やり過ごすという“合理性”の正体
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やり過ごすという“合理性”の正体
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大人とは何か(2)
── やり過ごすという“合理性”の正体
やり過ごすという選択は、
問題を消すのではなく、
見えない場所へ押し出しているだけだ。
【「バレなければいい」「やり過ごせばいい」という考え方】
「その場が収まるなら、それでいい」
「今は波風を立てるべきじゃない」
こうした判断は、
とても合理的に見えます。
説明には時間がかかる。
向き合えば、摩擦が生まれる。
下手をすれば、自分が傷つく。
だから、
触れない。
黙る。
先送りにする。
結果として、
その場は静かになります。
けれど、
問題が解決したわけではありません。
ただ、
見えない場所に移動しただけ。
説明されなかった理由。
引き受けられなかった失敗。
語られなかった判断。
それらは、
必ずどこかに残り、
別の形で現れます。
【なぜ、それは「賢さ」に見えるのか】
やり過ごす行為が、
大人の知恵のように見えるのには、
理由があります。
短期的には、
損をしないからです。
評価は下がらない。
立場も守られる。
責任も問われにくい。
一方で、
向き合う人はどうなるか。
説明を求められ、
時間を取られ、
時には誤解される。
その姿を見れば、
人は学習します。
「黙っていた方が楽だ」
「触らない方が賢い」
こうして、
やり過ごす態度は、
“合理的な振る舞い”として
社会に定着していきます。
【なぜ社会は「向き合わない人」を育ててしまうのか】
向き合わなかった人が罰せられず、
向き合った人が損をする環境では、
逃げが学習される。
これは、
個人の資質の問題ではありません。
学校でも、組織でも、家庭でも。
私たちは、
無言のメッセージを受け取ってきました。
「正直に言うと、面倒になる」
「波風を立てる人は扱いづらい」
「空気を読める人が大人だ」
そして実際に、
向き合った人が傷つく場面を、
何度も見てきた。
その記憶は、
とても強い。
だから人は、
逃げることを覚えます。
これは弱さではなく、
教育された結果なのです。
【誰が、そのコストを払っているのか】
問題を見えない場所へ
押し出したとき。
そのコストを払うのは、
誰でしょうか。
多くの場合、
それはその場に
力を持たない人たちです。
子どもだったり、
立場の弱い人だったり、
まだ言葉を持たない
次の世代だったり。
やり過ごす社会は、
今いる大人には楽です。
けれど、
未来に対しては、
とても高くつく。
そのことに気づいたとき、
初めて、
「大人であること」の重さが
見えてきます。
格言
「やり過ごした問題は、
いつか別の誰かの宿題になる。」
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RMA戦略家
岩根 央