親友という名の、もう一つの心臓

親友という名の、もう一つの心臓

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親友という名の、もう一つの心臓

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家族の死を前に

第5章:親友という名の、もう一つの心臓

親友が亡くなる――
この言葉には、
どこか「現実味のなさ」と「切り裂かれるような孤独」が同時に宿ります。

家族でもなく、恋人でもなく。
でも、誰よりも「自分を知ってくれていた人」。

親友の死とは、
“自分という存在の証人”を失うような痛みかもしれません。

親友とは、他人でありながら、魂の深い部分でつながった存在。

・何も言わなくても分かる。
・心の奥で共鳴する。
・たまに疎遠になっても、また元に戻る。

これは偶然じゃない。
魂が出会いを選んだ関係です。

だから、その死を受け入れるということは――
「自分の一部が、どこか持っていかれる感覚」と似ているのです。

彼とは学生時代からの付き合いでした。

なんでも言い合えたし、
お互いの弱さもカッコ悪さも、ぜんぶさらけ出せた。

社会に出てからも、
折に触れては酒を酌み交わし、
夢を語り、愚痴をこぼし、沈黙も楽しんだ。

でも、その彼が――
ある日、突然、いなくなったのです。

知らせを聞いた瞬間、世界の色が一度、消えました。

葬儀で、棺の中の彼の顔を見たとき、
私はなぜか、ひとことだけ、こう呟いていました。

「お前さ……なんで先に行くんだよ……」

その声が、
これまでで一番、本音だった気がします。

親友の死とは、
「言葉のいらない関係の終わり」のように見えて――
実は「魂の会話が始まる時」なのかもしれません。

あの人がいたから、
自分のダメさを許せた。
あの人がいたから、
自分らしく笑えた。

私たちは、親友の死を経て、
ようやくその人の“役割”の尊さに気づくのでしょう。

そして、
「ありがとう」と「またな」が、
同時に胸に宿るのです。

もし、あなたがいま、
大切な親友を失ったばかりだとしたら――

泣いてもいい。
怒ってもいい。
会いたいと叫んでもいいのです。

それだけ、あなたは“本物の絆”を生きたということ。
それは、決して消えません。

その人は、あなたのなかに根を張り、
いまも、呼吸のリズムのどこかで、共に生きています。

だから今日も一歩だけ、歩いてみてください。
あなたの目に映る景色を、
その人もきっと、見てくれているはずだから。

《またな、の続きを》

「またな」って言ったじゃないか
あの日、駅のホームで
缶コーヒーを片手に
お前は笑ってたじゃないか

その「またな」は
俺の心の中で、いまも止まっている
“な”の文字の横で、時間がうずくまっている

だけどな
寂しさは、言葉にすればするほど
お前がくれた“強さ”に変わるんだ

またな、の続きを
これから俺が生きるよ

だから、見ててくれよ

そして、たまには
夢の中でいいから
返事をくれよ

「おう、またな」ってさ

格言
「親友は、人生の一部ではない。魂の奥で共鳴し続ける“もう一つの鼓動”である。」

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RMA戦略家
岩根 央

岩根央

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