないの?」

冷静に考えれば、この問いも理屈は通っている。
「親だから正しい」とは限らない。
立場だけで従わせようとすれば、
心は反発する。

そんなとき、つい出てしまうもう一つの台詞。

「誰のおかげでここまで育ったと思ってるんだ!」

親の苦労も愛も、本物であればあるほど、
その一言に詰まってしまう。
でも、もし子どもに感謝や喜びがなければ、
その言葉も、ただのプレッシャーになってしまう。

子どもは、
言わないけれど、思っている。

「頼んで生まれてきたわけじゃない」
「生きることが、つらいんだ」
「なぜこんなに苦しいの?」

その叫びが、机を蹴る音になる。
「うるさい」の一言に込められる。

だからこそ、
親が伝えるべきなのは「言うことを聞け」ではなく、
「あなたが生まれてきて、よかった」と思える未来を一緒につくること。

子どもが、
「この命でよかった」って思えるように。
生まれてきた意味を、
いつか自分の言葉で語れるように。

それが、
ほんとうの親の言葉になる。

💫 今日の格言
「子どもは、言葉を聞いて育つのではなく、“心の在り方”に触れて育つ。」

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RMA戦略家
岩根 央

目標は目指すもので、成功は気付くもの

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目標は目指すもので、成功は気付くもの

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人は誰しも、人生のどこかで「目標」を掲げます。
試験に合格すること。
仕事で成果を出すこと。
家族を守り抜くこと。

目標は、はっきりと目に見えているからこそ、私たちはそこに向かって走ることができます。
まるで、暗闇に立つ灯台の光のように。

けれど、人生の面白いところは、目標を達成した瞬間には「成功」という実感がなかなか湧かないこと。
むしろ振り返ったときに――

「そうか、あの時、すでに自分は成功していたんだ」

と気づくのです。

🎭 ある青年の物語

ある青年がいました。
彼の目標は「一流の建築家になること」。

彼は昼も夜も勉強し、設計図を描き続け、試験を突破し、ようやく建築の仕事を手に入れました。
けれど現実は厳しく、上司に叱られ、クライアントに罵られ、家に帰ると心が折れそうになりました。

「こんなのが夢だったのか?」
そう自問しながらも、諦めずに図面を描き続ける日々。

そんなある日、彼が設計した建物の前で、小さな子どもが親の手を握りながら言いました。

「このおうち、すごく好き!ここに住めるの、うれしい!」

その一言を聞いた瞬間、彼は初めて気づきました。

「そうか…これが成功なんだ」

彼が目指していたのは「一流」という肩書きではなく、誰かの笑顔をつくること。
それはいつの間にか、もう始まっていたのです。

🌱 成功は、未来ではなく「今」の中にある

目標は、未来に置くものです。
それは私たちに「道筋」を示し、努力の方向を決めるもの。

しかし「成功」は、未来に到達して得られる勲章ではなく、
すでに自分の歩みの中に静かに潜んでいるもの。

努力をしている自分。
仲間に支えられている日々。
誰かに「ありがとう」と言われた瞬間。

その一つひとつが、もうすでに「成功」のカケラなのです。

🌌 結びに

だからこそ、私たちは今日も「目標」を目指して歩み続けるべきです。
けれど歩くたびに、足元に散らばる「成功の光」にも気づきたい。

気づくたびに、自分の人生はもっと豊かになり、
気づくたびに、「未来の目標」がさらに鮮やかになる。

人生とは、そうした目標と成功の呼吸のようなリズムでできているのだと思います。

✨今日の格言
「目標は未来を照らす灯台。成功は、歩んだ道に咲く花である。」

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RMA戦略家
岩根 央

『なぜか話しやすい人』が使っている言葉

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『なぜか話しやすい人』が使っている言葉

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会話をしていると、不思議と「この人にはなんでも話せる」と感じる人、いませんか?
ただ「へぇ」「そうなんだ」と相槌を打つだけではない、そこには独特の“響き”がある。

心理学の言葉を借りるなら、それは「共感」という力。
でもここでいう共感とは、知識で理解することではなく――相手の感情に心を寄せること。

話しやすい人のリアクションは「気持ちを掬い上げる」

人は、自分の言葉をただ受け止められるよりも、気持ちごと受け止められたときに安心する。
だから「へぇ」「そうなんだ」だけでは、どこか物足りなさが残ってしまうのです。

代わりに――
「それはすごいね!」
「大変だったね、頑張ったね」
「本当に嬉しそうだね」

こうして感情を添えて返すだけで、相手の心はほどけていく。
それは単なるリアクションではなく、「あなたの気持ちを理解しているよ」というサインになるのです。

“伝え返し”が生む、安心と信頼

たとえば相手が「仕事でミスしちゃって…」と打ち明けてきたとします。
その時に「仕事でミスしたんだね」で終わるのではなく、
「仕事でミスして落ち込んでいるんだね」と“気持ち”まで言葉にして返す。

これを心理学では「感情のリフレクション」と言います。
気持ちを言葉で掬って返すことで、相手は「ちゃんと分かってくれた」と安心できる。
この安心感こそが、“なぜか話しやすい人”をつくるのです。

話しやすい人は「心の温度」を持っている

共感には2つの側面があります。
一つは「相手の考えを理解する」認知的共感。
もう一つは「相手の感情を感じ取る」情動的共感。

この両方をバランスよく使える人は、どんな場面でも相手の心を軽くし、自然と信頼を集めていきます。

だから今日から試してみてください。
「へぇ」や「そうなんだ」の代わりに、
「なるほど、それは大変だったね」
「本当に嬉しいんだね」
と、心をのせた言葉を。

その一言が、相手にとってかけがえのない癒しとなり、あなたを“話しやすい人”へと変えてくれます。

✨格言
「相槌は音ではなく、心で打つもの。」

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RMA戦略家
岩根 央

どんな人でも自分の欠点はわからない

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どんな人でも自分の欠点はわからない

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どんな人でも自分の欠点はわからない

私たちは――誰ひとり例外なく――
人の欠点はよく見えても、
自分の欠点には気づけないものです。

人にしていることは、
自分にとって「正しい」と思ってしまう。
むしろ「人の役に立っている」と思い込んでいることさえあります。

けれど、もし自分が人にしてきたことが「悪かった」と気づく瞬間があるとすれば、
それは自分が同じことをされて、痛みを味わったときです。

「ああ、こんな嫌な思いを、自分は人にさせてきたのか…」
そのとき初めて、胸を刺すように気づくのです。

ある食品メーカーの社員が語った告白が心に残っています。
彼は大量の添加物を駆使し、安い肉を子どもたちが喜ぶ味に変える商品を開発しました。
それはヒット商品となり、彼の誇りでもありました。

ところがある日、食卓で自分の娘がそのミートボールを口にしたとき、
彼の心臓は止まりそうになったといいます。
自分が作った“廃棄寸前の肉に添加物を注ぎ込んだ食品”を、
愛するわが子が嬉しそうに食べている――。

その瞬間、彼は初めて気づきました。
「これは、我が子に食べさせたくないものだった」と。
あれほど誇りだった商品が、一瞬にして“恐ろしい現実”へと変わったのです。

自分が他人の子に差し出していたものを、
いざわが子が食べる姿を見て、胸がつぶれる思いをした。
その痛みが、彼を仕事から離れさせる決断にまで導きました。

私たちも似たようなことを繰り返しています。

陰で上司を罵っていた人が、やがて自分が上司となり、
部下から陰で同じことをされていると知ったとき。

親をないがしろにしてきた人が、やがて自分の子に冷たく扱われたとき。

その時になってようやく――
「自分がしてきたことの意味」に気づかされるのです。

人は、悪い報いを自ら受けないと気づけない愚かな存在かもしれません。
でも、その痛みによって初めて、自分の心を振り返り、
誰かに優しくなれる瞬間があるのもまた、人間らしさなのだと思います。

💫今日の格言
「自分の欠点を教えてくれるのは、いつだって“自分の痛み”である。」

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努力の正体

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努力の正体

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努力とは何か

思い返してみると――
大変な時も、一生懸命に生きてきた記憶はある。
でも、「努力をした」「頑張ってきた」という記憶は不思議とない。
なぜだろう。

世の中には「努力しなければいけない」
「頑張らなければ認められない」
そんな呪文のような言葉が溢れている。
私たちはいつの間にか、その言葉に縛られてしまう。

だけど本当に「努力」とは何なのか?

もしかすると――
それは「好きだから続けてきたこと」に、あとから人が名札を貼っただけなのかもしれない。
夢中で、必死で、気づけば朝になっていた。
苦しいときでさえ、不思議と“やめたい”とは思わなかった。
その姿を、周りの人は「努力」と呼んでくれた。

けれど、自分の内側から見れば、ただ「やらずにはいられなかった」という事実が残っているだけだ。

だからといって、「努力=好きなこと」と片付けられるほど単純でもない。
ときには嫌なこともあり、逃げたい日もあった。
それでも、どこかで自分にとって「必要なこと」だと知っていた。

そう考えると――
努力とは、好き嫌いを超えて、
自分の“必要”に正直であろうとする姿勢そのものなのかもしれない。

私たちが「努力」と呼ぶものの正体は、
呪縛でも義務でもなく、
“生きるために自然と続けてきた営み”に過ぎない。

そう思うと、少し肩の力が抜けてくる。
努力とは重荷ではなく、
生きる中で滲み出る「足跡」のようなものだから。

💫今日の格言
「努力とは、背負うものではなく、歩いた後に残る足跡である。」

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RMA戦略家
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すべては“逆”から始まっていた

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すべては“逆”から始まっていた

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すべては“逆”から始まっていた
「全部、逆だったよ。」

そう言って、ある人は遠くを見つめた。
戦争を知り、借金に追われ、信じていた人に裏切られて、
それでも、静かに人生を振り返っていた。

はじめは、
うまくいけば感謝できると思ってた。
誰かに与えるには、まず自分が満たされていないといけないと思ってた。

でも、そうじゃなかった。

感謝しているから、うまくいく。
与えようとするから、満たされていく。

それは、
外の出来事が自分を変えるんじゃなくて、
自分の心が、出来事の意味を変えていくということ。

人生は不思議だ。
人に頭を下げることができる人ほど、なぜか威厳を持っている。
怒鳴らず、競わず、ただ静かに深く、歩いている。

“強さ”とは、
誰かを支配することじゃなくて、
誰にも見えない場所で、自分を律し続けることかもしれない。

与えたい。伝えたい。繋ぎたい。
でも、大声じゃなくていい。
無理に愛されようとしなくてもいい。

この世界には、
表と裏、表情と本音、光と影。
すべてが“逆”であるからこそ見えてくる真実がある。

あなたが背中を向けてきたものの中に、
大切なことが眠っているかもしれない。

人生を深く味わうとは、
その「逆」に気づけたときから、始まるのだと思う。

格言:
「人生は、すべて“逆”から見たとき、本当の意味が見えてくる。」

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RMA戦略家
岩根 央

涙を通して、優しさの可能性に触れる

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涙を通して、優しさの可能性に触れる

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〜 心の奥に触れたとき、言葉は、そっと水になる 〜

涙には、
ことばにできなかった時間が漂っている。

「痛かったね」
「こわかったよね」
「よく頑張ったね」

そのすべてを伝えたいのに、
言葉にしてしまうと、
なにか大切なものが壊れてしまいそうで――
だから、人は涙をこぼす。

悲しみだけじゃない。
悔しさや、安堵や、
何かを赦せた日の涙もある。

その一滴に宿るものは、
“感じてきた命” そのもの。

そして、
流れたその水分は、
誰かの頬をあたためる温もりへと変わる。

一緒に泣ける人がいること。
それが、どれだけの優しさかを知るのは、
涙を知っている人だけ。

この優しさは、
表面をなぞる慰めではない。
残された痛みを、
未来の光に変えようとする意志。

涙をひとすじ流したあと、
人は少しだけ、
優しくなれる。

そしてその優しさは、
人から人へ、
水脈のように流れていく。

💫 今日の格言
「涙は、優しさの原石である。」

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RMA戦略家
岩根 央

魂からの手紙

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魂からの手紙

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〜言葉にならない想いへ〜

まだ誰にも言っていないことがある。
それは、言葉にした瞬間に壊れてしまいそうな小さな光だったから。

「大丈夫」って笑ってたけど、本当は、どうしても抱きしめてほしい時間があった。誰にも見せずに、心の中で何度もこぼれた涙があった。

だけどね――そんな名もない感情たちが、ぼくをここまで運んできたんだ。

失ったものも、手にしたものも、全部ひっくるめて、“生きる”って、なんて不器用で美しいんだろうって最近、思えるようになってきた。

いま誰かが読んでくれているなら、たったひとつ伝えたい。

あなたが抱えているものは、ちゃんと意味がある。いま、苦しくても――それは、心がまだ柔らかい証だから。

泣いていい。立ち止まってもいい。誰にも見せないままでいい。

だけど、忘れないでほしい。あなたは、愛される存在だということを。愛することを、あきらめないでほしいということを。

この手紙が、あなたの心にそっと触れますように。

💫 今日の格言
「本当に大切なものは、言葉になる前に、心の奥ですでに知っている。」

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RMA戦略家
岩根 央

「ありがとう」がお金になる魔法

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「ありがとう」がお金になる魔法

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「ねえ、どうしておもちゃ買ってくれないの?」
そんな質問に、何度も困った経験はありませんか?

子どもにとって、お金はどこからか“湧いてくるもの”に見えているかもしれません。
でも、「稼ぐ」って、本当はもっとシンプルで温かいものなんです。

お金って、誰かに喜んでもらった「ありがとう」のカタチ。
お父さんやお母さんが働いてお給料をもらえるのは、
会社やお客さんの役に立った「感謝」が、形になって戻ってくるから。

だから、「稼ぐ」とは――
“ありがとうとありがとうを交換する”こと。

🍀 家庭でできる「ありがとうの循環」
たとえば、お手伝い。
テーブルを拭く、洗濯物をたたむ。
そんな小さなことでも、子どもにお礼としてお小遣いを渡す時には、
ただ「はい」と渡すのではなく、こう伝えてみてください。

「助かったよ。ありがとう。これはそのお礼ね」

そうすれば、子どもは自然とこう感じます。
「ぼく、役に立てたんだ」と。

お金は“ごほうび”ではなく、
「感謝の循環」なんだと、心の奥にやさしく染みていくはずです。

🍞 パン屋さんが教えてくれること
「なんでパン屋さんにはお金を払うの?」
そんな疑問にこう答えてみましょう。

「美味しいパンを作ってくれたから、ありがとうって気持ちでお金を渡すんだよ」

社会は、小さな「ありがとう」が集まってできています。
そしてそれは、大人も子どもも変わらない。
“誰かの役に立つ”ことが、お金につながっている――
そのことを、暮らしの中で伝えていけたら素敵ですね。

💬 今日の格言
「ありがとう」は、世界でいちばんあたたかい通貨。

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RMA戦略家
岩根 央

矛盾を通して、存在の可能性に触れる

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矛盾を通して、存在の可能性に触れる

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矛盾を通して、存在の可能性に触れる
〜 思い通りにならないからこそ、辿り着ける “奥の真理” 〜

「説明がつかない」
その理由の奥にこそ、
答えが息をひそめている。

なぜ、あの人を好きになったのか。
なぜ、あれほど嫌われてしまったのか。
なぜ、自分はこんなにも不安を抱えているのか。

矛盾とは、
心の内側で並び立つ “不安のつぶやき”。

説明しようとするたびに、
ことばは核心から遠のいていく。
どこか、空回りするのは、
答えが「理屈」ではなく「感受」に宿っているから。

だからこそ、
無理に整理しなくていい。
矛盾の存在をそのまま認め、
壊れやすいものを抱くように、そっと受け止めてみる。

そこには、
温度を持った真理が、静かに息をしている。

まっすぐにいかない道だからこそ、
人は「深く考える力」を手に入れる。

矛盾を、拒まず、切り捨てず。
思想ではなく“覚悟”で抱きしめる。
そのとき、
存在の輪郭が、にじむように見えてくる。

💫 今日の格言
「矛盾は、まだ言葉になっていない真実の声である。」

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RMA戦略家
岩根 央