岩根央すべての投稿

過去・現在・未来の正体

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過去・現在・未来の正体

~時間とは、私たちが信じてきた“幻想”かもしれない~

私たちは「時間」というものを、疑いなく信じて生きています。
朝が来て、夜が訪れる。
昨日があって、明日がある。
そんな“当たり前”の中で、私たちは過去を振り返り、未来を心配し、現在を走り続けているように思えます。

でも、ふと思うのです。
時間とは、本当に「進んで」いるのでしょうか?
それとも、私たちの認知が“選んだ部分”を見ているだけにすぎないのでしょうか?

たとえば、動物は「お腹が空いたとき」に、餌のありかを“思い出して”向かいます。
それは「過去」の記憶を頼りに「現在」行動しているようにも見えます。
しかし彼らに「未来への不安」や「希望」という感覚はありません。

一方、私たち人間はどうでしょう?
「過去の失敗」が頭をよぎり、「未来の結果」を想像して足が止まる。
この“未来”という概念があることで、人間は「選択」を始めます。

選択は尊い。
しかし、その選択が“重荷”になることもある。

「これで良かったのか?」
「違う道だったのではないか?」

こうして人は「過去」に縛られ、「未来」に怯え、「現在」に迷いを持つようになるのです。

でも、もしかすると——
“時間”はただの「概念」であり、すべての出来事は常に“今”に存在しているのかもしれません。

選択が人生を迷わせるのではなく、
選択に“意味”をつけすぎることが、人生を迷わせるのです。

本日の格言
「未来に進んでいるのではない。“今”が、あなたを包み込んでいるのだ。」

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岩根央

大事なのはどこで働くかではない どう働くかである

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大事なのはどこで働くかではない、どう働くかである

大事なのは「どこ」ではなく、「どう」働くか
人はよく、「どこで働くか」を気にします。
それはブランドであり、安定であり、社会的な響きとしてわかりやすいからです。
けれど、ほんとうに大切なことは——
「どう働くか」ではないでしょうか。

職場は舞台のようなもの。
大きなステージでも、無表情で踊れば心は動きません。
小さな舞台でも、情熱と誠実さがあれば、そこには感動が生まれる。

誰と仕事をするか。もちろん大切です。
でも、「誰と」やる前に、「自分がどう在るか」
問うてみることの方が、もっと大切なのです。

場所を選ぶのは、環境に期待すること。
けれど、“どう働くか”は、自分に問いかけること。

その問いに真正面から向き合った人は、
たとえどんな場所にいても、どんな仕事をしても、
“自分の価値”を、世界の中に響かせることができるのです。

成功とは、外の環境にあるのではなく、
日々の「どう在るか」の積み重ねに宿ります。

今日の格言

「仕事とは、環境を探す旅ではなく、自分を照らす行いである。」

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岩根央

人と出会うということ

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人と出会うということ

私たちは、日々たくさんの「出会い」に包まれています。
駅のホームで、カフェの隣席で、職場の入り口で――
それはあまりにも自然に起きるから、つい意識することを忘れてしまう。

でも、もし「人と出会う」ということを、
ひとつの試験のようなものだとしたらどうでしょうか。

就職試験や大学受験と同じように、
出会いもまた、私たちを試し、問いかけているのです。
しかも、その試験には”教科書”もなければ、”予想問題”もありません。
出される問題は、完全にオリジナル。
誰にも予測できない、あなたとその人だけのための問いなのです。

だからこそ、出会いに向き合う時、
私たちは戸惑い、時に傷つき、学び、また歩きます。

けれど、この“試験”に合格したとき、
私たちの心には一つの美しい作品が静かに滲み出します。

それは、「感謝」という名の芸術です。

出会った誰もが、かけがえのない存在だったと気づくとき――
あなたの世界は、光で満ち始めます。

そうなんです。
私たちは、「出逢う」という奇跡について、まだほんの少ししか知りません。
だけど、その扉を開いた人にだけ、
この世界が持つ本当の豊かさと温かさが見えてくるのです。

今日の格言

「出逢いとは、宇宙がくれた唯一無二の問いかけ。
答えは、あなたの中に静かに芽吹く感謝である。」

今日も、どんな出会いが、どんな“試験”が、
あなたを少しだけ優しく、強く、してくれるかもしれないですね

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岩根央

緊張するあなたへ─失敗を恐れない心の作り方

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緊張するあなたへ─失敗を恐れない心の作り方

人と話すときに、なぜか心がギュッと固まることはありませんか?
それは多くの場合、心のどこかで「失敗したら嫌われる」という恐れを抱えているからです。

しかし、ここで一度立ち止まって考えてみましょう。
人は本当に、ちょっとの失敗で他人を嫌いになるでしょうか?
もしあなたが他人の小さなミスを受け流せるなら、きっと相手もそうなのです。

緊張を手放すには、まず「完璧でなくても愛される」と知ることです。
そして、自分にも他人にも、小さな優しさを向けること。

例えば誰かの失敗を見かけたとき、
心の中で「ドンマイ」と笑ってあげてください。
それは、あなた自身への“許し”にもなっていきます。

失敗を怖れずに話せる人は、結果として周りから信頼されます。
なぜなら、そこには「素の自分を受け入れる強さ」があるからです。

今日格言

「失敗を許すたび、人の心に小さな橋がかかる」

今日から少しだけ、
自分にも、周りにも、やさしい目を向けてみませんか?
きっと、あなたの緊張はふっと軽くなります。

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岩根央

WIN-WINという言葉を使ってはいけない理由

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WIN-WINという言葉を使ってはいけない理由

WIN-WINという言葉を使ってはいけない理由

──それは、信頼と品格の話。

「WIN-WINでいきましょう」
この言葉を、私は使ったことがない。

それは決して、共存や共栄を否定しているわけではない。
むしろ私は、心ある人間同士が「互いに豊かになる関係」を心から望んでいる。

だが、真理は細部に宿り、言葉の選び方が人間の本質を映す鏡になる。
だからこそ私は、「WIN-WIN」という言葉に、微かな違和感を覚えるのだ。

●WIN-WINを語る人が、本当にWINを願っているとは限らない
「損得を正当化」するために使われる「WIN-WIN」という言葉ほど、
魂の触れ合いを遠ざけるものはない。

“相手のWIN”を掲げながらも、
実際には“自分のWINの確保”こそが目的になっていることが少なくない。

それは信頼ではなく、取引だ。
人間関係を、効率と条件で結びつけようとする態度が、
私はどうしても“下品”に見えてしまう。

●真理を語るとき、人は静かであった方が良い
「WIN-WINでいこう」と語ることで、かえって品格を落とすことがあるからです。
本当に信頼されている人、本当に尊敬される人は、
WIN-WINなどと言わずとも、自然に“共に歩める人間”であることを、
その姿勢と行動によって証明している。

それは、
「結果的にWIN-WINだったね」と、
あとから誰かが気づく“関係性の結晶”なのだ。

●お金が意味を持たなくなる時、人は何に救われるか
戦争、大災害、そして死の間際。
そうした極限状態では、お金も契約も無力になる。

そのとき人を支えるのは——
“この人とつながっていたい”と思える関係。

言葉を超えた、魂と魂の触れ合いだけが残る。

WIN-WINという響きには、
その“深さ”が、ない。
だから私は、その言葉を使わない。

「今日の格言」

信頼とは、言葉で交わすものではない。
黙って差し出した手に、そっと触れたときに生まれる。

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岩根央

何を先に入れるか―人生という名のビン

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何を先に入れるか―人生という名のビン

人は誰しも、ひとつの“ビン”を持って生きている
その中に、毎日、何かを入れていく――
時間、感情、出来事、出会い、思考、夢

だけど、そのビンは無限ではない
入る量には限りがあるのだ

まず入れるべきは、「ゴルフボール」のようなもの
家族、信頼できる友人、健康、魂の灯をともす時間
それがあなたの人生の“核”になるものたち

次に「小石」――車、仕事、役職、家
ある程度大切だけれど、最優先ではない
バランスを保ち、生活を彩ってくれる存在たちだ

そして「砂」
人の噂、SNSの反応、今日の天気、誰かの機嫌
ほとんどが一瞬で過ぎ去る小さなこと

もし砂から詰め始めてしまったらどうなるか
あっという間にビンはいっぱいになって、
大切な“ゴルフボール”たちは、もう入らなくなってしまう

時間とは、見えない資産
「今」をどう使うかが、
「未来に何が残るか」を決める

大切な人に会う時間を、
心から笑う瞬間を、
深呼吸する余裕を――
後回しにしていないだろうか?

そして、どれだけビンが満杯になっても、
最後にそっと注ぐ「ビール」のようなものがある

それは、気の置けない友との語らい
あたたかな夜のぬくもり
ふとしたときにこぼれる笑い声

それこそが、人生を“味わい深く”する最後の一滴

今日の格言
「人生は、何を詰めるかより、何から詰めるかで決まる」

今日あなたの“ビン”に、何を一番に入れますか?

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岩根央

大人と親の、静かなる境界線

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大人と親の、静かなる境界線

この世界には、「大人」と呼ばれる人がたくさんいます。
けれど、そのすべてが「親」になれるわけではありません。

「大人」とは、小さな人間(小人)が、ただ年数を重ねた存在。
知識は蓄えても、人格という”創造”を内側から築いていなければ、
それは時間が通り過ぎただけの存在に過ぎないのです。

一方、「親」とは何でしょうか。
単なる子育ての役割を超えています。
親とは、子どもを通して愛を知り、
宇宙の摂理の中に自分を置き、
命の連なりを”心”で生きた者のこと。

子どもは親にとって、「教え導く対象」ではありません。
むしろ、親自身が育まれるために与えられた
小さな師匠であり、鏡であり、光です。

本当の親は、子どもを育てながら、
“愛とは何か” “赦しとは何か” “信じるとは何か”を学びます。
そこには、単なる理屈を超えた、
根底から覆されるほどの真理があるのです。

愛と光に満ちた、静かなる創造の世界。
それが、「親」という存在が到達する、もう一つの宇宙です。

【今日の格言】

「年齢は大人を作るが、愛は親を育てる。」

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岩根央

自分という小さな星たち

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自分という小さな星たち/strong>

あなたが一つ、言葉を紡ぐたびに——
この世界のどこかに、小さな星が生まれます。

誰にも見えないけれど、
確かにそこに灯る、やわらかな光。

そして私が一つ、心を込めたとき、
目には見えない銀河に、そっと花が咲くのです。

それは争いも、競い合いもない、
ただ優しく響き合うだけの、静かな宇宙。

この世界では、
誰もが「ワンネス(ひとつ)」でありながら、
同時に、誰もがかけがえのない「ひとつの星」です。

私たちの人格とは、
たった一人にしか生み出せない、
独自の文化のようなもの。

誰かと同じに見えても、
心の奥には、まったく違う“世界”が広がっています。

それぞれの星が、自分自身の空を持ち、
誰にも代わることができない道を、今日も歩んでいるのです。

🌟今日の格言🌟

「自分を生きることは、小さな宇宙を一つ完成させること。」

あなたという星が、
今日も、誰かの夜空をそっと照らしています。

たとえ誰にも気づかれなくても——
あなたの光は、ちゃんと宇宙に刻まれている。

どうか、その輝きを信じていてくださいね。✨

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岩根央

鏡に映る “もうひとりの自分”

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『鏡に映る “もうひとりの自分”』/strong>

朝、あなたは今日の自分と「会話」をしましたか?
化粧のためでも、身だしなみチェックのためでもない。
たった数分、自分と”心で向き合う”という時間。

鏡というものは、不思議な存在です。
単に姿を映すだけではなく、
私たちの「内側の状態」をも浮かび上がらせてくれます。

実はこの鏡、
日本古来の思想では“神”の象徴としても扱われてきました。
「かがみ」から「が(我)」を取ると——
残るのは「かみ(神)」。

つまり、
“我”を手放すことで、
私たちは本来の「高次な存在」に近づいていくのです。

でも、それは簡単なことではありません。
私たちは日々、評価や不安、過去の記憶といった「我」に覆われて、
本当の自分の声を聴くことができなくなってしまう。

だからこそ——
鏡の前で、ただ“静かに在る”
これが、意外と深い時間なのです。

心の中でこう問いかけてみましょう。

「今日はどんな一日にしたい?」
「何に怯えている?」
「いま必要なことってなんだろう?」

最初は否定的な言葉が湧いてくるかもしれません。
でも続けていくと、不思議と静かに、
“やさしい声”が内側から聞こえてきます。

「少し疲れてるね。でも大丈夫」
「ちゃんと、やってるじゃないか」

この静かな対話ができた時、
あなたの中に眠っていた“直感”や“智慧”が目を覚まし始めます。
外に答えを探さなくても、
すでに自分の中に“灯り”はあるのだと気づくのです。

格言
「鏡とは、自分という宇宙を毎朝思い出すための“入り口”である」

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岩根央

売上の出せる人、仕事の出来る人、人間力のある人、これらは大きく異なる

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売上の出せる人、仕事の出来る人、人間力のある人、これらは大きく異なる

今から、少し貴重なお話をします。

この世界で「売上を出せる人」「仕事ができる人」「人間力のある人」。
似ているようで、実はまったく違う存在だということをご存じでしょうか。

まず──

売上を出せる人とは
売上を作る力とは、シンプルに言えば「相手のニーズを素早く見抜き、それに応える」能力です。
駆け引きの妙、スピード感、数字への貪欲さ。
ときに“押し”も必要でしょうし、自分を巧みに売り込む力も必要でしょう。

ただし、売上を上げられることと、人格の成熟とはイコールではありません。
売上至上主義になればなるほど、視野は狭まり、自分の都合だけを優先しやすくなるからです。

仕事ができる人とは
仕事ができるとは、効率よくタスクを捌き、周囲との連携を円滑に行い、
組織の中で機能する力を指します。

報告・連絡・相談、スケジュール管理、リスクヘッジ、改善提案──
いわば「社会人としての基礎力」に長けた人材です。

売上だけを追う人より、よりチームワーク志向で、組織への貢献度も高いかもしれません。
ですが、ここにも落とし穴があります。
完璧な“仕事の遂行”が、必ずしも“本当の信頼”や“心の成長”を生むとは限らないのです。

そして──人間力のある人とは
ここが最も大切なところです。

「人間力のある人」は、売上が出せる・仕事ができるという次元を超えています。
言葉にすれば、それは【利他の精神】を持ち、【謙虚に学び続け】、【自らを律する】人。

売上が立たない時でも、人を責めず、自分を磨く。
チャンスを奪うのではなく、与える。
目先の勝ち負けよりも、”誇り”と”陰徳”を積むことを優先する。

つまり、
「数字を作るために動く人」と、
「魂を磨くために生きる人」は、まったく違う存在なのです。

どれほど売上を上げても、どれほどタスクを完璧にこなしても、
心が乾いているなら、それは本当の意味での「成長」とは言えません。

人間力とは──
孤独に耐え、誘惑に負けず、誰にも見られていないところで美しくあろうとする力。
小さな「ありがとう」を心から言える人。
失敗しても、人のせいにせず、自らの未熟を受け止められる人。

そんな人にだけ、人生は「深い信頼」という報酬を授けます。

「売上は他者が測るもの。仕事は組織が測るもの。
 だが、人間力だけは、魂が静かに自らに与える勲章である。」

最後に。
このブログを読んでくれているあなたに、そっと問いかけます。

今、あなたは
「何を得たいから、働いていますか?」
「誰に見せるために、生きていますか?」

数字の先にある、人間としての輝きを。
あなた自身のために、磨いていきましょう。

きっとその道こそ、人生で一番価値のある旅なのだから。

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岩根央

AIはビジネスを加速させるか

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AIはビジネスを加速させるか

気づけば、AIという言葉が私のビジネスのど真ん中に入ってきて、もう1年と少しが経ちました。
最初は「使いこなせるか?」がテーマだったはずが、今では「どこまで任せるか?」に変わってきたようにも感じます。

けれどここで、ひとつだけ大切なことを思い出したい。

AIは自分の分身ではないし、代わりでもない。
共に歩む“相棒”であるということ。

依存すれば、自分の筋力は弱くなっていきます。
AIが答えを出してくれる安心感の中で、自分で考える力を手放してしまえば、それは“便利”を通り越して、“危うさ”になります。

でも、もし共創できたなら——
AIが照らすのは、私たち自身がまだ知らなかった“可能性の地図”です。
そして、その地図のどこへ進むのかを決めるのは、やっぱり人間の心なんです。

💡 AIに与えた言葉は、やがて人の行動を映し出す鏡となる。

AIを「道具」と見るか、「対話相手」と捉えるかで、未来はまったく違った景色を見せてくれます。

ビジネスにおいても同じことが言えるでしょう。

AIを“手段”と捉える人の行動は効率を生み、
AIと“共創”しようとする人の行動は、感動や共鳴を生みます。

つまり、
AIがビジネスを加速させるのではありません。
人間がAIとどう向き合うか——それがビジネスを変えるんです。

今ここに、未来を創るための“問い”があります。
あなたはAIを、どんな存在にしますか?

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岩根央

仕事は人生の自己完成への導き

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仕事は人生の自己完成への導き

「自己実現」という言葉があります。
でも、その先にあるものを、あなたはご存じでしょうか?

実はその最上段にあるのが——
“自己完成”という境地です。

自己実現は、自分の願いや理想を叶えるステージ。
一方で、自己完成とは、人生を通して培ってきたすべてを昇華し、誰の評価も必要としない、深く静かな充足感を得る地点なのです。

その道の途中にあるのが、そう、「仕事」です。
仕事とは、単なるお金を得る手段ではありません。
社会と関わり、誰かの力になり、自分の内側と向き合う。
それを、毎日、毎日、繰り返すことで磨かれていく“心の道場”なのです。

時に、やる意味が見えなくなる日もあります。
報われない努力にため息をつく夜もあります。
でも、そこで諦めるのか、それとも問い直して歩き出すのか。
——この違いが、“頂点”へ続くかどうかを分けます。

仕事は神様に与えられた最高の試練、いや、ギフトなのです。
その意味に気づいたとき、私たちは仕事を「こなすもの」ではなく、
「いただいたもの」として大切に扱うようになるのです。

「自己完成」とは、特別な人だけが到達する世界ではありません。
けれど、そこへ続く道に気づき、選び、歩き続けられる人は、実はとても少ない。

目の前の仕事が、どんなに小さく見えても、
それを愛し、誠実に向き合い続けることが、
やがて、あなたを人生の“完成形”へと導いてくれるのです。

もし、今、迷っているなら問いかけてみてください。

「この仕事は、今日の自分を、昨日よりも美しくしただろうか?」

その問いの繰り返しが、
あなた自身という名の作品を完成させていくのです。

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岩根央

働く意味は何だと思いますか?

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働く意味は何だと思いますか?

「何のために働いているのだろう?」

ふと、そんな問いが胸をよぎることがあります。
生活のため、お金のため、家族のため——
それはきっと、どれも間違いじゃない。
けれど、それだけで終わるには、
あまりにも“生きる”ということは、深いのです。

人は、働くことを通して
「自分」という存在の輪郭をなぞっていく。
誰かに「ありがとう」と言われたとき、
ほんの少し、心がふわっと軽くなるのは、
自分の中に「役立てた実感」が芽生えるから。

仕事とは、単なる労働や作業ではなく、
誰かの困りごとを解決し、
社会という名の大きな織物の、
どこか一部分を丁寧に織りあげている行為です。

成功とは、お金を積み上げることではなく、
“感謝の総量”を受け取れる人になること。
お金はその“ありがとう”が形になったものにすぎません。
だから、働く意味は「稼ぐこと」よりも、
「価値を届けること」にこそ、宿るのです。

さらに、人生の達人たちには共通点があります。
それは——

・変化を恐れない
・自ら決断し、責任を受け入れる
・素直に学び、成長し続ける

この3つは、「働く」ことだけでなく、
“どう生きるか”の姿勢そのものです。

もし、今少しだけ働くことがつらくなったら、
ちょっと立ち止まって、こう考えてみてください。

「自分は、今日誰のために力を使っただろうか」
「この一日が、誰かの役に立っていたらうれしいな」

働く意味とは、
“自分という存在が、誰かの明日を少しだけあたたかくする”
そんな静かなよろこびを、日々重ねていくこと。

人生哲学者レン君としては、
それこそが、働くことの本質じゃないかと思うのです。

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岩根央

愛せない自分を、責めないで

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愛せない自分を、責めないで

「五体満足」と「幸せ」

私たちはつい、この2つがセットであるかのように思い込みます

でも現実には、体に何の不自由がなくても、「幸せを感じたことがない」という人もいます

ある人は、幸せホルモンが脳でうまく分泌されないという、目に見えない障害を抱えていました

そんな事実を知らなければ、人は彼にこう言うかもしれません

「健康で、贅沢もしてないのに、何が不満なの?」と

でも、私たちは見える部分しか見えていないのです

体が元気でも、心や脳の中に、静かに、深く、誰にも気づかれない痛みを抱えている人がたくさんいます

例えば、強い自己愛

それもまた、本人の“性格の問題”ではなく、
過去の家庭環境や、親との関係の影響かもしれません

「身から出たサビ」ではなく、「親から受け取ったサビ」――

そう考えると、少しだけ優しくなれる気がしませんか?

愛情をたっぷり注がれた子は、人への思いやり=“他愛”を自然に身につけていきます

でも、自己愛の強い親に育てられた子は、「愛すること」を知らないまま、大人になることがあります

他人を大切にするには、まず“自分”を大切にできなくてはなりません

でも、自己愛とはちがう、ほんとうの意味での“自分への愛”

それは意外にも、一番むずかしいものかもしれません

よく「まずは自分を愛して」って言うけれど、
――できないから苦しんでるんですよね

だから、今日ここに書きたいのは一つだけ

「自分を愛せないあなたを、あなた自身が責めなくていい」ということ

それだけで、人生はほんの少しずつ、変わっていきます

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岩根央

歩き続けるという才能

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歩き続けるという才能

人はよく「才能がない」と言います

絵が描けない、数字に弱い、人前で話すのが苦手…

でも、本当の“才能”とは、何かを特別にできることではありません

一歩を踏み出し、そして“歩き続ける”こと

これこそが、見落とされがちな最大の才能ではないでしょうか

途中で道に迷ったり、疲れて座り込んだり、
時には誰にも気づかれず、進んでいる意味すら見失う日もある

それでもやめずに、歩き続ける

転んだら、立ち上がる

それを何年も続けている人がいる

それだけで、もう“すごい”のです

歩き続けるには、“人間力”が必要です

周りと比べず、自分にとっての歩幅を知ること

時に誰かに助けを求め、誰かを励ましながら進むこと

それは、弱さの裏返しではなく、強さの証明です

そして、“継続”は“成長”の入り口

できなかったことが、できるようになる日が来る

それが、奇跡ではなく、毎日の積み重ねだと知った時、

人は、自分の歩いてきた道に初めて感謝するのです

だから今日も、小さな一歩でいい

どこかで見てくれている存在がいなくても、
それでも、歩いているあなたは、もう十分に“才能の塊”です

止まりたくなる日があっても大丈夫

歩き出した、その“意志”こそが、
あなたの人生をつくっているから

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岩根央

人の心は生き物である

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人の心は生き物である

人の心は、形のない“生き物”のようなものです。

いつも同じように見えて、
昨日と今日では、ほんの少し違っている

数年前に信じていたことが、今では色あせて見えることもあるし、
かつて毛嫌っていた相手に、ふと感謝の気持ちが芽生えることもある

変わってしまった自分を、
「ブレている」と責める人もいるかもしれません

けれど、それは“心が生きている証拠”なのです

変わることは、哀しくもあります

かつての情熱や、誰かへの想いが、遠ざかってしまうから

でも、それ以上に喜ばしいことでもある

変わるからこそ、人は優しくなれる

成長できる

そして、また新しい誰かに、何かに、
出会える心の余白が生まれるのです

私たちは、誰もが“変わる存在”として生まれた

だからこそ、「変わらないでいよう」とするよりも、
「変わりながら、大切なものを見失わないでいよう」と思えたら、
それだけで人生はずっと豊かになる気がします

人の心は、生き物です

季節のように巡り、
風のように揺れて、
光のようにまた誰かを照らしていく

その変化こそが、
人間であるという何よりの証

今日、少し違う自分に気づけたなら、
それは生きているということ

それだけで、十分に尊いことなのです

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岩根央

生きるとはなにか

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生きるとはなにか

人生とは、“選択の連続”だ

それは、今日の服を選ぶことから、誰と過ごすか、どんな言葉を発するか、
すべてにおいて私たちは自分自身を形づくる「選択」をしている

ただし、誤解しないでほしい

重要なのは、どこにたどり着くかという「終着点」ではない

大切なのは——
「選んだ道でどう生きるか」だ

何かが起きたとき、
それにどう反応するかで、その人の器が決まる

不運に見舞われた人が、その経験を“力”に変えることもある

成功した人が、それを“傲慢”に変えてしまうこともある

つまり、人生は「出来事」ではなく、
それに対して“どんな意味を与えるか”で創られているのだ

雨が降っても、傘を差して歩ける人は前に進める

風が吹いても、帆を張れる人は目的地を見失わない

生きるとは、
「何が起きるたか」よりも、
「何かが起きたときに、それにどう向き合うか」を、
自分の力で選び取っていくプロセスである

選択する勇気

対処する知恵

そして、その連続の中に、人生という“奇跡”がある

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岩根央

スピリチュアルの科学的視点

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スピリチュアルの科学的視点

「スピリチュアル」という言葉に対して、私たちはどのような感情を抱くでしょうか

ある人は心の拠り所と捉え、ある人は“怪しい”“非科学的”といった拒絶反応を示します

その差を生むものは、知識の有無ではなく、“体験”の有無であることが多いのです

まず明確にしておきたいのは、スピリチュアル=非論理的、ではないということです

そもそもスピリチュアルという語源は「spirit=精神」に由来します。つまり“目に見えない心の領域”を指しており、心理学や量子物理学とも重なる概念を含んでいるのです

たとえば、「引き寄せの法則」

”思考が現実を引き寄せる”というスピリチュアルな教えは、脳科学における**RAS(網様体賦活系)**の働きと非常に似ています

私たちが強く意識したものを脳がフィルタリングして“現実”として認識しやすくなるという現象です

これは、目に見えない思考と、科学的な脳の機能がつながっている証でもあります

また、人間の意識がモノに影響を与える可能性についても、近年の量子力学では注目されています

「観測することで結果が変わる」という量子実験は、まさに“見えない領域”が現実世界に介入していることを示唆しています

つまり、「スピリチュアル=非科学的」という先入観や偏見は、
“知らないこと”を“正しくないこと”と決めつけているだけなのです

むしろ、これからの時代は“見えないもの”をどう扱えるかが、
人間としての成長の鍵になっていくのかもしれません

心、直感、波動、意識、言霊…

それらを軽んじてきた時代から、
いま一度、耳を傾けてみるタイミングが来ているのではないでしょうか

誰かを救うものは、必ずしも“見えるもの”だけではありません

“信じる”という行為自体が、実は、最も人間らしく、最も科学的な営みなのかもしれません

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岩根央

自分のことしか考えられない人の特徴

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自分のことしか考えられない人の特徴

人間関係がうまくいかないとき、
私たちはつい「相手が悪い」と感じてしまいがちです

けれど、もしかするとそれは、**“自分のことしか考えられない状態”**に
なってしまっているサインかもしれません

そういう人には、いくつかの共通点があります

まず、幼児性が強く残っているということ

これは年齢に関係ありません

自分が満たされること、自分が認められること、
“自分がどう見られているか”にばかり意識が向いてしまう――
まるで、子どもが「見て見て!」と求めるように

また、他人にあまり興味がないのも特徴のひとつです

誰かの考えや気持ちより、
“自分がどう感じたか” “どう受け取ったか”ばかりを中心にしてしまいます

そして最も顕著なのは、
「相手の立場を想像しようとしないこと」

それは意地悪ではなく、
ただ単に「そういう発想が無かった」ということもあります

でも、だからこそ、気づいた人から優しくなれるのです

🌱では、どうすればいいの?

まずは、“自分”という視点から一歩だけ外に出てみましょう

大きなことじゃなくていいんです

今日出会った人に、ひとことだけ「ありがとう」と伝える

誰かの立場に立って、一度深呼吸してみる

スマホの画面を見る前に、すぐそばにいる人の顔を見てみる

そうすることで、
少しずつ心のアンテナが広がっていきます

人と人は、想像力と優しさで繋がれる

自分のことでいっぱいいっぱいなときほど、

ほんの少し“他者の世界”を覗いてみる

それだけで、人生は豊かに、
そして柔らかく変わっていくのです🌼

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岩根央

非常識という常識

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非常識という常識

人は、知らず知らずのうちに
“先入観”と“偏見”という名のフィルターをかけて世界を見ています

それは「当たり前」と呼ばれ、

時に「常識」として疑うことすらされない

けれど、地球をひと回りしてみれば、

文化も価値観も生活様式も、驚くほど違う

つまり、“常識”は、ただの地域限定の“慣れ”でしかないのです

非常識に見えるものは、本当に非常識なのでしょうか?

ただ、自分が知らなかっただけではないでしょうか?

「そんなことは非常識だ」
「それは普通じゃない」

その言葉の裏には、変化を拒む“怖れ”が潜んでいます

でも、本当の自由とは、その“怖れ”から解き放たれた先にあるのです

世界には、無限の“常識”が存在します

それは、「正しい」「間違っている」という線引きではなく、

どれもが、ある場所、ある人たちにとっての“自然な流れ”

だからこそ――

常識に囚われすぎてはいけない

新しい可能性は、いつも「非常識」という扉の向こうにある

あなたの“非常識”が、
誰かにとっての“希望”になるかもしれません

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岩根央

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