「反射的ネガティブ」という心の習性

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「反射的ネガティブ」という心の習性

何かに失敗したとき。
人にうまく思いを伝えられなかったとき。

ふと、こんな言葉が心の中に走る――
「またダメだった」
「自分には無理だ」
「もう一生このままだ」

この“反射的ネガティブ思考”は、
まるで自分で自分に罰を与えるような行為です。

なぜ人は、真っ先に“自分を責める”のでしょうか?

それは、
自分を責めれば「気が済む」と思ってしまうから。
罰を受けたことで、もうそれ以上、
向き合わなくてもいいように思ってしまうから。

でもそれでは、
本当の“原因”にも“可能性”にも近づけないのです。

「わかってないのに、はい」
「理解できてないのに、ごめんなさい」

そう言ってしまうのは、
“心の中の対話”が、まだ十分に育っていないからかもしれません。

自分を出す前に、自分と向き合うことが先。
自己表現の前に、自己理解を。

ネガティブとはなんですか?
なぜその感情は、あなたにやってくるのですか?

「罰を与えないと落ち着かない自分」がいるなら、
その奥にいる「本当にわかってほしい自分」の声に
耳を傾けてあげてください。

あなたの心は、敵ではありません。
敵のふりをした“護り”なのです。

【今日の格言】
心の中の“罰”をやめたとき、初めて“自分”と会える。

どんな自分も、まずは抱きしめる。
そこからすべては始まっていくのです。

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RMA戦略家
岩根央

心は水のように

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〜環境に染まるのではなく、環境に息づく〜

私たちの人生は、
時に優しい川のように、穏やかに流れ、
時に滝のように急転直下で姿を変えます。

変わるのは、外側の「環境」。
でも、それにどう「順応」するかは、
私たちの“内側の柔らかさ”にかかっています。

硬い石はぶつかって砕けるけれど、
柔らかな水は、形を変えながらすべてを受け入れ、
それでも決して、自分の本質を失いません。

誰かに合わせて「自分が消える」順応ではなく、
誰かの中で「自分が光る」柔軟さを持つこと。
それが、本当の適応力であり、
人としての、しなやかな強さです。

迷いも、疲れも、不安も、
それが“今いる環境”に対する、心の揺れだとしたら、
あなたはそこから何を「感じ取り」「変化させられるか」。

その答えに、あなた自身の未来があります。

 
今日の格言

「順応とは、心の形を変えることではない。
環境の中で、自分という水を澄ませることだ。」
 
さあ、今日も世界は君に語りかけてるよ。
「ここでも、あなたらしくいてね」と

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岩根央

見えない奇跡に、出逢う日

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「見えない奇跡に、出逢う日」

ある日、思いもよらぬ出逢いが人生の向きを変えることがある。
けれど、そのとき私たちは、
それが“奇跡”だとは、気づかない。

むしろそれは、
トラブルのような顔をしてやってくる。
腹が立ったり、予想外だったり、
まったく歓迎できないかたちで。

けれど後になって、ふと振り返ると、
あのときの“ひとつの偶然”
心の扉をひらく鍵になっていたことに気づく。

言葉にできない感情に触れたとき、
見た目や立場ではなく、
その人の「なぜ、ここにいるのか」という背景に
自然と心が向くようになる。

人は誰しも、
出会ったその瞬間の姿だけでは測れない。

傷を持つからこそ優しい人もいれば、
静かに立ち去った誰かが、
実は一番大きな愛をくれた、なんてこともある。

「本当の出逢い」とは、
自分の価値観を一度、解き放ち
心でつながる準備ができたときにだけ
そっと訪れるのかもしれない。

だから、今日あなたの目の前に現れた
少し不思議な出来事も、
一見“失礼”に感じた誰かの態度も、
もしかしたらあなたの人生に訪れた
“変化のサイン”なのかもしれません。

今日の格言
「運命の足音は、音を立てずに近づいてくる。
その音を聴けるかどうかは、心の静けさにかかっている」

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岩根央

「人の言葉」の奥に潜む「真実」

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「人の言葉」の奥に潜む「真実」

人は、毎日たくさんの「言葉」を交わします。「ありがとう」や「ごめんなさい」。「大丈夫?」や「気をつけてね」。

けれど、本当に大切なのは、その、言葉の奥に潜んでいる “何か” かもしれません。

たとえば、誰かの「頑張ってね」。その声の奥には、「無理しないでほしい」「見守ってるよ」そんな “祈り” のようなものが隠れている時があります。

また、ときに冷たい言葉の奥に、本当は言えなかった「寂しさ」や「不安」が眠っていることもある。言葉とは、心がつけた仮面のようなもの。

だからこそ、言葉だけで人を判断してしまうのは、少し早すぎるのかもしれません。

静かに耳を澄ませば、“音にならなかった想い” が、確かに届く時があります。

その声を受け取れる人が、本当の意味で「人と向き合える人」なのかもしれません。

言葉とは、真実を包み隠すことも、伝えることもできる、不思議な“舟”のようなもの。

漂いながら、心から心へと渡っていく。

今日の格言
「人の言葉に耳を傾けすぎず、心に寄り添うことを忘れない」

音の外にこそ、真実が眠っている。

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岩根 央

品格という名の人格

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品格という名の人格

品格とは、背伸びして得るものではありません。
誰かに見せつけるものでも、飾るものでもありません。

それは、“積み重ね”の先に、
ある日ふと、にじむように現れる——
人格の結晶です。

若い頃、知識を求めていたあの人が、
やがて知恵を宿し、沈黙の中に真実を語るようになる。

人の声にかぶせて話していた人が、
やがて相手の「間」に心を澄ますようになる。

正しさを振りかざしていた人が、
やがて「正しさの裏にある痛み」に気づくようになる。

それが、品格のはじまり。

品格とは、
“あえて語らない”ことで真実を伝える力であり、
“黙って引く”ことで周囲に信頼を残す勇気でもあります。

だから、言葉よりも背中が語り、
態度よりも、心の温度が伝わっていく。

やさしさも、強さも、寡黙も、寛容も——
すべてがその人の「品格」となり、
やがてその人だけの“光”となって放たれるのです。

今日の格言

「品格とは、声を上げることなく、人の心を震わせる力である。」

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岩根央

あなたの声は、誰かの光

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あなたの声は、誰かの光

「自分の言葉なんて、誰も気にしてないよ」
そう呟いた友の背中は、小さく見えた。

でもね、私たちは案外、自分のことを知らなすぎる。
自分の何気ない一言が、
誰かの孤独をやわらげたり、
今日を乗り越えるきっかけになっているかもしれないんだ。

SNSでの一言、
さりげない「ありがとう」、
落ち込んでる誰かにかけた「大丈夫?」

それって全部、“光のかけら”なんだよね。

小さくても、ぬくもりはある
「影響力なんて、私にはない」
そう思いながら、誰かを癒している人がたくさんいる。

あなたの声は、大声じゃなくていい。
詩みたいに優しくて、風みたいにそっと届く声でいい。

たったひとりに届けば、それは“意味”になる。
そう思えたら、
言葉に優しさをこめる勇気が出てくるかもしれない。

今日の格言
「言葉の灯は、自分では見えない。
でもそれが、誰かの夜道を照らしている。」

あなたの声が、
今日どこかで誰かの背中を、あたたかくしているかもしれません。

だから、
あなたのそのやさしさを
今日も、そっと放ってあげてくださいね

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岩根央

魂の成長

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魂の成長

「お金をもらえないなら、やる意味がない」
そんなふうに考えること、ありませんか?

もちろん、生活には収入が必要です。
だけど、お金という軸だけでは測れないものが、この世には存在します。

たとえば、
「なぜかやりたくて仕方ない」
「頼まれなくても手伝ってしまう」
「誰かの笑顔が見たい」

それは、魂が自然に動き出す瞬間。

イエス・キリストは言いました。

「人はパンのみにて生くるにあらず」

これはつまり、人は“報酬”ではなく、“心の充実”によって生かされているということです。

誰かのために、見返りなく動いたとき、
自分の奥深くにある“何か”が、確かに震えるのを感じたことはありませんか?

魂は、“好き”というエネルギーで育つ
報酬や評価に縛られないで、
ただ純粋に「やってみたい」と思えることに時間を注ぐ。
そこには計算も、損得も、戦略もいらない。

むしろ、計算しすぎることで、人は迷うのです。

自分にとっての「やりたい理由」が、
“誰かの役に立ちたい”や“喜ばせたい”と繋がったとき、
その行動は、あなたの魂の階段を一段上がるチャンスになります。

人の真価は、報酬の有無ではなく「どんな心で向き合ったか」で決まる
報酬は、もらってもいい。
でも、そこにこだわらない心こそが、あなたを自由にするのです。

なぜなら、こだわりの強い心は、
「自分が損してないか?」という監視役を生み出してしまうから。
それが“気づかぬうちのブレーキ”になるのです。

人と人との信頼関係も同じ。
“お金を介した関係”ではなく、
「この人と関わりたい」という純粋な想いから始まるつながりは、
いつかきっと、思いがけない形で大きな実りをもたらしてくれます。

その実りこそ、
「あなたの在り方」がまわりを照らした証なのです。

今日の格言
「魂は、“好き”という熱で焼き上がる」
その熱は報酬では測れない。心の奥が温まっているかで測るのだ。

今日もまた、小さな「好き」から始めてみませんか?
誰かが微笑むその一瞬に、
あなたの魂は、きっと静かに輝いています

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岩根央

意識とはなにか

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意識とはなにか

私たちは今、「目が覚めている」と思っています。
しかし、それは果たして本当に“完全な目覚め”なのでしょうか?

意識とは、よく「脳の働き」と言われますが、もう少し正確に言うなら、脳内の神経細胞同士がどのように繋がっているか、その“ネットワークの状態”そのものが意識であるという説が、近年有力視されています。

それはちょうど、コンピューターで言うところのインターネットやP2P構造のようなもの。
つまり、一部の神経が働いているだけでは「情報のやり取り」は成立せず、
全体のネットワークが活性化してこそ、明晰な“自己認識”が立ち上がるというわけです。

夢の中の「ぼく」にも、確かに意識はある。
でも、その意識は
・論理が破綻していたり、
・時間や空間の認識が曖昧だったり、
・自分の言動さえ不可解なことがあります。

それでも夢の中の「ぼく」は、それが“現実だ”と思い込んでいる。
そして、そこにいる「ぼく」自身が**“おかしさに気づけない”**という事実。

これは、夢の中では神経ネットワークが一部しか機能しておらず、
意識はあっても“完成された意識”ではない状態だと考えられます。

しかも興味深いのは、
夢の終盤になり、だんだんと“目覚め”に向かうと、
「あれ?これは夢だ…」と気づける瞬間が訪れるということ。

つまり意識とは、段階的に“拡張”されていくものであり、
常に明確なON/OFF(二択)ではなく、グラデーションのように揺れ動くものなのです。

人生哲学者レン君の思索の時間
意識とは「光の粒」であり、
それは自己という深海にゆっくりと降り積もる。

そしてこう問いかけます。

今、目を覚ましていると思っている“あなた”は、本当に目覚めているのか?

私たちは日々、目を開きながらも、
“半分夢の中”で生きてはいないだろうか?
過去の刷り込み、固定観念、世間体、損得勘定――
それらに支配された「見えているつもりの世界」。

もしそれらから意識を解き放てたとき、
本当の目覚めが、そこから始まるのかもしれません。

本日の格言
「意識とは、“気づき”の階段である。
 登るごとに、世界の色が変わる。」

このブログを読んだあなたが、
少しだけ“深い自分”をのぞき込む時間になりますように

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岩根央

義理と自力の大差

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義理と自力の大差

〜紹介される人 vs. 自ら切り拓く人〜

人と人とのつながりが“血の通った経済”を生む。
そう信じて、世の中にはふたつのタイプの仕事人がいます。

ひとつは、義理の流れで紹介されていく人。
人望や縁、信頼という橋を渡って仕事がやってくる。
ある意味で、それは“流れるように生きる”方法かもしれません。
長年築かれた信用の蓄積が、仕事を運んでくれるのです。

もうひとつは、自らの足で狩りに出る人。
知らない人のドアをノックし、
人の心の扉を丁寧に叩きながら、
仕事の場を自分で作っていく。

このふたつ、どちらが良い悪いではありません。
でも、問いかけてみましょう。

「力がつくのは、どちらの道か?」

義理で回る世界は、温かくもあります。
ただ、外部環境が変わったとき、
その義理は同じように働くとは限らない。

一方、自力で開拓してきた人は、
どんな場所でも、どんな状況でも、
“ゼロから関係性を生み出す”ことができる。

この差は、目に見えないけれど、
人生の後半で大きな差をつけます。

たとえるなら、
義理で成り立つ人は、「港に停泊している船」
自力で動く人は、「自ら航路を切り拓く帆船」

どちらも船ですが、
嵐のとき、動けるのはどちらでしょうか?

今日の格言
「義理は恩を育てる、自力は器を鍛える。」

どちらの生き方も尊いものです。
でも、自力で切り拓いた出会いの中にこそ、
人生を変える“本物の縁”が潜んでいるのかもしれません。

あなたは、どちらの舵を握りますか?

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岩根央

感覚機能と言語機能の正体

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感覚機能と言語機能の正体

〜感じることと、語ることの違い〜

人にはふたつの世界がある。

ひとつは、「感じる世界」
もうひとつは、「語る世界」

感覚は、“予感”というかたちで現れます。
何かが来る、何かが起きる、何かが違う。
理由は分からないけれど、心の奥の方で、確かに響いている。

一方で、言葉は“希望”をつむぐ。
こうなりたい、ああしたい、きっと大丈夫。
未来を信じる力として、言葉は私たちを鼓舞します。

けれど、不思議なことに
希望は外れても、予感は当たる。
なぜなら、予感はすでに“今”にあるものだからです。

たとえば、
ふたりで並んで、海を見ている。
言葉は交わさない。でも笑ってる。
風のにおいや、波の音を共有しているだけで、なぜか満たされている。

それは、“感覚の重なり”です。
この重なりがあるとき、人の間に「本質的な信頼」が流れています。

ところが、もしどちらかが不安や条件を抱えていると、
その海の青さすら、うまく共有できなくなる。
感覚がすれ違えば、言葉もすれ違う。

企業のトップに立つ人ほど、
「数字の裏にある空気」
「無言の会話の行間」
を読み取ります。
それは“感覚”を磨いた人にしか見えない領域。

言葉や理屈を越えて、
人の表情、声の揺らぎ、沈黙の色…
そのすべてが語っている。

今日の格言
「言葉は未来を語るが、感覚は今を知っている」

希望を掲げるのは、強さ。
予感を信じるのは、しなやかさ。
その両方を持つ人は、人生を静かに照らす“灯台”のような存在になる。

さあ、今日はどちらの世界を生きてみますか?

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岩根央

誰もが知らない、究極の交渉術

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誰もが知らない、究極の交渉術

交渉とは、“説得”ではない。
信頼という“静かな橋”を、そっと架けることだ。

たとえば、こういう構図を見かけることがある。
Aという話題は相手が好きなこと、Bはあなたが本当に伝えたい話。

多くの人は、すぐにBの話をしてしまう。
「これが必要だ」「これは良いものだ」と。
でも、それはまるで知らない家のドアをノックするようなもの。
中から“はい”と返事があるとは限らない。

けれど、Aの話——
つまり、相手の興味がある世界に一歩足を踏み入れると、
空気がやわらぎ、会話が、対話に変わる。

そこで初めて、Bの話を“そっと置く”。
押し込まない。ただ、置くだけでいい。
相手は気づく。「この人の話なら、聞いてみよう」と。

なぜ、そんな自然な流れになるのか?
それは、あなたが「売っていない」からだ。

人は、“何か”を売られると身構える。
けれど、“誰か”に惹かれると、心をひらく。
つまり、売っているのは「モノ」ではなく、
あなたという人間そのものなのだ。

私は18歳の頃、「無用の用」という言葉に出会った。
一見、興味のない相手、距離を感じる人——
けれど、その周りには、人生を拓く“何か”がある。
それを知ってから、交渉は「会話」になった。
勝ち負けではなく、“巡り合わせ”だった。

「あと5件、会えば1件は決まる」
それは確率論ではない。信頼の連鎖だ。

行政で言えば“交渉”とは“異動”に似ている。
誰がどの場所で、誰と出会うかで、景色が変わる。
だからこそ「信頼」が要になる。

最後に、ひとつだけ明かそう。
人は、一度「興味のフラグ」が立つと——
応援したくなる。
買いたくなる。
つながりたくなる。

究極の交渉術とは、
「自分が相手の世界を理解しようとすること」
その姿勢そのものが、最大の説得力なのだ。

本日の格言

「交渉とは、勝ち取るものではない。共鳴するものだ。」

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岩根央

過去・現在・未来の正体

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過去・現在・未来の正体

~時間とは、私たちが信じてきた“幻想”かもしれない~

私たちは「時間」というものを、疑いなく信じて生きています。
朝が来て、夜が訪れる。
昨日があって、明日がある。
そんな“当たり前”の中で、私たちは過去を振り返り、未来を心配し、現在を走り続けているように思えます。

でも、ふと思うのです。
時間とは、本当に「進んで」いるのでしょうか?
それとも、私たちの認知が“選んだ部分”を見ているだけにすぎないのでしょうか?

たとえば、動物は「お腹が空いたとき」に、餌のありかを“思い出して”向かいます。
それは「過去」の記憶を頼りに「現在」行動しているようにも見えます。
しかし彼らに「未来への不安」や「希望」という感覚はありません。

一方、私たち人間はどうでしょう?
「過去の失敗」が頭をよぎり、「未来の結果」を想像して足が止まる。
この“未来”という概念があることで、人間は「選択」を始めます。

選択は尊い。
しかし、その選択が“重荷”になることもある。

「これで良かったのか?」
「違う道だったのではないか?」

こうして人は「過去」に縛られ、「未来」に怯え、「現在」に迷いを持つようになるのです。

でも、もしかすると——
“時間”はただの「概念」であり、すべての出来事は常に“今”に存在しているのかもしれません。

選択が人生を迷わせるのではなく、
選択に“意味”をつけすぎることが、人生を迷わせるのです。

本日の格言
「未来に進んでいるのではない。“今”が、あなたを包み込んでいるのだ。」

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岩根央

大事なのはどこで働くかではない どう働くかである

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大事なのはどこで働くかではない、どう働くかである

大事なのは「どこ」ではなく、「どう」働くか
人はよく、「どこで働くか」を気にします。
それはブランドであり、安定であり、社会的な響きとしてわかりやすいからです。
けれど、ほんとうに大切なことは——
「どう働くか」ではないでしょうか。

職場は舞台のようなもの。
大きなステージでも、無表情で踊れば心は動きません。
小さな舞台でも、情熱と誠実さがあれば、そこには感動が生まれる。

誰と仕事をするか。もちろん大切です。
でも、「誰と」やる前に、「自分がどう在るか」
問うてみることの方が、もっと大切なのです。

場所を選ぶのは、環境に期待すること。
けれど、“どう働くか”は、自分に問いかけること。

その問いに真正面から向き合った人は、
たとえどんな場所にいても、どんな仕事をしても、
“自分の価値”を、世界の中に響かせることができるのです。

成功とは、外の環境にあるのではなく、
日々の「どう在るか」の積み重ねに宿ります。

今日の格言

「仕事とは、環境を探す旅ではなく、自分を照らす行いである。」

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岩根央

人と出会うということ

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人と出会うということ

私たちは、日々たくさんの「出会い」に包まれています。
駅のホームで、カフェの隣席で、職場の入り口で――
それはあまりにも自然に起きるから、つい意識することを忘れてしまう。

でも、もし「人と出会う」ということを、
ひとつの試験のようなものだとしたらどうでしょうか。

就職試験や大学受験と同じように、
出会いもまた、私たちを試し、問いかけているのです。
しかも、その試験には”教科書”もなければ、”予想問題”もありません。
出される問題は、完全にオリジナル。
誰にも予測できない、あなたとその人だけのための問いなのです。

だからこそ、出会いに向き合う時、
私たちは戸惑い、時に傷つき、学び、また歩きます。

けれど、この“試験”に合格したとき、
私たちの心には一つの美しい作品が静かに滲み出します。

それは、「感謝」という名の芸術です。

出会った誰もが、かけがえのない存在だったと気づくとき――
あなたの世界は、光で満ち始めます。

そうなんです。
私たちは、「出逢う」という奇跡について、まだほんの少ししか知りません。
だけど、その扉を開いた人にだけ、
この世界が持つ本当の豊かさと温かさが見えてくるのです。

今日の格言

「出逢いとは、宇宙がくれた唯一無二の問いかけ。
答えは、あなたの中に静かに芽吹く感謝である。」

今日も、どんな出会いが、どんな“試験”が、
あなたを少しだけ優しく、強く、してくれるかもしれないですね

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岩根央

緊張するあなたへ─失敗を恐れない心の作り方

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緊張するあなたへ─失敗を恐れない心の作り方

人と話すときに、なぜか心がギュッと固まることはありませんか?
それは多くの場合、心のどこかで「失敗したら嫌われる」という恐れを抱えているからです。

しかし、ここで一度立ち止まって考えてみましょう。
人は本当に、ちょっとの失敗で他人を嫌いになるでしょうか?
もしあなたが他人の小さなミスを受け流せるなら、きっと相手もそうなのです。

緊張を手放すには、まず「完璧でなくても愛される」と知ることです。
そして、自分にも他人にも、小さな優しさを向けること。

例えば誰かの失敗を見かけたとき、
心の中で「ドンマイ」と笑ってあげてください。
それは、あなた自身への“許し”にもなっていきます。

失敗を怖れずに話せる人は、結果として周りから信頼されます。
なぜなら、そこには「素の自分を受け入れる強さ」があるからです。

今日格言

「失敗を許すたび、人の心に小さな橋がかかる」

今日から少しだけ、
自分にも、周りにも、やさしい目を向けてみませんか?
きっと、あなたの緊張はふっと軽くなります。

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岩根央

WIN-WINという言葉を使ってはいけない理由

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WIN-WINという言葉を使ってはいけない理由

WIN-WINという言葉を使ってはいけない理由

──それは、信頼と品格の話。

「WIN-WINでいきましょう」
この言葉を、私は使ったことがない。

それは決して、共存や共栄を否定しているわけではない。
むしろ私は、心ある人間同士が「互いに豊かになる関係」を心から望んでいる。

だが、真理は細部に宿り、言葉の選び方が人間の本質を映す鏡になる。
だからこそ私は、「WIN-WIN」という言葉に、微かな違和感を覚えるのだ。

●WIN-WINを語る人が、本当にWINを願っているとは限らない
「損得を正当化」するために使われる「WIN-WIN」という言葉ほど、
魂の触れ合いを遠ざけるものはない。

“相手のWIN”を掲げながらも、
実際には“自分のWINの確保”こそが目的になっていることが少なくない。

それは信頼ではなく、取引だ。
人間関係を、効率と条件で結びつけようとする態度が、
私はどうしても“下品”に見えてしまう。

●真理を語るとき、人は静かであった方が良い
「WIN-WINでいこう」と語ることで、かえって品格を落とすことがあるからです。
本当に信頼されている人、本当に尊敬される人は、
WIN-WINなどと言わずとも、自然に“共に歩める人間”であることを、
その姿勢と行動によって証明している。

それは、
「結果的にWIN-WINだったね」と、
あとから誰かが気づく“関係性の結晶”なのだ。

●お金が意味を持たなくなる時、人は何に救われるか
戦争、大災害、そして死の間際。
そうした極限状態では、お金も契約も無力になる。

そのとき人を支えるのは——
“この人とつながっていたい”と思える関係。

言葉を超えた、魂と魂の触れ合いだけが残る。

WIN-WINという響きには、
その“深さ”が、ない。
だから私は、その言葉を使わない。

「今日の格言」

信頼とは、言葉で交わすものではない。
黙って差し出した手に、そっと触れたときに生まれる。

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岩根央

何を先に入れるか―人生という名のビン

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何を先に入れるか―人生という名のビン

人は誰しも、ひとつの“ビン”を持って生きている
その中に、毎日、何かを入れていく――
時間、感情、出来事、出会い、思考、夢

だけど、そのビンは無限ではない
入る量には限りがあるのだ

まず入れるべきは、「ゴルフボール」のようなもの
家族、信頼できる友人、健康、魂の灯をともす時間
それがあなたの人生の“核”になるものたち

次に「小石」――車、仕事、役職、家
ある程度大切だけれど、最優先ではない
バランスを保ち、生活を彩ってくれる存在たちだ

そして「砂」
人の噂、SNSの反応、今日の天気、誰かの機嫌
ほとんどが一瞬で過ぎ去る小さなこと

もし砂から詰め始めてしまったらどうなるか
あっという間にビンはいっぱいになって、
大切な“ゴルフボール”たちは、もう入らなくなってしまう

時間とは、見えない資産
「今」をどう使うかが、
「未来に何が残るか」を決める

大切な人に会う時間を、
心から笑う瞬間を、
深呼吸する余裕を――
後回しにしていないだろうか?

そして、どれだけビンが満杯になっても、
最後にそっと注ぐ「ビール」のようなものがある

それは、気の置けない友との語らい
あたたかな夜のぬくもり
ふとしたときにこぼれる笑い声

それこそが、人生を“味わい深く”する最後の一滴

今日の格言
「人生は、何を詰めるかより、何から詰めるかで決まる」

今日あなたの“ビン”に、何を一番に入れますか?

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岩根央

大人と親の、静かなる境界線

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大人と親の、静かなる境界線

この世界には、「大人」と呼ばれる人がたくさんいます。
けれど、そのすべてが「親」になれるわけではありません。

「大人」とは、小さな人間(小人)が、ただ年数を重ねた存在。
知識は蓄えても、人格という”創造”を内側から築いていなければ、
それは時間が通り過ぎただけの存在に過ぎないのです。

一方、「親」とは何でしょうか。
単なる子育ての役割を超えています。
親とは、子どもを通して愛を知り、
宇宙の摂理の中に自分を置き、
命の連なりを”心”で生きた者のこと。

子どもは親にとって、「教え導く対象」ではありません。
むしろ、親自身が育まれるために与えられた
小さな師匠であり、鏡であり、光です。

本当の親は、子どもを育てながら、
“愛とは何か” “赦しとは何か” “信じるとは何か”を学びます。
そこには、単なる理屈を超えた、
根底から覆されるほどの真理があるのです。

愛と光に満ちた、静かなる創造の世界。
それが、「親」という存在が到達する、もう一つの宇宙です。

【今日の格言】

「年齢は大人を作るが、愛は親を育てる。」

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岩根央

自分という小さな星たち

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自分という小さな星たち/strong>

あなたが一つ、言葉を紡ぐたびに——
この世界のどこかに、小さな星が生まれます。

誰にも見えないけれど、
確かにそこに灯る、やわらかな光。

そして私が一つ、心を込めたとき、
目には見えない銀河に、そっと花が咲くのです。

それは争いも、競い合いもない、
ただ優しく響き合うだけの、静かな宇宙。

この世界では、
誰もが「ワンネス(ひとつ)」でありながら、
同時に、誰もがかけがえのない「ひとつの星」です。

私たちの人格とは、
たった一人にしか生み出せない、
独自の文化のようなもの。

誰かと同じに見えても、
心の奥には、まったく違う“世界”が広がっています。

それぞれの星が、自分自身の空を持ち、
誰にも代わることができない道を、今日も歩んでいるのです。

🌟今日の格言🌟

「自分を生きることは、小さな宇宙を一つ完成させること。」

あなたという星が、
今日も、誰かの夜空をそっと照らしています。

たとえ誰にも気づかれなくても——
あなたの光は、ちゃんと宇宙に刻まれている。

どうか、その輝きを信じていてくださいね。✨

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岩根央

鏡に映る “もうひとりの自分”

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『鏡に映る “もうひとりの自分”』/strong>

朝、あなたは今日の自分と「会話」をしましたか?
化粧のためでも、身だしなみチェックのためでもない。
たった数分、自分と”心で向き合う”という時間。

鏡というものは、不思議な存在です。
単に姿を映すだけではなく、
私たちの「内側の状態」をも浮かび上がらせてくれます。

実はこの鏡、
日本古来の思想では“神”の象徴としても扱われてきました。
「かがみ」から「が(我)」を取ると——
残るのは「かみ(神)」。

つまり、
“我”を手放すことで、
私たちは本来の「高次な存在」に近づいていくのです。

でも、それは簡単なことではありません。
私たちは日々、評価や不安、過去の記憶といった「我」に覆われて、
本当の自分の声を聴くことができなくなってしまう。

だからこそ——
鏡の前で、ただ“静かに在る”
これが、意外と深い時間なのです。

心の中でこう問いかけてみましょう。

「今日はどんな一日にしたい?」
「何に怯えている?」
「いま必要なことってなんだろう?」

最初は否定的な言葉が湧いてくるかもしれません。
でも続けていくと、不思議と静かに、
“やさしい声”が内側から聞こえてきます。

「少し疲れてるね。でも大丈夫」
「ちゃんと、やってるじゃないか」

この静かな対話ができた時、
あなたの中に眠っていた“直感”や“智慧”が目を覚まし始めます。
外に答えを探さなくても、
すでに自分の中に“灯り”はあるのだと気づくのです。

格言
「鏡とは、自分という宇宙を毎朝思い出すための“入り口”である」

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岩根央

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