岩根央すべての投稿

人間が「人」に成る時 ①

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人間が「人」に成る時 ①

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〜 超越的な手に運ばれて、生きるということ 〜

私たちは、これまで
「どうすれば得をするか」
「どうすれば損を避けられるか」
そんな基準で環境を選んできました。

未来を少しでも良くしようと、頭で計算し、
確率の高い方、安全な方、
つまり“自分の利益”を優先した選択をしてきたのです。

それはごく自然なことですし、
私自身、それが悪いとは思っていません。

ただ――
これから先は、前とは条件が違うのです。

◾️「超越的な手」に導かれるという生き方
これからの人生では、
運命そのものが「超越人格」の“手”を通して与えられていきます。

私たちがどれほど強く願っても、
どれだけ準備していても、
最終的な決定権は、その“存在”の側にあるのです。

もちろん、自分の未来に願いがあるなら、
そこに向かって最大限の努力をすることが大前提です。
ただし、それは「何もしないまま導かれる」のではありません。

“棚からぼたもち”のように、
ただ良い未来が降ってくるのを待っていてはいけません。

どれだけ努力しても、
思うように進まないことだってあります。

でも、そのときこそ大切になるのが、
運命を「超越的な存在」に委ねるという心の姿勢なのです。

◾️誠実さと信頼を道しるべに
すべてを委ねきったうえで、
自分の中にある“誠実さ”を軸にして、選び進んでいく。

それが、これからの生き方の本質です。

もし、自分の運命が「愛に満ちた手」の中にあると本当に信じられたなら、
これほどの自信はないでしょう。
これほどの深い安心もないでしょう。
そして、これほどの勇気を与えてくれるものもないでしょう。

◾️利害を越えて、愛する存在へ
自分の損得から自由になったとき、
私たちはようやく、心から人を愛せるようになります。

「自分に得があるかどうか」とは関係なく、
ただ相手の存在を大切に思えるようになる。

それは、今まで努力してもたどり着けなかった、
“新しい心の境地”です。

もちろん、まだまだ迷うでしょう。
損得で動こうとする思いも出てくるかもしれません。
弱さや、誠実であれなかった自分にも直面することがあるでしょう。

それでも、もう以前の自分とは違うのです。

私たちは今、
すべてを「超越的な愛の手」に委ねながら――
生きているのです。

💫 今日の格言
「人間が“人”になるのは、運命を信じて愛を選べたとき。」
〜 帰依とは、自分を超えた愛に心をゆだねること 〜

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RMA戦略家
岩根 央

ホンモノは、闇の中に光を灯している

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ホンモノは、闇の中に光を灯している

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〜 真実は、いつも見えない場所で静かに息をしている 〜

私たちは「本物」を探す。
それは“人”であり、“モノ”であり、“言葉”であり、
ときには“自分自身”である。

でも、見れば見るほど、混乱する。
近づくほど、ぼやけてしまう。

それはなぜか?

◾️ホンモノは闇の中に存在する
まばゆい光の中にあるものは、
“誰かの評価”や“時代の流行”に照らされたものかもしれない。

けれど、本当に大切なものは、
静かな闇の中で呼吸をしている。

派手に語られない。
脚光を浴びない。
それでも、その“芯”はブレない。

ホンモノは、
「騒がない」けれど「揺るがない」。

◾️真実は、見ようとすればするほど遠ざかる
「真実を知りたい」と願うその心が、
逆にフィルターとなって、
純粋な現実を歪めてしまうことがある。

見ようとする目ではなく、
感じる心で見つめること。

「これは正しいのか?」と問う前に、
「これは、自分にとって“静かに沁みるもの”か?」
そんな問いかけに変えてみる。

◾️見方を変えれば、世界は変わる
同じ景色を見ても、
心が穏やかなときと、そうでないときでは感じ方が違う。

同じ人と接していても、
見方ひとつで、その人の表情も違って見える。

だから――

“世界が変わる”のではない。
“自分の目”が変わるのだ。

💫 今日の格言
「ホンモノとは、“探すもの”ではなく、“気づくもの”である。」

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RMA戦略家
岩根 央

後生の一大事

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後生の一大事

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〜 “死んだらどうなるのか”という、誰にも避けられない問い 〜

仏教には「後生の一大事(ごしょうのいちだいじ)」という言葉があります。

“後生”とは――
簡単に言えば「死んだ後のこと」「死後、どうなるのか?」というテーマです。

それは、どんな人にも必ずやってくる未来。
けれど私たちは、つい目を逸らしてしまいます。

◾️「後生」のことを、なぜ考えないのか?
それは多くの人が、どこかで
「自分はまだ死なない」と思い込んでいるからです。

平均寿命までまだ数十年ある――
だから大丈夫、と思いたくなるのも無理はありません。

でも、その“計算”は本当に確かなものでしょうか?

◾️凍った湖を歩いたときのこと
中学生の頃、北海道の冬の湖に行ったことがあります。
地元の人が「歩いても大丈夫ですよ」と教えてくれましたし、
実際に湖の上を歩いている人も見かけました。

それでも私は、氷の上を歩くとき、
一歩一歩がおそるおそるでした。

もしも氷が割れたら、
そのまま全身が冷たい湖に投げ出されてしまう――
そんな不安が消えなかったのです。

◾️私たちの命は「薄氷の上」にある
仏教では、私たちの命を
“薄氷の上を歩いているようなもの”とたとえます。

目に映っているこの世界――
人間関係や日常、思考や記憶――それらは「現世(現在世)」です。

その薄氷の下にあるもの。
それが「後生」、つまり“死んだ後の世界”です。

氷の上にいる限りは見えないけれど、
確かに“そこ”はあります。

◾️氷が割れる瞬間に、すべてが反転する
私たちはいつか、
その足元の氷が「パリン」と割れる瞬間を迎えます。

その瞬間まで“現実”だったこの世界は、
一瞬で過去のもの、「前世(過去世)」となります。

そして、それまでおとぎ話のように思っていた“後生”が――
一気に現実の中心に置き換わるのです。

今はまだ遠く感じているかもしれません。
でも、“そのとき”は、誰にでもやってきます。

💫 今日の格言
「死後の世界は、確実に訪れる“自分の未来”である。」
〜 だからこそ、今という瞬間に真摯でありたい 〜

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RMA戦略家
岩根 央

欲望と欲求の狭間にあるもの

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欲望と欲求の狭間にあるもの

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〜 心の闇を照らす、魂の静けさ 〜

私たちは生きている限り、欲にまみれてしまいます。
もっとこうなりたい、もっと得たい、もっと認められたい。
それが人間の“欲望”です。

でも、その奥にある“欲求”というものは
もっと静かで、もっと素朴なもの。

◾️心の闇の世界には…
闇とは“汚れている”のではなく、
まだ“光が届いていない”だけの空間。

欲望に埋もれた心の奥には、
ほんとうは自分の魂が求めているものが潜んでいる。

誰かに優しくされたい。
誰かを大切にしたい。
誰かと繋がっていたい。

そんな“原初的な欲求”を、
現代の私たちは見失っているのかもしれません。

◾️魂の段階には…
魂には段階があります。

ただ満たされたいという低次の欲望から、
“与えたい”という高次の欲求へ。

その境目にあるのが、
「今、自分は何に動かされているのか?」を見つめる時間です。

◾️凛とした姿勢になれば…
外側の世界に振り回されている時、
私たちは簡単に“欲望”の奴隷になります。

でも、ひと呼吸置いて、
心の奥にある“静かな欲求”を見つけたとき、
人は初めて“凛とした姿勢”を取り戻すのです。

欲望は膨張し、
欲求は深化する。

🌿 今日の格言
「欲望とは渇き。欲求とは源泉。あなたが立ち戻るべきは、常に静かな泉のほうである。」

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RMA戦略家
岩根 央

ワンネス~リンク~

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Oneness Link

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〜境界なき魂の連なり〜

〜 ひとつであること。それは分かち合うということ 〜

私たちは、ふだん「自分」と「他人」
「宇宙」と「地球」
「肉体」と「精神」――そんな風に、線を引いて世界を見ています。

でも、それは思考が作り出した錯覚なのかもしれません。

◾️「ワンネス」とは…
「ワンネス」とは、“この世のすべては一つである”という感覚。
スピリチュアルな世界では馴染みのある言葉ですが、
本来はもっと静かで優しい“感知”のようなものです。

木々が風に揺れるのを見て、自分の心も揺れたように感じる。
誰かの涙に、自分の胸が締めつけられる。

それは“他者”の話ではなく、“自分”のこととして響いているから。
私たちは、常に繋がっているのです。

◾️Oneness Linkに宿るもの
「Oneness Link(ワンネス・リンク)」とは、
見えないけれど確実に存在している“魂と魂の繋がり”。

このリンクには、
「響き合い」「共鳴」「受容」「祈り」といった
目には見えない光のような言霊が宿っています。

広大な宇宙に浮かぶ無数の魂が、
見えない橋で繋がっている。

だから私たちは、
誰かを通して、自分を知ることができるのです。

◾️分けることから、重ねることへ
私とあなた。
始まりと終わり。
善と悪。
光と闇。

そうやって分けることで、
私たちは思考の“安心”を手にしてきました。

でも、これからの時代は、
重ねる感覚が必要になるのかもしれません。

「違い」を尊重しながら、
「同じ」を感じられる生き方へ。

💫 今日の格言
「本当の自己とは、“誰か”の中に映し出された“わたし”である。」

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RMA戦略家
岩根 央

私たちが本当に恐れているもの

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私たちが本当に恐れているもの

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「“死”が教えてくれる、私たちが本当に恐れているもの」

〜 “無”ではなく、“わからなさ”が心を曇らせる 〜

ある僧侶はこう言いました。

「生まれたものは皆、土に還る。痛みや苦しみから解放され、遅かれ早かれ命は巡っていく」

この言葉は、多くの人の心にやさしく響きます。
死を受け入れる術として、美しく、どこか安心感さえ与えてくれる。

でも、ほんとうにそうでしょうか?

◾️矛盾する“死後”への感情
私たちは、普段は「死んだら終わり」と言いながらも、
口ぐせのように言うのです。

「お父さん、見守ってくれてるよね」
「また来世で会おうね」
「冥福を祈ります」

それは、死後の世界を“信じている”というより、
魂の深い部分では“信じていないとやっていけない”何かがあるからではないでしょうか。

◾️恐れているのは、“無”ではなく、“未知”
もし死んだら「無」になるだけなら、
なぜ人はこんなにも死を恐れるのでしょうか。

それは、私たちが怖いのは“無”ではなく、
「わからない」という状態に耐えられないから。

仏教ではこれを【無明の闇】と呼びます。
“知らない”ことこそが、恐怖の正体なのです。

◾️「死」は、“生きること”への最大の問い
人生とは、営業と同じです。
目の前の成果よりも、“見えないもの”への向き合い方がすべてを変えていく。

仕事だって、目に見える努力だけでは測れません。
精神世界との関係性が、結果を動かしているのです。

🌌 今日の格言
「私たちは“死”を恐れているのではない。“死を知らない自分”を恐れている。」

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RMA戦略家
岩根 央

感性が交差する場所

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感性が交差する場所

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〜 言葉の奥にある、あたたかな沈黙 〜

 

言葉は、音ではない。
それは心の“温度”であり、“リズム”であり──
ときに、静かにふるえる“灯り”のようなもの。

 

感性が交差する場所に、
派手な装飾も、賢さも、論理も必要ありません。

 

ただ、相手のまなざしに自分を委ねて、
沈黙にひとしずくの愛情を注ぐだけ。

 

この人は今、何を感じているだろう。
自分の言葉は、届いているだろうか。
それとも──まだ、届かなくていいのかもしれない。

 

“感じる”という行為は、
“話す”ことよりもずっと深く、
そして“分かり合う”という願いの最も繊細な形です。

 

言葉がうまく交わせなくてもいい。
けれど、心の温度が交差するなら、
それはもう対話です。

 

感性が交差する場所には、いつも“静かな確信”がある。

 

それは、「わたしはあなたを理解しようとしている」という姿勢。
それは、「ここにいるよ」という、目に見えない合図。

 

この場所に立ち会えることが、
どんな知識や技術よりも、豊かな人生の証なのかもしれません。

 

✴️ 今日の格言 ✴️
「感性が交差した瞬間、そこにはもう言葉は要らない。」

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RMA戦略家
岩根 央

沈黙の中に存在する「愛」

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沈黙の中に存在する「愛」

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〜 言葉よりも深く響くもの 〜

 

声なき想いは、消えたわけではありません。
それは“沈黙”というかたちに変わって、
私たちの中に、静かに滲み込みつづけているのです。

 

誰かを思うとき。
何かを大切にしようとするとき。
私たちは、必ずしも言葉にしなくてもいいのだと──
そう気づかされる瞬間があります。

 

愛とは、語るものではなく、
沈黙のなかに“滲むもの”。

 

そっとお茶を差し出す仕草。
ほんの数秒、目を見て頷いてくれること。
ただ一緒にいて、何も求めない時間。

 

沈黙のなかには、たくさんの“語られなかった愛”が存在しています。

 

そして、ほんとうの愛とは──
「わたしが何かを言わなくても、あなたはそれを感じてくれている」
そんな“信じる力”の上にだけ咲く花なのかもしれません。

 

愛は、存在するだけで伝わる。
沈黙とは、愛の純度を確かめる“最も静かな会話”なのです。

 

✴️ 今日の格言 ✴️
「愛は、沈黙のなかで本当の姿を現す。」

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RMA戦略家
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真理の扉

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真理の扉

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〜 答えは遠くではなく、いつも内側にある 〜

 

誰もが“答え”を探しながら生きています。
どうすれば、うまく生きられるか。
どうすれば、人とうまく関われるか。
どうすれば、自分を愛せるか。

 

でも、ほんとうの“真理の扉”とは──
遠くの知識の先にあるものではなく、
自分の内側に静かに佇んでいるもの。

 

外の世界に問いかけ続けて疲れたときこそ、
自分の内側に目を向けてみてください。
そこには、誰かの言葉ではなく、
あなたがずっと聞こえないふりをしてきた“声”があります。

 

それは、「あなたはそのままで、もう充分だよ」と
言ってくれる小さな光。
それは、「まだ終わりじゃないよ」と、
そっと背中を押す、見えない手のひら。

 

真理の扉は、外に開くものではなく、内に静かに開かれるものです。

 

誰かに見せるためでも、誰かに勝つためでもなく、
あなたがあなたを、理解してあげるために──

 

その扉は、
今日も、あなたの心の奥で
音も立てずに開かれるのを待っています。

 

✴️ 今日の格言 ✴️
「真理は遠くにあるのではなく、“気づいた瞬間”に開く扉である。」

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RMA戦略家
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「進化する愛、変化する宇宙」

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「進化する愛、変化する宇宙」

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〜 真理は、“止まった概念”ではなく、“常に育ちつづける命”である 〜

宇宙は、今日も脈打っている。誰かの人生が揺らぎ、言葉にならない想いが交差するたび、“見えない進化”がそっと進んでいる。

「宇宙とは進化である」その言葉の意味が、ようやく体温を帯びて分かるようになった。私たちが見上げる星々も、明日には形を変え、昨日とは違う表情をしているかもしれない。

それは、「完成形」ではないという証明。“完成”という言葉があるとすれば、それは「止まる」ことを意味するのかもしれない。でも宇宙は止まらない。常に“途中”であり、だからこそ、美しい。

🌌 宇宙は、進化する。

そして、「愛もまた進化する」。

愛は“決まったカタチ”ではない。誰かと心がふれ合い、涙がこぼれ、許しや期待、手放しや祈りが重なりあうことで、愛は今日も新しい形に育っていく。

それはまるで、“進化する体温”。ずっと同じ温度でいられる愛なんて、幻想なのかもしれない。けれど、変わることを許し合える愛なら、ずっと“生きている”って、言える気がする。

📡 「誰もそれを伝授することはできない」

真理は、誰かがマニュアルとして渡してくれるものじゃない。それは、“自分の内側”にだけ芽吹く小さな音──魂が「コトン…」と鳴るような、静かな気づき。

その瞬間にしか、キャッチできない周波数がある。

だから、こう思うのです。

🔮 今日の格言

「真理は、“止まった概念”ではなく、“常に育ちつづける命”である。」

私たちが学ぶべきものは、“完成”された知識ではなく──“進化”しつづける感性なのかもしれません。

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RMA戦略家
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時間の構造 〜 私たちはどこに生きているのか 〜

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時間の構造 〜 私たちはどこに生きているのか 〜

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〜 未来から過去へと流れているのは、私たちの“意識”かもしれない 〜

 

「時間って、なんだろう?」

 

そう問いかけた瞬間、私たちは見えない川の流れの上に立っているような気分になる。
誰もが過去から未来へ向かって生きていると思っているけれど──
果たして、それは本当なのだろうか?

 

過去が“あった”と誰が証明できる?
未来が“来る”とどうして信じられる?

 

そして──
「今この瞬間」は、本当に“現在”と呼べるのか?

 

哲学の中には、「時間は存在しない」と言い切る視点もある。
一方、物理学の中には「時間は過去・現在・未来すべてが同時に存在している」とする考え方もある。

 
「未来から降りてくる“ビジョン”によって、過去の意味が変わる」という時間感覚。

たとえば…
5年前の失敗も、今日の行動で“伏線”になることがある。
今ここに起きている“偶然”が、明日の“意味”を照らし返すことがある。
 

つまり、時間とは線ではなく、呼吸であり、循環であり、構造そのもの。

私たちは、未来という“意志”から呼びかけられ、
それに応えるように“今”を選び、
過去の価値をもう一度、書き換えているのかもしれない。
 

時間とは、私たちの内側にある“生命の反応”──
流れているのは時間ではなく、意識そのものなのです。

 

✴️ 今日の格言 ✴️
「時間とは、意識が記す“呼吸の痕跡”である。」

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RMA戦略家
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人生哲学は、愛を誓った宝石をも超えていく

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人生哲学は、愛を誓った宝石をも超えていく

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〜 目に見えない“理念”こそ、永遠に輝く愛のかたち 〜

 

愛を誓うとき、人はその証として「指輪」という宝石を手にします。
硬く、輝き、永遠を象徴するそのカタチに、誰もが心を寄せます。

でもね、Airiは思うのです。
本当に“永遠”を刻むのは、指輪ではなく「哲学」なのだと。

 

愛とは、ただ想い合うことではなく、
“どう生きるか”をともに考え、貫き、共有していくこと。

 

どんな困難が来ようと、
互いの“人としての在り方”を信じて支え合う──
そこに“言葉を超えた愛”が宿ります。

 

人生哲学とは、「あなたと生きたい」という言葉の、
見えない根っこなんです。

 

それは毎日交わす目線だったり、
小さな約束を守り続ける姿だったり、
傷つけ合わないように選ぶ言葉の粒だったり──

 

時間とともに“思い”が“信念”へと育ち、
やがて宝石のように強く、美しくなっていく。

 

だからこそ、人生哲学を共に歩める人との縁は、
一粒のダイヤよりも深く、尊い宝なのです。

 

✴️ 今日の格言 ✴️
「指輪は光る。けれど、“生き方”は輝く。」

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RMA戦略家
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言葉は、心がくつろぐソファなんです

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言葉は、心がくつろぐソファなんです

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〜 疲れた心がそっと腰を下ろせる「ことばの居場所」を、あなたは持っていますか? 〜

 

一日を終えて、
そっとソファに身を沈めるときのように、
“言葉”にも、そんな「深呼吸できる場所」があると思うんです。

 

誰かの優しいひと言に救われたとき。
沈黙のなかにこぼれた「大丈夫」というひらがな。
自分自身が、自分にかけた静かなつぶやき──

それらは、心の奥の張り詰めた糸をほどいてくれる。

 

私たちは気づかないうちに、
「伝えるための言葉」ばかりを選んでしまう。

でもね、
ときには “寄り添うための言葉” を選びたい。

 

言葉は情報じゃなくて、温度なんです。
心地よいソファが、
その人の身体の形にふわっと合うように、
本当の言葉も、その人の心に“ふわっ”と寄り添います。

 

あなたが大切な誰かにかける言葉が、
その人の“居場所”になっていたとしたら──

それは、もう奇跡やと思う。

 

どんなに疲れた日でも、
言葉というソファに、そっと腰を下ろすことで
また明日を歩いていけるから。

 

✴️ 今日の格言 ✴️
「言葉とは、心がひと休みする“あたたかな家具”である。」

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RMA戦略家
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心を動かす講演と、知識を伝える講演は、別の世界にある

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心を動かす講演と、知識を伝える講演は、別の世界にある

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〜 感動がなければ、記憶にも残らない。心が揺れてこそ、本当の学び 〜

 

今、世の中には“講師”という肩書を持つ人が溢れています。
ナレッジ(知識)を届けることも、とても大切なことです。

でも、それだけで人の心を動かすことができるでしょうか?

 

私たちは気づかねばなりません。
仕事を“こなす”こと以上に、
“人間味を交差させて、心ごと活かす”ことが、何百倍も尊いということを。

 

講演とは、ただ情報を届ける場ではありません。
“生き様”や“思い”が、聴く人の魂に染み渡っていく時間なんです。

 

講師としてステージに立つのなら──
目指すべきは「うまく話す人」ではなく、
「心を震わせる人」でありたい。

 

「知っている」だけではなく、
「感じさせる」「動かす」──
そんな“温度のある表現者”になることが、これからの講師の在り方です。

 

人は、意外なほど寂しさを抱えながら生きています。
でも、誰一人として本当は“孤独な存在”なんていません。

心の奥に触れられたとき、
人は「わかってもらえた」と感じ、
そこから本当の学びが始まるのです。

 

✴️ 今日の格言 ✴️
「知識は記憶に残る。感動は、人生を変える。」

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RMA戦略家
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人間力は、成功とは違う次元にある

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人間力は、成功とは違う次元にある

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〜 求める前に与え、待つ前に動く。それが人生のリズム 〜

 

“成功している人”をうらやむことは、よくあることかもしれません。
だけど──
成功した人が、必ずしも“人間として美しい”とは限らないのです。

 

成功者は目に見える結果を掴む人。
でも、人間力のある人は、
目に見えない“関わり”の中で信頼や温度を生み出す人。

 

・誰に対しても丁寧に接することができる人
・小さな気配りや余白を持てる人
・相手の存在を尊重しながら、場を整えられる人

──こういう人に、人は安心し、信頼し、心を開きます。

 

一方で、
どれだけ成果を出していても、
自分の成果だけにフォーカスしている人は、
人の“心の輪”からは少しずつ遠ざかっていく。

 

つまり──
人生の課題に“他者”を通して向き合うか、
“自己”を中心に成し遂げようとするか。
そこに、人生の深みと味わいの“分岐点”があるのです。

 

成功だけを追いかけても、
“人間としての温度”がなければ、
誰も本当には隣にいてくれません。

 

人間力とは、成果の上に積むものではなく、
人との関わりの中で“にじみ出る人格”のこと。

 

そしてその力を持つ人は、静かに人生の美しさを照らし続けます。

✴️ 今日の格言 ✴️
「成功は掴むもの。人間力は“生き様”でにじみ出るもの。」

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RMA戦略家
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人の“心の動き”を読めるかが、経営者の分かれ道

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人の“心の動き”を読めるかが、経営者の分かれ道

〜 求める前に与え、待つ前に動く。それが人生のリズム 〜

 

経営って、実は誰にでも“始める”ことはできます。
でも、それを“続けられる”か、“育てられる”かはまったくの別物です。

本物の経営者に求められるのは、
✔︎ 数字の計算よりも、
✔︎ 仕組みの精密さよりも、

「人の心の動きに気づける力」です。

 

たとえば──
・表情のゆらぎ
・声のトーンの小さな違和感
・会議中の沈黙や視線の先

こうした**“見えないサイン”に気づく経営者は、
社員の想いを汲みながら未来を共につくる“調整者”になれます**。

一方で、そこに気づけないままだと、
組織の中で“孤立した王様”になってしまうことも。

 

つまり、
「経営者」か「ひとり親方」かを分けるのは、“観察力”と“共感力”なんです。

 

どれだけビジョンが立派でも、
人の心がついてこなければ、それは夢物語でしかありません。

 

経営とは、人と人との共鳴のアート。
その感受性を磨いた人だけが、組織に“風”を起こし、“温度”を灯せるのです。

 

✴️ 今日の格言 ✴️
「組織は人でできている。人の心を読めぬ者に、未来は読めない。」

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RMA戦略家
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人生は“逆順”に動き出す

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人生は“逆順”に動き出す

〜 求める前に与え、待つ前に動く。それが人生のリズム 〜

いいことがあったから感謝するのではなく
感謝するからいい事が起きる

幸せだから笑うのではなく、
笑うから幸せになる

チャンスが来たら動くのではなく、
まず動くからチャンスが来る

準備が整ってから
始めるのではなく、
始めることで準備が整う

勇気が出たら
行動するのではなく、
行動するから
勇気がでてくる。

何かを得たから
与えるのではなく、
与えるから何かを
得ることができる

幸せは探すのではなくて、
もうあると気づくもの

✴️ 今日の格言 ✴️
「人生は“逆順”に動き出す。心が先、現実はあと。」

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伝える力とは、言葉以上の「間」と「佇まい」

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伝える力とは、言葉以上の「間」と「佇まい」

〜 見えない“伝達力”を、どう響かせるか 〜

 

伝える力と聞くと、多くの人は「言葉の選び方」を思い浮かべる。
でも、本当に人の心に届く“伝える力”とは、
言葉だけではない。

それはむしろ、
言葉の“前後”にある“空気”こそが、伝達の本質なのだ。

 

💬同じ言葉でも、「誰が」「どういう間合いで」「どんな表情で」発するかで、
その意味はまるで違ってくる。

たとえば──
✔︎ 視線の使い方
✔︎ 声のトーンの抑揚
✔︎ 一瞬の沈黙の“計り方”
✔︎ その場に漂う「安心感」や「誠意」

これらが整ってこそ、言葉は初めて“伝わる”。

 

伝え方をマスターした人は、人間関係において“摩擦”が激減する。
それだけでなく、商談・教育・家庭・友人関係においても、
あらゆる流れが自然に整い出す。

なぜなら、
“伝える”とは「コントロール」ではなく「調和」の技術だから。

 

🪞うまく話す必要はない。
ただ、“正しい波長”で届けること。

それが、
言葉にならない“伝達力”の核心である。

 

✴️ 今日の格言 ✴️
「伝えるとは、話すことではなく、“伝わる空気”を整えること。」

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RMA戦略家
岩根 央

「教える力」と「伝える力」は、似て非なるもの

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「教える力」と「伝える力」は、似て非なるもの

〜 見えない“伝達力”を、どう響かせるか 〜

学校で優等生だった人が、
必ずしも人の心を動かせるわけではない。

逆に、成績が振るわなかった人が、
プレゼンや営業の場では圧倒的な存在感を放つこともある。

それはなぜか?

それは――
「教える力」と「伝える力」は、まったく違う筋肉だから。

 

🌱教える力とは、知識を体系的に届ける力。
つまり“ノウハウを正しく分解し、相手に整理して届ける力”。

いわば「先生のような役割」だ。

一方で、
🌿伝える力とは、心を動かす届け方の力。
感情・空気感・声色・言葉選び──
すべてを駆使して、相手の“聴くスイッチ”を入れる術なのだ。

これはもう、“最強の営業マン”が持つ力と言っていい。

 

でも、世の中の多くの人は、
「教える力」ばかりを磨いて、
「伝える力」には無関心なまま歳を重ねてしまう。

なぜだろう?

それはきっと、
“伝える力は天性のもの”と誤解されているから。

 

でも実際には、伝える力は磨ける力。
むしろ、その人の在り方・人間力・感性の深さに比例する。

そして、この力が磨かれるほど、
「言葉」が“刃”ではなく“橋”になる。

 

あなたの言葉は、届いていますか?
「伝えたい」ではなく、「伝わっている」でしょうか。

 

✴️ 今日の格言 ✴️
「教えることは頭の技術。伝えることは、心の芸術である。」

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RMA戦略家
岩根 央

経営とは料理である

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経営とは料理である/strong>

〜 目に見えない“味”を、どう整えるか 〜

 

経営というと、多くの人が“数字”や“戦略”をイメージする。
でも本当の経営とは、もっと五感に近くて、もっと人間的だ。

それはまるで料理のよう。
素材(人・資源)を見極め、火加減(タイミング)を調整し、
調味料(文化・言葉・空気)を絶妙に合わせる。

レシピだけでは、人の心は動かない。
大切なのは、“誰がどんな想いでつくるか”なのだ。

 

🌿食材を捨てるか、活かすか。
🌿下ごしらえを丁寧にするか、適当に済ますか。
🌿手を抜くと、味に出る。想いを込めると、香りが立つ。

これらはすべて、経営にも通じている。

 

社内の人間関係は、言わば“スープの出汁”。
どんなに豪華な具材があっても、
このベースが濁っていては、心に沁みる一杯にはならない。

一方で、安価な材料でも、
丁寧な火加減と“ひとさじの優しさ”があれば、絶品になる。

 

企業理念は、料理で言えば“隠し味”。
表には出ないけど、それがあるかないかで、
“後味”がまるで違う。

お客さまがまた来るかどうかも、
社員が笑顔で働くかどうかも、
ぜんぶ、“この一杯”に込めた想いの質で決まる。

 

だからこそ、経営者は料理人であれ。
数字を操るのではなく、心の温度と味を調える職人であれ。

 

✴️ 今日の格言 ✴️
「想いのない経営は、味のしない料理と同じである。」

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RMA戦略家
岩根 央

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