人は涙を流さないと人生を語れない

人は涙を流さないと人生を語れない

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人は涙を流さないと人生を語れない

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人は涙を流さないと人生を語れない

― 生きる目的と生きがいの決定的な違い ―

人が生きるためには「明かり」が必要です。
小さな希望、明日を待つ理由、それがなければ心は容易に暗闇に沈んでしまいます。

けれど、ここで問いかけたいのです。
私たちが灯している「希望」や「生きがい」は、本当に“人生の目的”と言えるのでしょうか。

江戸の農民は祭りや正月を心の光として、苦しい日常を生き抜きました。
私たちもまた、休日の旅行や推しのコンサートを心の支えに、働き続けています。
晩酌を楽しみに「これがあるから生きてる」と笑う人もいます。

それらは確かに、生きるための灯火です。
しかし、それ自体が人生の目的ではない。

マラソンランナーは42.195kmを走り抜けるゴールを目的とします。
途中の給水や応援は不可欠ですが、それがゴールの代わりにはなりません。

人生における「生きがい」や「希望」も同じです。
それは道を走るための力。
けれど、「なぜ走るのか」という問いの答えにはならないのです。

では、「人生の目的」とは何か。

それは――涙に触れたときにしか開かれない扉です。

人は涙を流すとき、強がりや言い訳を脱ぎ捨て、ありのままの自分と出会います。
動物を失ったときの涙。人との別れに流れる涙。どうしようもなく切なくてこぼれた涙。
その一粒一粒が、私たちを「生きるとは何か」という根源の問いへと連れていく。

生きがいとは、人生に咲く花。
美しく、香り高く、明日への勇気を与えてくれる。
しかし、その花の根を支える大地こそが「人生の目的」。

花を愛でるだけでは足りない。
私たちは時に涙を通して大地の深さを感じ、そこに宿る意味に触れるのです。

だからこそ、涙を流すことを恥じてはいけない。
涙は弱さではなく、真実に触れた証だから。
涙の奥で、自分が「なぜ生まれ」「なぜ生き続けるのか」という答えがかすかに囁いている。

そして気づいたとき、人生はただの物語ではなく、魂の記録へと変わるのです。
そのとき初めて、人は――人生を語ることができるのです。

格言
「涙は、心が魂に届いたときにだけ流れる。」

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RMA戦略家
岩根 央

岩根央

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