人生を楽しんでいる人とそうでない人との違い Part1

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人生を楽しんでいる人とそうでない人との違い Part1

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人生を楽しんでいる人とそうでない人との違い Part1

同じ一日を生きていても、楽しんでいる人とそうでない人がいる。
その違いは――実は「出来事」じゃない。
「出来事をどう受け止めるか」という心の角度だ。

楽しんでいる人は、失敗しても「経験できた」と笑える。
怒られても「まだ成長できる余地がある」と感じる。
小さな喜びに出会えば、子どものように素直に喜べる。

一方、楽しめていない人は、成功しても「まだ足りない」と焦り、
失敗すれば「やっぱりダメだ」と責めてしまう。
同じ景色を見ていても、灰色か虹色か――全く違う世界に見えるのだ。

僕は思う。
「人生を楽しんでいるかどうか」は、
“状況”の問題ではなく“心の選択”の問題だと。

不安や後悔でいっぱいの今も、
「ここから物語が始まる」と思えた瞬間、
その人の人生は楽しさに変わる。

楽しむとは、無理して笑うことではない。
「心をひらいて、今の出来事を生ききること」だ。
そこから、どんな過去も、どんな未来も、違った色を帯びて見えてくる。

今日の格言
「人生は出来事で決まらない。楽しむかどうかは、あなたの心の角度が決める。」

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RMA戦略家
岩根 央

熱が出るもう一つの理由

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熱が出るもう一つの理由

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熱が出るもう一つの理由

私たちは、熱が出ると「ウイルスと戦っている証拠だ」と教わる。
確かにそれは医学的な説明で間違いはない。
でも――もうひとつの理由があるのではないか、と僕は思う。

熱とは、ただの発熱ではなく「心と体がリセットを求めている合図」でもある。

普段は走り続けている。
気合いで動き、笑顔で人と接し、全力で物事に挑み続けてきた。
でもそんな時、身体は静かに声をあげる。

「少し止まれ」
「燃え尽きる前に、熱で燃やしきれ」

高熱は、外の雑音を遮り、強制的に内側に戻させる時間だ。
体は火照り、頭は重く、何もできない。
でも、その“何もできない時間”にしか気づけないことがある。

ああ、自分はここまで頑張りすぎていた。
ああ、まだ心に溜まっていた想いを見ないふりしていた。
ああ、この熱は、心の奥に眠っていたものを燃やしている。

熱が出る理由の一つは病原菌との戦い。
もう一つの理由は、「人間が人間らしく戻るための、魂のリセット」。

そう考えると、熱は決して“敵”ではない。
むしろ「お前はまだ燃えて生きている」と教えてくれる、メッセージのように思えてくる。

今日の格言
「熱は病との戦いではなく、魂を再び燃やすための祈りでもある。」

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RMA戦略家
岩根 央

病は気からは本当か?

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病は気からは本当か?

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熱にうなされながら、ふと思う。
「病は気から」って本当にそうなんだろうか?

身体が壊れると、心まで弱ってしまう。
でも逆に、心がくじけると、不思議なくらい身体まで重くなる。
この繋がりは、決して迷信ではない。

確かに「気持ちだけで病気が治る」なんてことはない。
けれど、回復に向かう道のりで「気持ち」が占める割合は、実はとても大きい。

不安に包まれていると、治る力は鈍る。
「大丈夫」と信じた瞬間に、免疫も呼吸もリズムを取り戻していく。
人間は、心と体で一つの命だからだ。

思い返せば、これまでの人生もそうだった。
挑戦に挑んだとき、最後に背中を押したのは“身体の強さ”ではなく、“心の決意”だった。
逆にどんなに体力があっても、気持ちが折れていると一歩も進めなかった。

だから「病は気から」という言葉は、
“病気の原因は気持ち”という単純な話じゃなくて――
“気持ちが病を超えていく力を持っている”という、深い真理なのだろう。

病に倒れている今こそ、知る。
「気」は、病を癒やす種火にもなるし、病を長引かせる影にもなる。
ならば僕は、影ではなく種火を選びたい。

高熱にうなされても、心は冷めないように。
身体は弱っても、気持ちは灯りを消さないように。
その姿勢が、必ず回復の道を早めてくれると信じている。

今日の格言
「病は気から。 それは病気をつくる“原因”ではなく、病気を癒す“力”のことだ。」

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RMA戦略家
岩根 央

好きなことを仕事にするということ

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好きなことを仕事にするということ

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好きなことを仕事にするということ

「ゲームばかりしてないで勉強しなさい」
子どもの頃、一度は言われたことがある人も多いのではないでしょうか。

「勉強よりゲームのほうが面白い」
「もしゲームだけで生きていけたらなあ」
そんな願いを抱いた少年少女にとって、いまの時代は夢が現実になる可能性があります。

――そう、eスポーツ。
ゲームで世界と競い、勝ち抜いた先に、億を超える賞金、世界的な名声、そして“プロ”としての人生が待っている。
「遊び」が「仕事」に変わった瞬間です。

だけどここで、多くの人が直面する大きな壁があります。

どんなに好きなことでも、“仕事”になると、必ず苦しさが訪れるということです。

プロのゲーマーたちは、朝から晩まで練習を重ね、生活リズムを徹底し、心身のコンディションを極限まで整えます。
試合に勝つために、ゲーム以外のこと――読書や運動、分析や学習にも全力を注ぎます。
「ただ好きだからやっている」では、とても戦えないのです。

やがて気づく瞬間がやってきます。
「あんなに夢中だったのに、どうしてこんなに辛いんだろう」

好きだったはずのことが、重荷になる。
楽しさで始めたものが、責任や義務に変わる。
そのときに多くの人は、初めて「好きと仕事の境界線」に立たされるのです。

だからこそ、夢を追う若者たちに伝えたい。
好きなことを仕事にするのは素晴らしい。
でも、「好き」だけで突き進むのではなく、そこに必ず生じる“苦しみ”をどう受け止めるかが、本当の鍵になる。

人生設計とは、夢を描くことだけじゃない。
その夢が重荷に変わったときに、どう立ち上がれるかを考えておくこと。
そこにこそ、“生きる強さ”が宿るのではないでしょうか。

今日の格言
「好きなことを仕事にするのは幸せだ。だが、その幸せを支えるのは“苦しみを抱きしめる覚悟”である。」

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RMA戦略家
岩根 央

夢を持たない勇気

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夢を持たない勇気

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夢を持たない勇気

「夢は何?」「将来の夢は?」
子どもの頃、大人から必ず一度は聞かれる質問。

そのとき「僕の夢は○○です」と答えれば、
「しっかりしてるね」と褒められる。

逆に「まだわからない」と言えば、
「頼りない子だな」とレッテルを貼られる気がして、
子どもたちは夢を“持たされていく”。

学校でも、将来の夢を発表する場がある。
教材には有名人が「夢を持とう」と書き残している。
テレビや雑誌でも、成功者は必ずと言っていいほど
「夢を持ってください」と語る。

でも、現実の若者の多くはこう思っている。
「まだ見つからない」
「叶う気がしない」
「本当にこれでいいのかわからない」

夢を定めている人を羨み、
夢を持たない自分を責める。
それが、いまの多くの子どもたちや若者の姿だと思う。

――でも、本当はこう言いたい。
「夢を持たないことを、怖がらなくていい」

夢がないからといって、価値がないわけじゃない。
むしろその空白に悩み続けることこそ、
自分と真剣に向き合っている証拠。

夢は、焦ってつくるものじゃない。
夢は、環境に押しつけられるものでもない。
夢は、「選ばなきゃ」じゃなくて、
「気づいてしまうもの」なんだ。

ある人は10歳で気づく。
ある人は20歳で見つける。
ある人は40歳、50歳になっても、
歩いている中で突然出会う。

夢を「今すぐ言えること」よりも、
夢を探し続ける勇気を持つこと。
それこそが、人として一番大切なのではないだろうか。

今日の格言
「夢を持つことよりも、夢を見つけようと悩み続ける姿勢こそが、すでに“生きる力”である。」

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RMA戦略家
岩根 央

頭を下げる勇気が人生を変える

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頭を下げる勇気が人生を変える

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頭を下げる勇気が人生を変える

S君は若い頃、決して「優等生」ではなかった。
偏差値は30から40を行ったり来たり。
おまけに勇み足の性格から、借金を抱え、ついには破産まで経験した。

「もう、人生なんて終わりだ」と思ってもおかしくないところを、
彼は不思議と立ち止まらなかった。

彼にあったのは――ただひとつ、 頭を下げること。
失敗したら、素直に謝る。人に助けを求める。
その姿勢を恥じるどころか、彼は自然にやってのけた。

さらにもうひとつ、 真の優しさを失わなかった。
相手を思いやる言葉、見返りを求めない小さな行動。
それは、誰も見ていないようでいて、確かに「誰かの心」を動かしていた。

そして何より、 行動力。
頭で考えすぎて足を止めるよりも、
動いてから修正すればいい、といつも一歩を踏み出した。

その積み重ねが50歳を過ぎたある日、
まるで神様が「ここまでよくやったな」と微笑んでくれたかのように、
彼の人生に大きな変化をもたらしていった。

人生の最終結果は、何度も判断を誤ったかどうかでは決まらない。
むしろ、 その誤りをどう自己管理し、修正していけたか で決まる。

・姿勢を正すための自己管理。
・行動を一貫させるための自己管理。
・未来を見通すために結果を振り返る自己管理。
・経験を投資へと変える自己管理。

それらを続けることで、人は「完成された人生」という傑作を描くことができる。

S君の人生は、偏差値や破産という言葉では測れない。
それは「頭を下げ、優しさを持ち、行動し続けた人間」だけが、最後に掴むことのできる 人間力の証 だったのだ。

今日の格言
「人生を変えるのは頭の良さではなく、頭を下げる勇気と、優しさと、行動力である。」

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RMA戦略家
岩根 央

学力・稼げる力・営業力の決定的な違い ― パート2編

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学力・稼げる力・営業力の決定的な違い ― パート2 ドラマ編

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ある営業会議でのこと。
新人のA君は、プレゼン資料を何十枚も用意して意気込んでいた。

「うちの商品は業界No.1のシェアを誇り、コスト削減にもつながります!」
「競合と比較して、ここが優れていて…」

彼の説明は理路整然としていて、学力を積み重ねた人らしい完璧さだった。
けれど、相手の表情は固いまま。
説明が続けば続くほど、相手の心は遠ざかっていった。

その空気を横で見ていたベテラン営業のB課長が、ふっと笑顔で口を開いた。

「ところで、社長。最近、社員さんたち元気にされています?」

話題は商品の話から逸れ、相手の会社の“人”の話へ。
社長は少し驚いたように、けれどすぐに頬を緩めた。

「実はね、最近新人が入ったんですよ。でもまだ慣れてなくてね…」

そこから、現場の空気や社員の悩みの話が自然に始まった。
B課長はただ相槌を打つのではなく、時折こう言葉を添えた。

「それは大変ですね…でも、すごく大事にされているんですね。」
「なるほど。だから社長がこのサービスに興味を持たれたんですね。」

数分後には、社長は自ら「ぜひ導入したい」と言っていた。
資料の何十枚分よりも、「寄り添う一言」が相手の心を動かした瞬間だった。

営業力とは、説明の巧みさではなく、
「あなたのことを理解したい」という姿勢からにじみ出るものだ。

学力で磨かれるのは知識。
稼ぐ力で培われるのは技術。
だが、営業力は“心を動かす力”。

それは人間力の延長線上にしか存在しない。

説明で納得させるのではなく、営業力で「一緒に進みたい」と思わせる。
この違いこそが、人生を左右する力の差なのだ。

💫今日の格言
「営業は商品を売ることではなく、信頼を届けること。説明は記憶に残るが、営業は心に残る。」

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RMA戦略家
岩根 央

学力・稼げる力・営業力の決定的な違い

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学力・稼げる力・営業力の決定的な違い

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学力は幼少から鍛えることができる。
稼ぐ力も、環境や経験によって磨くことができる。
だからこそ、多くの人は「学び方」や「稼ぎ方」を追い求めている。

しかし――
営業力については、決定的に勘違いされやすい。

「営業力=説明力」だと思っている人があまりにも多い。
けれど、営業力と説明力はまったく別の世界に属している。

説明力は、相手に情報を届ける力。
どれだけ詳しく、どれだけ理路整然と話せるか――それが説明だ。
一方、営業力は「人間力」そのもの。

説明がうまくても、心を動かせるとは限らない。
むしろ、人の心に寄り添わず、知識や資格を盾に話す人ほど、相手の心の扉を閉ざしてしまうことがある。

営業力とは、人の懐に自然に入っていける温度感であり、
「あなたのことを理解したい」という姿勢を持ち続ける力だ。

よく口では達者に語り、学力や資格を誇らしげに見せる人がいる。
それは決して無価値ではない。
ただ、それだけでは人は動かない。

人が動くのは、知識に納得したからではなく、心が「この人と一緒にいたい」と感じたからだ。
その感覚こそが営業力。

学力は試験で測れる。
稼ぐ力は数字で見える。
しかし営業力は――
「人から信じてもらえた数」「人から選んでもらえた瞬間」でしか測れない。

そしてそれは、言葉の巧みさではなく、日々の誠実さから生まれるものだ。

学力は脳に、稼ぐ力は技術に、営業力は魂に宿る。
だからこそ、営業力は決定的に違う。
それは「人を幸せにする力」と言い換えてもいいのかもしれない。

今日の格言
「営業力とは、知識を語ることではなく、人の心に寄り添い、人を動かす温度を生むことである。」

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RMA戦略家
岩根 央

どうして夫は「旦那」と呼ばれるのか

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どうして夫は「旦那」と呼ばれるのか

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「旦那」という呼び方、実は仏教に由来する言葉だって知っていましたか?
もともとは「檀那(だんな)」と書き、インドの古い言葉「ダーナ(与える)」が語源です。
仏教では、人に施しや教えを与えることを「布施」といい、これが善い行いの一つとして大切にされてきました。

つまり、「旦那」という言葉の根っこには――
家族を支え、守り、何かを与え続ける人への敬意が込められているのです。

ある40代の男性Aさんが、こんな話をしてくれました。

最近、中学時代の自分と同じ年頃の息子を見ながら、当時の父の姿をよく思い出すそうです。
夜遅く帰ってきて、晩酌しながらテレビを眺め、あまり多くを語らない父。
正直、その背中は怖く、近寄りがたかった。
父が帰宅すると、子どもたちの団らんタイムは一瞬で終わり、居間は静まり返ったそうです。

そんな父の意外な一面を見たのは、家族で外食に出かけたときのこと。
偶然、仕事関係の人と会った父は、家では見せない柔らかな笑顔で、深く頭を下げながら会話していました。
その姿にAさんは衝撃を受けたと言います。
「家では威張っているのに、外ではこんなに愛想よくできるんだ…」と、むしろ反発心が強くなったそうです。

しかし、Aさんが社会に出て営業の仕事をし、家庭を持つようになってから――
あのときの父の姿が、まったく違う意味で胸に迫ってきたそうです。

お客様に頭を下げ、成果を求められ、数字に追われる日々。
失敗すれば給料に響き、家族を養えなくなるかもしれないというプレッシャー。
くたくたになって帰宅し、テレビを眺めながら無言で座る自分に、
「あ…これはあのときの父だ」と気づく瞬間が何度もあったといいます。

Aさんは、ようやくわかったそうです。
ファミレスで見た、あの笑顔も、頭を下げる姿も、
すべては「家族を守る」という覚悟から生まれたものだったと。

「旦那」という呼び名は、単なる呼称ではありません。
そこには、“与える人”として生きる背中への敬意と感謝が、静かに込められているのです。

格言
与える人の背中には、言葉以上の物語が宿っている。

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RMA戦略家
岩根 央

周りとのストレスを軽減するには

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周りとのストレスを軽減するには

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人間関係でストレスを感じやすい人ほど、
「相手を下げて、自分を上げる」思考になっていることがあります。

たとえば、
「自分はこんなに頑張っているのに、あの人は楽してる」
「私ばかりが苦労して、あの人は何もしてない」

この考え方は、シーソーで自分の側を上げて相手を下げるのと同じ。
ボール(=相手の心)は、スーッと遠ざかっていきます。

逆に、
「頑張っているのは相手、楽をしているのは自分」
と視点を変えてみると、相手の心は不思議と近づいてきます。
これは「へりくだれ」という話ではなく、案外これが事実だったりもするのです。

職場や家庭でも、この差ははっきり出ます。
自分の成果を誇るよりも、誰かの努力を立てて伝える人は、信用も人望も集まります。
「おかげさま」という感覚は、相手の自己肯定感を高め、自分のストレスを減らす最良の習慣です。

人間関係のシーソーを、相手側をそっと上げる方へ傾けてみる――
それだけで、周りとの距離感がぐっと楽になります。

格言
「相手を立てると、心の距離は自然と縮まる。」

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RMA戦略家
岩根 央

親の言うことが聞けない理由

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親の言うことが聞けない理由

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「なんで親の言うことが聞けないの!」
このセリフ、子ども時代に耳にした人もいれば、親になって口にした人も多いだろう。

でも、そもそもなぜ「親の言うことは聞かなければならない」のだろうか。
世界には80億の価値観があり、人の意見は必ずしも正しいとは限らない。
ましてや、親だって間違えることはある。
「親だから正しい」という理由で無条件に従うことが、必ずしも理にかなっているわけではない。

特に、尊敬できないと感じる瞬間があるとき、子どもが従いにくくなるのは自然なことだ。

そんな質問を受けたとき、親の口から出やすいのは――
「誰のおかげでここまで大きくなったと思ってるんだ!」
確かに、親は経済的にも精神的にも多くを注いできた。
だが、子どもからすれば「頼んで生まれたわけじゃない」という本音が、喉元までこみあげることもある。
それを言えないもどかしさが、反抗的な態度や沈黙として現れるのだ。

ここで見落としがちなのは、感情の根っこにある“承認されない痛み”だ。
痛いときに「痛くない」と否定される。
悲しいときに「泣くな」と抑えられる。
そうした経験が積み重なり、「自分の感じたことは受け入れられない」という感覚が根づいてしまう。

親がどれだけ「育ててきた苦労」を語っても、子どもの胸に生きる喜びや感謝がなければ、その言葉は響かない。
大切なのはまず、相手の存在をそのまま受け止めること。
そこからしか、本当の意味で「親の言葉に耳を傾ける関係」は育たないのだ。

格言
「人は、受け止められたときにだけ、心を開く。」

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RMA戦略家
岩根 央

「明日やる人」と「今日やる人」の分かれ道

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「明日やる人」と「今日やる人」の分かれ道

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「明日からやろう」と言ったその時、
たしかに、未来はあった。

けれど、「明日」には魔法がかかっていて、
いつも少しだけ遠くにいる。
追いかけても、追いかけても、
ほんとうの意味では、たどり着けない。

「明日から」は、やさしい言い訳の羽衣。
「今日はまだ本気じゃない」って思える余地があるから、
自分を守れる。
でもその一方で、何かを大切にする時間は、
少しずつ薄れていく。

たった1日の差?
いいえ、それは「0」と「1」の差。
「まだ始めてない」と
「もう始めた」の間には、
決意と行動の壁がそびえている。

100日続けた人がいる。
1日目から始めたからこそ、
100日目の景色が見えるようになった。

そのはじまりを
「明日」に置くのか
「今日」に置くのか。

未来は、
ほんの小さな選択の積み重ねで、
静かに分かれていく。

格言
「明日」は予定、「今日」は決意。
道を創るのは、たった今ここにある“1日目”。

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RMA戦略家
岩根 央

感情を制する者は、人生を制す

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感情を制する者は、人生を制す

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感情を制する者は、人生を制す
「感情的になったら、試合は終わり。」

ある時、それを“人生の先を歩く人”から聞いた。
その瞬間、腑に落ちたような、少し苦しくなるような気持ちになった。

何かに腹が立ったとき。
悔しくて泣きたくなったとき。
少し成果が出て、思わず誇りたくなったとき。

そのすべての感情は、
たしかに“人間らしさ”かもしれないけれど、
同時に、“動揺”でもある。

感情をあらわにするということは、
その人の“器のふち”を見せるということでもある。

だから、
嬉しいときこそ静かに、
悔しいときこそ淡々と、
感情を燃やす場所は、内側にあればいい。

どこまでも冷静に、でも心は熱く。
そういう人が、結局は一番、強い。

感情を抑えるのではない。
“管理する”のだ。
波が来ても、ペースは崩さない。

それは、生まれ持った性格じゃなくて、
選び続けた“在り方”の積み重ね。

感情にのまれる人は、場面に呑まれる。
感情を選べる人は、場面を動かせる。

静かに燃える人ほど、
いつの間にか“芯の強さ”をまとうもの。

格言:
「感情を支配することは、自分を支配すること。」

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RMA戦略家
岩根 央

子どもから「小さな表現の芽」を奪わないために

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子どもから「小さな表現の芽」を奪わないために

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「何を言いたいのかわからない」
「意見を聞かれても、何も浮かばない」

そんな声を、大人になった私たちは時折、耳にします。
でも、それは本当に“何もない”からでしょうか?

もしかすると、幼い頃から「言わないほうがいい空気」を感じ取ってきた結果かもしれません。

例えば、ケガをして泣く子どもに対して
「泣かないの」「痛くないでしょ」と言ってしまう場面。
大人にとっては励ましのつもりでも、
子どもの「感じた痛み」を否定してしまっている瞬間でもあるのです。

子どもが小さな勇気を出して「いやだ」と言ったとき、
「そんなこと言っちゃだめ」と制してしまう。

こうした“抑えつけ”が積もっていくと、
やがて子どもは「感じること」や「言葉にすること」を
自分の中でやめてしまいます。

でも、自分の気持ちを丁寧に感じて、表現できることこそが、人としての土台。
未来に向けて、創造力や思いやりの根になるのです。

泣きたいときは泣いてもいい。
話したいときは言葉を探していい。
そんな風に、ひとりひとりの表現の芽を、
静かに、そして力強く守っていきたいですね。

💬 今日の格言
「伝える力は、信じてもらえた経験から育つ。」

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RMA戦略家
岩根 央

ホンモノの財か?

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憶レベルを稼ごうと思わないのは何故か

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巨額の売上。
名声。地位。力。
それを「やろうと思えばできる」と思える者こそ、
なぜ、あえてそれを求めないのか。
(「小規模企業」でという意味です)

それは単に、諦めや怠惰からくる選択ではない。
むしろ ―― 悟りに近い「選び方」なのだと思う。

ある僧は言った。
「火の中に金を探しに行く者よ、それを手にしたときには既に焼かれている」と。

富を掴みにいく手のひらは、
欲に焼かれ、
理想とした未来とは別の焦げ跡を残す。

もちろん、何かを築くことは尊い。
人を喜ばせる事業も、社会を潤す商いも美しい。
ただ、”それが自我の延長でしかないなら”、苦しみもまた比例する。

だからこそ、
仏教で言う「足るを知る」は、
あきらめではなく、選択の美学なのだ。

“欲望を満たす”ではなく、”魂を静める”方向へと向かうこと。
それができるのは、ほんのひと握りの人だけ。

「稼がない自由」を選ぶことは、
自分の心と、未来の静寂への最高の投資かもしれない。

格言:
欲の海に舟を浮かべるな。静かな岸辺に、ほんとうの財がある。

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RMA戦略家
岩根 央

人生の過去に隠されていたもの

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人生の過去に隠されていたもの

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人生の過去に隠されていたもの
〜 それは未来の光と呼ばれていた 〜

人間万事、塞翁が馬。
何が幸せで、何が不幸かなんて、
人生の途中では誰にもわからない。

けれど、何かに傷ついた日、
何かを失った夜、
人は――ふと、昔の記憶を辿る。

あの道を思い出す。
幼い手をひかれて、母と歩いた夕暮れ。
あの時はまだ、すべてがわからずに、
ただ安心していた。

今、振り返ってみれば、
それは優しさに包まれていた時間だったと気づく。
そして、どれほど深い道を自分が歩いてきたのかを
ようやく理解する。

あの涙も、
あの迷いも、
忘れていた小さな笑い声も――

全部が、
今の「わたし」を作っていた。

そう思えたとき、
過去は過去ではなくなる。
それは未来を照らす、
静かな灯火になるのだ。

💫 今日の格言
「過去は、振り返るためにあるのではなく、“抱きしめるため”に存在する。」

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RMA戦略家
岩根 央

親の言葉は、誰のための声なのか

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親の言葉は、誰のための声なのか

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〜 「生きてきてよかった」と言える日がくるように 〜

「なんで親の言うことが聞けないの!」

この言葉に、
覚えがある人も多いかもしれない。
かつて言われた人も、
今まさに子に言ってしまった人も。

この言葉の裏には、
親としての責任や心配や、
「あなたを守りたい」という想いが詰まっている。
でも――その気持ちがまっすぐに届かないときもある。

子どもは子どもで、
こう返したくなることがある。

「じゃあ、なんで親の言うことを聞かないといけないの?」

冷静に考えれば、この問いも理屈は通っている。
「親だから正しい」とは限らない。
立場だけで従わせようとすれば、
心は反発する。

そんなとき、つい出てしまうもう一つの台詞。

「誰のおかげでここまで育ったと思ってるんだ!」

親の苦労も愛も、本物であればあるほど、
その一言に詰まってしまう。
でも、もし子どもに感謝や喜びがなければ、
その言葉も、ただのプレッシャーになってしまう。

子どもは、
言わないけれど、思っている。

「頼んで生まれてきたわけじゃない」
「生きることが、つらいんだ」
「なぜこんなに苦しいの?」

その叫びが、机を蹴る音になる。
「うるさい」の一言に込められる。

だからこそ、
親が伝えるべきなのは「言うことを聞け」ではなく、
「あなたが生まれてきて、よかった」と思える未来を一緒につくること。

子どもが、
「この命でよかった」って思えるように。
生まれてきた意味を、
いつか自分の言葉で語れるように。

それが、
ほんとうの親の言葉になる。

💫 今日の格言
「子どもは、言葉を聞いて育つのではなく、“心の在り方”に触れて育つ。」

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RMA戦略家
岩根 央

目標は目指すもので、成功は気付くもの

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目標は目指すもので、成功は気付くもの

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人は誰しも、人生のどこかで「目標」を掲げます。
試験に合格すること。
仕事で成果を出すこと。
家族を守り抜くこと。

目標は、はっきりと目に見えているからこそ、私たちはそこに向かって走ることができます。
まるで、暗闇に立つ灯台の光のように。

けれど、人生の面白いところは、目標を達成した瞬間には「成功」という実感がなかなか湧かないこと。
むしろ振り返ったときに――

「そうか、あの時、すでに自分は成功していたんだ」

と気づくのです。

🎭 ある青年の物語

ある青年がいました。
彼の目標は「一流の建築家になること」。

彼は昼も夜も勉強し、設計図を描き続け、試験を突破し、ようやく建築の仕事を手に入れました。
けれど現実は厳しく、上司に叱られ、クライアントに罵られ、家に帰ると心が折れそうになりました。

「こんなのが夢だったのか?」
そう自問しながらも、諦めずに図面を描き続ける日々。

そんなある日、彼が設計した建物の前で、小さな子どもが親の手を握りながら言いました。

「このおうち、すごく好き!ここに住めるの、うれしい!」

その一言を聞いた瞬間、彼は初めて気づきました。

「そうか…これが成功なんだ」

彼が目指していたのは「一流」という肩書きではなく、誰かの笑顔をつくること。
それはいつの間にか、もう始まっていたのです。

🌱 成功は、未来ではなく「今」の中にある

目標は、未来に置くものです。
それは私たちに「道筋」を示し、努力の方向を決めるもの。

しかし「成功」は、未来に到達して得られる勲章ではなく、
すでに自分の歩みの中に静かに潜んでいるもの。

努力をしている自分。
仲間に支えられている日々。
誰かに「ありがとう」と言われた瞬間。

その一つひとつが、もうすでに「成功」のカケラなのです。

🌌 結びに

だからこそ、私たちは今日も「目標」を目指して歩み続けるべきです。
けれど歩くたびに、足元に散らばる「成功の光」にも気づきたい。

気づくたびに、自分の人生はもっと豊かになり、
気づくたびに、「未来の目標」がさらに鮮やかになる。

人生とは、そうした目標と成功の呼吸のようなリズムでできているのだと思います。

✨今日の格言
「目標は未来を照らす灯台。成功は、歩んだ道に咲く花である。」

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RMA戦略家
岩根 央

『なぜか話しやすい人』が使っている言葉

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『なぜか話しやすい人』が使っている言葉

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会話をしていると、不思議と「この人にはなんでも話せる」と感じる人、いませんか?
ただ「へぇ」「そうなんだ」と相槌を打つだけではない、そこには独特の“響き”がある。

心理学の言葉を借りるなら、それは「共感」という力。
でもここでいう共感とは、知識で理解することではなく――相手の感情に心を寄せること。

話しやすい人のリアクションは「気持ちを掬い上げる」

人は、自分の言葉をただ受け止められるよりも、気持ちごと受け止められたときに安心する。
だから「へぇ」「そうなんだ」だけでは、どこか物足りなさが残ってしまうのです。

代わりに――
「それはすごいね!」
「大変だったね、頑張ったね」
「本当に嬉しそうだね」

こうして感情を添えて返すだけで、相手の心はほどけていく。
それは単なるリアクションではなく、「あなたの気持ちを理解しているよ」というサインになるのです。

“伝え返し”が生む、安心と信頼

たとえば相手が「仕事でミスしちゃって…」と打ち明けてきたとします。
その時に「仕事でミスしたんだね」で終わるのではなく、
「仕事でミスして落ち込んでいるんだね」と“気持ち”まで言葉にして返す。

これを心理学では「感情のリフレクション」と言います。
気持ちを言葉で掬って返すことで、相手は「ちゃんと分かってくれた」と安心できる。
この安心感こそが、“なぜか話しやすい人”をつくるのです。

話しやすい人は「心の温度」を持っている

共感には2つの側面があります。
一つは「相手の考えを理解する」認知的共感。
もう一つは「相手の感情を感じ取る」情動的共感。

この両方をバランスよく使える人は、どんな場面でも相手の心を軽くし、自然と信頼を集めていきます。

だから今日から試してみてください。
「へぇ」や「そうなんだ」の代わりに、
「なるほど、それは大変だったね」
「本当に嬉しいんだね」
と、心をのせた言葉を。

その一言が、相手にとってかけがえのない癒しとなり、あなたを“話しやすい人”へと変えてくれます。

✨格言
「相槌は音ではなく、心で打つもの。」

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RMA戦略家
岩根 央

どんな人でも自分の欠点はわからない

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どんな人でも自分の欠点はわからない

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どんな人でも自分の欠点はわからない

私たちは――誰ひとり例外なく――
人の欠点はよく見えても、
自分の欠点には気づけないものです。

人にしていることは、
自分にとって「正しい」と思ってしまう。
むしろ「人の役に立っている」と思い込んでいることさえあります。

けれど、もし自分が人にしてきたことが「悪かった」と気づく瞬間があるとすれば、
それは自分が同じことをされて、痛みを味わったときです。

「ああ、こんな嫌な思いを、自分は人にさせてきたのか…」
そのとき初めて、胸を刺すように気づくのです。

ある食品メーカーの社員が語った告白が心に残っています。
彼は大量の添加物を駆使し、安い肉を子どもたちが喜ぶ味に変える商品を開発しました。
それはヒット商品となり、彼の誇りでもありました。

ところがある日、食卓で自分の娘がそのミートボールを口にしたとき、
彼の心臓は止まりそうになったといいます。
自分が作った“廃棄寸前の肉に添加物を注ぎ込んだ食品”を、
愛するわが子が嬉しそうに食べている――。

その瞬間、彼は初めて気づきました。
「これは、我が子に食べさせたくないものだった」と。
あれほど誇りだった商品が、一瞬にして“恐ろしい現実”へと変わったのです。

自分が他人の子に差し出していたものを、
いざわが子が食べる姿を見て、胸がつぶれる思いをした。
その痛みが、彼を仕事から離れさせる決断にまで導きました。

私たちも似たようなことを繰り返しています。

陰で上司を罵っていた人が、やがて自分が上司となり、
部下から陰で同じことをされていると知ったとき。

親をないがしろにしてきた人が、やがて自分の子に冷たく扱われたとき。

その時になってようやく――
「自分がしてきたことの意味」に気づかされるのです。

人は、悪い報いを自ら受けないと気づけない愚かな存在かもしれません。
でも、その痛みによって初めて、自分の心を振り返り、
誰かに優しくなれる瞬間があるのもまた、人間らしさなのだと思います。

💫今日の格言
「自分の欠点を教えてくれるのは、いつだって“自分の痛み”である。」

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RMA戦略家
岩根 央