なぜ同じ「好き」から、人生の差が生まれるのか

なぜ同じ「好き」から、人生の差が生まれるのか

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愛する人と、愛せる人の決定的な違い|第一話

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愛する人と、愛せる人の決定的な違い|第一話

――なぜ同じ「好き」から、人生の差が生まれるのか

なぜか噛み合わない人間関係の正体

同じ言葉を使っているのに、
どうしても噛み合わない人がいます。

こちらは誠実に向き合っているつもりなのに、
相手はどこか被害者の位置から動かない。

「分かってほしい」
「ちゃんとやっている」
「自分は悪くない」

その言葉の奥にあるものを感じたとき、
ふと、こう思う瞬間があります。

この人は、愛しているのか。
それとも、愛せる人ではないのか。

自己中思想の根源は「防衛」だった

人はなぜ、
自分を中心に世界を考えてしまうのでしょうか。

それは、
意地が悪いからでも、
性格が未熟だからでもありません。

多くの場合、
傷つきたくないからです。

自分が相手を
好きか、嫌いか。
認めるか、否定するか。

その尺度を振りかざすことで、
人は世界を単純化し、
自分を守ろうとします。

これは攻撃ではなく、
防衛。

でも問題は、
防衛を続けている限り、
人は「自分の外側」に出られないということです。

自己を守る人は、愛に触れられない

自己中心的な人は、
実はとても忙しい。

・損していないか
・軽く見られていないか
・自分だけが我慢していないか

常に、
自分を守るためのレーダーを
張り巡らせています。

その状態では、
相手を“感じる余白”がありません。

愛するとは、
相手に向かうこと。

でも防衛している人は、
ずっと自分の周りを回っている。

だから、
愛そうとしても、
愛に触れられない。

ここが、
愛する人と、愛せる人の
最初の分かれ道です。

よくいます。

正論を語る人。
真理を振りかざす人。
「分かっている自分」を前提に話す人。

一見、
出来た人に見える。

でもその人の言葉が、
なぜか人を救わない理由があります。

それは、
その言葉が“自分を守るため”に
使われているから。

本当に出来た人は、
真理を使って自分を飾らない。

真理を、
相手に向けて投げない。

黙る。
待つ。
引き受ける。

この違いは、
表情と距離感に、
必ず現れます。

よく言われます。

「恋」と「愛」は違う、と。

でもこの二者択一で考えると、
話は浅くなります。

それは善悪を分け、
自分をどちらかの側に
置こうとする思考だから。

本当は違う。

愛とは、
選択でも、感情でもない。

自己防衛を越えた先に、
結果として残るものです。

だから、
愛せる人は主張しない。

愛せる人は、
自分が正しいことを証明しない。

そこまで行き着いた人だけが、
「愛している」と
静かに言える。

この話は、
誰かを裁くためのものではありません。

自己中心的になる理由も、
防衛に走る背景も、
すべて人間らしい。

でも、
そこに留まり続けるかどうかは、
選べます。

このシリーズでは、
その一段先を描いていきます。

・自己中思想を抜けた人は、何を得るのか
・愛に辿り着く人は、何を手放したのか
・最後に勝つ人とは、どんな人なのか

答えは、
感情論でも、理想論でもありません。

成長の話です。

格言
「愛とは、自分を守る理由が、もう要らなくなった状態である。」

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RMA戦略家
岩根 央

岩根央

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