母という存在と、最期の光
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母という存在と、最期の光
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家族の死を前に
第1章:母という存在と、最期の光
母が、少しずつ、遠くなっていく。
その現実を、静かに受け入れながらも、心のどこかで拒んでいる自分がいるのです。
死は誰にとっても平等で、必ずやってくる。
…そう分かっているはずなのに。
家族が…
母親がその扉の前に立っているということは、
「自分の中の何か」もまた、終わりを迎える準備を迫られるということ。
あなたにもきっとありますよね。
大切な人との“別れ”という、どうしようもない季節。
今日は、そんな「母の死を前にした心の旅路」を、静かに綴ってみたいのです。
母親とは、
私たちが最初に出会う“世界”です。
産声をあげた瞬間に包まれるのは、
母のぬくもりであり、声であり、匂いであり、命のリズム。
その存在が、少しずつ色褪せて、
言葉が減り、記憶が薄れ、
手が細くなり、体温が遠のいていくとき――
私たちは、自分が今まで無意識に頼っていた「支えの柱」が消えていく感覚に出会うのです。
「この人がいなくなるなんて、考えたこともなかった」
そう思うほど、私たちは“永遠”を仮定して生きているのかもしれません。
でも、永遠は幻想です。
母も老い、弱り、やがてこの世を離れる。
その現実を前にしたとき、
私たちにできることは何なのでしょうか。
ある日、母が寝ている横で、
私はひとり、言葉にならない思いを胸に座っていました。
もう何もできなくなった母は、
かすかに私を見つめ、唇だけを動かしました。
「ありがとう」
その声はもう、音としては聞こえなかったかもしれません。
でも、確かに伝わったのです。
私は、心の奥で何かが崩れ落ちる音を感じながら、
ただ、静かに母の手を握り続けました。
思い返せば、
あの手はいつも私を守り、抱きしめ、背中を押してくれた。
あの目は、私の未来を信じてくれていた。
あの声は、私の迷いを照らしてくれていた。
母の死を前にして、私はようやく知ったのです。
「命は受け継がれている」のだということを。
そして、
“何も返せなかった”と思っていた私にも、
静かに「返してきた時間」が、ちゃんとあったのだということも。
死は、終わりではないのです。
それは、「役割の完了」であり、
新しいステージへの“帰還”とも言えるでしょう。
母の肉体が滅びても、
その愛、想い、言葉は、私の中に確かに生きているのです。
愛は、消えない。
母の死を前にして初めて、私は「愛とは何か」を学びました。
それは、
所有でもなく、支配でもなく、
ただ「そこにいてくれること」だったのです。
そしていま、
母を見送る準備をする私は、
人生で最も静かで、最も尊い修行をしているような気がしています。
もし、いま大切な人の「終わり」に直面しているなら、
無理に強くならなくていいのです。
泣いてもいい。
何もできないと感じてもいい。
「ごめんね」も「ありがとう」も、伝えられるうちに言ってみてください。
そして――
どうか知っていてほしいのです。
別れは終わりではなく、
あなたの中で“生き続ける”という新しい形の始まりなのだと。
命はつながっている。
想いは形を変えて、あなたを支え続けるのです。
格言
「母の手は、過去を包み、未来を渡す舟である。」
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RMA戦略家
岩根 央