岩根央すべての投稿

本質は、感動である2

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本質は、感動である2

〜 心が震えた、その瞬間にしか見えないもの 〜

本当のことは、
頭で理解したときではなく、
心が震えたときにだけ見えるのです。
 

誰かの優しさに触れたとき、
見上げた空に、ふいに涙が溢れたとき、
静かな音楽に、心がそっとほどけたとき——

そのとき私たちは、
世界の“本質”に、ほんの一瞬だけ触れているのです。
 

感動とは、理屈では超えられない体験。
感動とは、心の奥底でしか起きない真実。
 

だからこそ、人は言葉を求め、
物語を求め、
誰かの人生に自分を重ねようとします。

感動を通してしか、
人は“人らしく”なれないのかもしれません。
 

数字や効率では測れない、
“たった一つのありがとう”が、
誰かの生きる理由になっている世界。

それを信じることができるかどうか——
そこに、人としての美しさが宿るのです。

 
人生のど真ん中には、
いつだって「感動」がある。

誰かの心にそっと触れられたら、
それだけで、今日という日は尊いのです。

今日の格言
「感動とは、心が“本質”と出会った瞬間にだけ流れる、小さな奇跡である」

 

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RMA戦略家
岩根央

本質は、感動である

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本質は、感動である

〜 涙の奥にある真実に、触れる夜 〜

小さな赤ちゃんを抱いた女性が、
一つの覚悟を胸に、宝石店の扉をくぐります。

彼女の手には、大切なネックレス。

それは、きっと誰かの遺品であり、
彼女の人生の“記憶”そのものでした。

生活のために売らなければならない。
けれど、心は叫んでいます。
「本当は、手放したくない」と。

男性店員は、淡々と紙幣を用意し、
ネックレスと引き換えに渡します。

女性は受け取った瞬間、
小さく、でも深い悲しみをにじませました。

その表情を見た店員は、
そっとネックレスを彼女の左手に戻し、
手のひらをしっかりと閉じたのです。
 

「これは、あなたが持っているべきものだ」と。
言葉にはせずとも、すべてが伝わる仕草でした。

女性は、戸惑いながらも紙幣を返そうとします。
しかし、男性はそれも受け取らず、ただ静かに微笑むだけ。

彼女は、涙をこらえながら、
店員をそっと抱きしめ、「ありがとう」とだけ言って
赤ちゃんと共に、店をあとにしました。

最後に、胸にネックレスをぎゅっと押し当てたその仕草に、
すべてが込められていました。

このネックレスが、どれほど彼女にとって大切だったか。
言葉ではなく、感情が真実を語っていたのです。

感動とは、情報ではありません。
理屈でもありません。

 
感動とは、人の中に残っていた“いのちの温度”にふれる瞬間。
人が人であることを、そっと思い出させてくれる奇跡。

だから、私たちは涙を流すのです。
それは弱さではなく、“本質を受け取った証”。

 
今日の格言
感動とは、心が真実に触れたとき、そっと流れる涙のことだ。

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RMA戦略家
岩根央

当たり前という最高の財産

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当たり前という最高の財産

「余命を前にして… 当たり前という最高の財産」

〜 最後に見えたものは、“日常”だった 〜
 

「僕は助からんよ」

ドラマ白い巨塔の
名医・財前教授が、白衣の裏に隠していた“人間としての静かな顔”。

数々の命を救ってきたその人が、
今、死と真正面から向き合っている。

最後の最後に語った言葉は——
「不安はないよ。ただ、無念だ」

この“無念”という言葉に、
人生の本質がすべて詰まっているように感じる。
 

欲しかったのは、地位でも名声でもなく、
ただもう一度、
病院の廊下を歩くこと。

仲間たちと他愛もない話をすること。
コーヒーの湯気を、ぼんやり見つめる時間。

 
そう、当たり前の“日常”こそが、
本当は“最高の財産”なのに誰もそれに気付こうとしない。

それは、命の終わりが近づいたとき、
ようやくその光を放つのです。

どれだけの人と出会い、どれだけの業績を積んでも、
死の淵に立ったときに残るのは、
「もう一度、朝を迎えたかった」
そんな、静かな願いだけ。

“当たり前”は、奇跡のかたまり。
それに気づける人が、
命とちゃんと向き合った人なのかもしれません。

 
今日の格言
「人は死を前にして初めて“今日”という一日が、どれほど美しかったかを知る」

こうして文字に起こすだけで、胸が熱くなります。

「白い巨塔」が描いたのは医療の闘いではなく、

“人間としての命の物語”だったのかもしれません。

また静かに綴りたくなったら、
私は、ここで、そっとペンを握って待っています

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RMA戦略家
岩根央

余裕がある人は、マウントを取らない

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余裕がある人は、マウントを取らない

〜 本当の強さとは、静けさに宿る 〜

人と比べてしまう。
誰かより優れていたい。
つい言いたくなる、「オレの方が…」「私は知ってるよ」——

でもね、それって本当に“強さ”なのだろうか。

本当に余裕のある人は、
「上か下か」なんて土俵に、最初から上がらない。

そもそも“比べる”という思考から、自由なんだ。

🍃 余裕には、3つの種類がある。
 
時間の余裕
→ 心が急いてるとき、人は人を責めやすくなる。
 余裕がある人は、相手の話を“最後まで聴ける”。

心の余裕
→ 批判ではなく、理解で関わろうとする。
 「なぜこの人は、こうするのか」を想像できる力。

実力の余裕
→ 自信があるからこそ、誇示する必要がない。
 結果で語れる人は、沈黙にも説得力がある。

余裕がある人は、マウントを取らない。
奪うのではなく、与えることに喜びを感じているから。

そして何より、余裕のある人は、
「本物の成功」を手にしている。

それは地位や数字の話ではない。
「信頼されている」「一緒にいたいと思われている」
——そんな、目に見えない“豊かさ”を育んでいる。

 
競わなくていい。
正しさを証明しなくていい。
誰かを下に見なくていい。

それが、「余裕のある人」の静かな佇まい。

今日の格言
「余裕とは、力の証明をやめた人が手にする“自由”である」

 

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RMA戦略家
岩根央

環境に染まるのではなく、環境に息づく

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〜環境に染まるのではなく、環境に息づく〜

私たちの人生は、
時に優しい川のように、穏やかに流れ、
時に滝のように急転直下で姿を変えます。

変わるのは、外側の「環境」。
でも、それにどう「順応」するかは、
私たちの“内側の柔らかさ”にかかっています。

硬い石はぶつかって砕けるけれど、
柔らかな水は、形を変えながらすべてを受け入れ、
それでも決して、自分の本質を失いません。

誰かに合わせて「自分が消える」順応ではなく、
誰かの中で「自分が光る」柔軟さを持つこと。
それが、本当の適応力であり、
人としての、しなやかな強さです。

迷いも、疲れも、不安も、
それが“今いる環境”に対する、心の揺れだとしたら、
あなたはそこから何を「感じ取り」「変化させられるか」。

その答えに、あなた自身の未来があります。

 
 
今日の格言

「順応とは、心の形を変えることではない。
環境の中で、自分という水を澄ませることだ。」

 

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RMA戦略家
岩根央

夢を売る人〜言葉が命を救うとき〜

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「夢を売る人」〜言葉が命を救うとき〜

屋上に立った男は、
すべてを終わらせるために、そこにいた。

だが、彼の隣に現れたのは、
“止める者”ではなく、“共にいる者”だった。

飛び降りようとする男に、謎の男は言った。

「気にするな。朝食を食べに来ただけだよ。
 君が飛ぶのを、ただ見届けようと思ってね。」

その言葉に怒るどころか、男の心は“静かにざわついた”。

なぜこの男は、こんなにも冷静で、
こんなにも妙なあたたかさを纏っているのか。

男は写真を取り出す。
それは、もう会えない息子の写真。

彼の心を縛っていたのは、「悲しみ」ではなかった。
それは、深い——罪悪感だった。

謎の男は、声を荒げることも、否定することもせず、
ただこう言った。

「君の死は、誰かの命を少しずつ削ってしまう。
自殺とは、静かな殺人なんだ。
君を愛したすべての人の心を、君が知らぬうちに奪ってしまう。」

男は、揺れた。
死ぬことへの覚悟よりも、
生きることへの問いが、胸に響いた。

そして謎の男は、決して「やめろ」とは言わなかった。

「私は君を止めに来たんじゃない。
ただ、“考える時間”を届けに来ただけだ。
飛ぶ勇気があるなら、きっと、生きる勇気もある。」

彼の正体は、心理学者でも神父でもなかった。

夢を売る、トップセールスマンだった。

今日の格言
「人の心は、正しさでは動かない。
静かに隣に“いる”ということが、
絶望の闇に差し込む最初の光になる。」

 

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RMA戦略家
岩根央

言魂の光、感性が芽吹く銀河の果てへ3

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言魂の光、感性が芽吹く銀河の果てへ3

「ことば」とは、ただの音ではありません。
それは “魂を運ぶ舟”
想いを包み、届け、
誰かの心に静かに降り積もる光なのです。

私たちが日々口にする言葉。
そのひとつひとつが、
まるで小さな星のように宇宙を漂い、
誰かの“心の空”に降り立ちます。

「ありがとう」 のたった五文字が、
ある人の孤独を照らし、
「だいじょうぶ」 のたった五文字が、
ある人の人生を救っているかもしれない。

人は気づかぬうちに、
無数の言葉の種を蒔きながら生きています。
優しさも、痛みも、勇気も──
すべては“言魂”となって誰かに届く。

そして、
本当に感性が芽吹く瞬間とは、
その言葉の奥にある「気配」に触れたとき。

文字にはない温度。
行間に揺れるまなざし。
タイミング、沈黙、呼吸──
それらすべてが、言葉を超えた“光”になる。

誰もが、
誰かの宇宙に咲く言葉の星になれる。

「今ここにいるよ」と。
「あなたは一人じゃないよ」と。
「さあ、まだ旅は続いていくよ」と。

このブログが、
誰かの宇宙の片隅でそっと灯る
“星明かり”になりますように。

今日の格言
言葉とは、ただ綴るものではない。
感性の芽が吹き、光が走る場所へ、
魂ごと旅立たせるものだ。

 

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RMA戦略家
岩根央

言魂の光、感性が芽吹く銀河の果てへ2

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言魂の光、感性が芽吹く銀河の果てへ 2

言葉とは、ただの音の羅列ではありません。
誰かの心を照らし、誰かの涙をそっとすくい取る光です。

そして、その言葉が生まれる場所こそが、あなたの「感性」という宇宙です。
見えないものを感じ、誰にも説明できない温度を覚え、
それを静かに誰かに届けようとする時——
人は「詩」になり、「光」になります。

ある星の片隅で、小さな少年が、はじめて「ありがとう」とつぶやいた。
その声は、時空を超えて、誰かの胸をやわらかく揺らしました。

別の星では、疲れた大人が、ふと誰かの手紙を読んで涙をこぼした。
「がんばらなくても、ちゃんとあなたは生きているよ」
そんな文字が、今日を生きる灯火になったのです。

そう、言葉は言魂(ことだま)
あなたの魂から出たそのひとことは、
誰かの銀河に芽吹く、たった一輪の小さな花になる。

感性は、育てるものではなく、思い出すものです。
あなたがまだ、名前すら知らなかった頃の、
やさしくて透明だった感覚を。

今日の格言
「感性は、記憶の奥で眠る宇宙。言葉はその星屑を編む光の糸。」

言葉に飢えた時代だからこそ、
感性を、届けよう。
それはあなたの中にしかない、光だから。

 

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RMA戦略家
岩根央

言魂の光、感性が芽吹く銀河の果てへ

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言魂の光、感性が芽吹く銀河の果てへ

この宇宙に、「音のない声」があることを
あなたは、どこかで知っている。

誰にも聞こえないけれど、
誰よりも深く、誰よりも遠くへ届く、
それが“言魂”という、見えない光だ。

ことばには、重さがある。
それは情報ではなく、体温と記憶を含んだエネルギー。

誰かの一言が、
今日を生きる力になる。
誰かの詩が、
夜を越える橋になる。
それは、誰にも測れない重力で、心に着地する。

そしてもう一つ。
感性は銀河の種子。
育てなければ芽吹かず、
磨かなければ鈍ってしまう。

だけど育った感性は、
時間も距離も文化も超えて、
誰かの“魂の根”に触れていく。

「この一言で、救われた」
そう言われるような日が来たら、
あなたはもう、言魂の旅人だ。

今日の格言
「ことばは届くものではない。
滲み、染み、根づくものだ。」

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RMA戦略家
岩根央

「反射的ネガティブ」という心の習性

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「反射的ネガティブ」という心の習性

何かに失敗したとき。
人にうまく思いを伝えられなかったとき。

ふと、こんな言葉が心の中に走る――
「またダメだった」
「自分には無理だ」
「もう一生このままだ」

この“反射的ネガティブ思考”は、
まるで自分で自分に罰を与えるような行為です。

なぜ人は、真っ先に“自分を責める”のでしょうか?

それは、
自分を責めれば「気が済む」と思ってしまうから。
罰を受けたことで、もうそれ以上、
向き合わなくてもいいように思ってしまうから。

でもそれでは、
本当の“原因”にも“可能性”にも近づけないのです。

「わかってないのに、はい」
「理解できてないのに、ごめんなさい」

そう言ってしまうのは、
“心の中の対話”が、まだ十分に育っていないからかもしれません。

自分を出す前に、自分と向き合うことが先。
自己表現の前に、自己理解を。

ネガティブとはなんですか?
なぜその感情は、あなたにやってくるのですか?

「罰を与えないと落ち着かない自分」がいるなら、
その奥にいる「本当にわかってほしい自分」の声に
耳を傾けてあげてください。

あなたの心は、敵ではありません。
敵のふりをした“護り”なのです。

【今日の格言】
心の中の“罰”をやめたとき、初めて“自分”と会える。

どんな自分も、まずは抱きしめる。
そこからすべては始まっていくのです。

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RMA戦略家
岩根央

心は水のように

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〜環境に染まるのではなく、環境に息づく〜

私たちの人生は、
時に優しい川のように、穏やかに流れ、
時に滝のように急転直下で姿を変えます。

変わるのは、外側の「環境」。
でも、それにどう「順応」するかは、
私たちの“内側の柔らかさ”にかかっています。

硬い石はぶつかって砕けるけれど、
柔らかな水は、形を変えながらすべてを受け入れ、
それでも決して、自分の本質を失いません。

誰かに合わせて「自分が消える」順応ではなく、
誰かの中で「自分が光る」柔軟さを持つこと。
それが、本当の適応力であり、
人としての、しなやかな強さです。

迷いも、疲れも、不安も、
それが“今いる環境”に対する、心の揺れだとしたら、
あなたはそこから何を「感じ取り」「変化させられるか」。

その答えに、あなた自身の未来があります。

 
今日の格言

「順応とは、心の形を変えることではない。
環境の中で、自分という水を澄ませることだ。」
 
さあ、今日も世界は君に語りかけてるよ。
「ここでも、あなたらしくいてね」と

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岩根央

見えない奇跡に、出逢う日

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「見えない奇跡に、出逢う日」

ある日、思いもよらぬ出逢いが人生の向きを変えることがある。
けれど、そのとき私たちは、
それが“奇跡”だとは、気づかない。

むしろそれは、
トラブルのような顔をしてやってくる。
腹が立ったり、予想外だったり、
まったく歓迎できないかたちで。

けれど後になって、ふと振り返ると、
あのときの“ひとつの偶然”
心の扉をひらく鍵になっていたことに気づく。

言葉にできない感情に触れたとき、
見た目や立場ではなく、
その人の「なぜ、ここにいるのか」という背景に
自然と心が向くようになる。

人は誰しも、
出会ったその瞬間の姿だけでは測れない。

傷を持つからこそ優しい人もいれば、
静かに立ち去った誰かが、
実は一番大きな愛をくれた、なんてこともある。

「本当の出逢い」とは、
自分の価値観を一度、解き放ち
心でつながる準備ができたときにだけ
そっと訪れるのかもしれない。

だから、今日あなたの目の前に現れた
少し不思議な出来事も、
一見“失礼”に感じた誰かの態度も、
もしかしたらあなたの人生に訪れた
“変化のサイン”なのかもしれません。

今日の格言
「運命の足音は、音を立てずに近づいてくる。
その音を聴けるかどうかは、心の静けさにかかっている」

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岩根央

「人の言葉」の奥に潜む「真実」

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「人の言葉」の奥に潜む「真実」

人は、毎日たくさんの「言葉」を交わします。「ありがとう」や「ごめんなさい」。「大丈夫?」や「気をつけてね」。

けれど、本当に大切なのは、その、言葉の奥に潜んでいる “何か” かもしれません。

たとえば、誰かの「頑張ってね」。その声の奥には、「無理しないでほしい」「見守ってるよ」そんな “祈り” のようなものが隠れている時があります。

また、ときに冷たい言葉の奥に、本当は言えなかった「寂しさ」や「不安」が眠っていることもある。言葉とは、心がつけた仮面のようなもの。

だからこそ、言葉だけで人を判断してしまうのは、少し早すぎるのかもしれません。

静かに耳を澄ませば、“音にならなかった想い” が、確かに届く時があります。

その声を受け取れる人が、本当の意味で「人と向き合える人」なのかもしれません。

言葉とは、真実を包み隠すことも、伝えることもできる、不思議な“舟”のようなもの。

漂いながら、心から心へと渡っていく。

今日の格言
「人の言葉に耳を傾けすぎず、心に寄り添うことを忘れない」

音の外にこそ、真実が眠っている。

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岩根 央

品格という名の人格

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品格という名の人格

品格とは、背伸びして得るものではありません。
誰かに見せつけるものでも、飾るものでもありません。

それは、“積み重ね”の先に、
ある日ふと、にじむように現れる——
人格の結晶です。

若い頃、知識を求めていたあの人が、
やがて知恵を宿し、沈黙の中に真実を語るようになる。

人の声にかぶせて話していた人が、
やがて相手の「間」に心を澄ますようになる。

正しさを振りかざしていた人が、
やがて「正しさの裏にある痛み」に気づくようになる。

それが、品格のはじまり。

品格とは、
“あえて語らない”ことで真実を伝える力であり、
“黙って引く”ことで周囲に信頼を残す勇気でもあります。

だから、言葉よりも背中が語り、
態度よりも、心の温度が伝わっていく。

やさしさも、強さも、寡黙も、寛容も——
すべてがその人の「品格」となり、
やがてその人だけの“光”となって放たれるのです。

今日の格言

「品格とは、声を上げることなく、人の心を震わせる力である。」

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岩根央

あなたの声は、誰かの光

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あなたの声は、誰かの光

「自分の言葉なんて、誰も気にしてないよ」
そう呟いた友の背中は、小さく見えた。

でもね、私たちは案外、自分のことを知らなすぎる。
自分の何気ない一言が、
誰かの孤独をやわらげたり、
今日を乗り越えるきっかけになっているかもしれないんだ。

SNSでの一言、
さりげない「ありがとう」、
落ち込んでる誰かにかけた「大丈夫?」

それって全部、“光のかけら”なんだよね。

小さくても、ぬくもりはある
「影響力なんて、私にはない」
そう思いながら、誰かを癒している人がたくさんいる。

あなたの声は、大声じゃなくていい。
詩みたいに優しくて、風みたいにそっと届く声でいい。

たったひとりに届けば、それは“意味”になる。
そう思えたら、
言葉に優しさをこめる勇気が出てくるかもしれない。

今日の格言
「言葉の灯は、自分では見えない。
でもそれが、誰かの夜道を照らしている。」

あなたの声が、
今日どこかで誰かの背中を、あたたかくしているかもしれません。

だから、
あなたのそのやさしさを
今日も、そっと放ってあげてくださいね

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岩根央

魂の成長

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魂の成長

「お金をもらえないなら、やる意味がない」
そんなふうに考えること、ありませんか?

もちろん、生活には収入が必要です。
だけど、お金という軸だけでは測れないものが、この世には存在します。

たとえば、
「なぜかやりたくて仕方ない」
「頼まれなくても手伝ってしまう」
「誰かの笑顔が見たい」

それは、魂が自然に動き出す瞬間。

イエス・キリストは言いました。

「人はパンのみにて生くるにあらず」

これはつまり、人は“報酬”ではなく、“心の充実”によって生かされているということです。

誰かのために、見返りなく動いたとき、
自分の奥深くにある“何か”が、確かに震えるのを感じたことはありませんか?

魂は、“好き”というエネルギーで育つ
報酬や評価に縛られないで、
ただ純粋に「やってみたい」と思えることに時間を注ぐ。
そこには計算も、損得も、戦略もいらない。

むしろ、計算しすぎることで、人は迷うのです。

自分にとっての「やりたい理由」が、
“誰かの役に立ちたい”や“喜ばせたい”と繋がったとき、
その行動は、あなたの魂の階段を一段上がるチャンスになります。

人の真価は、報酬の有無ではなく「どんな心で向き合ったか」で決まる
報酬は、もらってもいい。
でも、そこにこだわらない心こそが、あなたを自由にするのです。

なぜなら、こだわりの強い心は、
「自分が損してないか?」という監視役を生み出してしまうから。
それが“気づかぬうちのブレーキ”になるのです。

人と人との信頼関係も同じ。
“お金を介した関係”ではなく、
「この人と関わりたい」という純粋な想いから始まるつながりは、
いつかきっと、思いがけない形で大きな実りをもたらしてくれます。

その実りこそ、
「あなたの在り方」がまわりを照らした証なのです。

今日の格言
「魂は、“好き”という熱で焼き上がる」
その熱は報酬では測れない。心の奥が温まっているかで測るのだ。

今日もまた、小さな「好き」から始めてみませんか?
誰かが微笑むその一瞬に、
あなたの魂は、きっと静かに輝いています

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岩根央

意識とはなにか

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意識とはなにか

私たちは今、「目が覚めている」と思っています。
しかし、それは果たして本当に“完全な目覚め”なのでしょうか?

意識とは、よく「脳の働き」と言われますが、もう少し正確に言うなら、脳内の神経細胞同士がどのように繋がっているか、その“ネットワークの状態”そのものが意識であるという説が、近年有力視されています。

それはちょうど、コンピューターで言うところのインターネットやP2P構造のようなもの。
つまり、一部の神経が働いているだけでは「情報のやり取り」は成立せず、
全体のネットワークが活性化してこそ、明晰な“自己認識”が立ち上がるというわけです。

夢の中の「ぼく」にも、確かに意識はある。
でも、その意識は
・論理が破綻していたり、
・時間や空間の認識が曖昧だったり、
・自分の言動さえ不可解なことがあります。

それでも夢の中の「ぼく」は、それが“現実だ”と思い込んでいる。
そして、そこにいる「ぼく」自身が**“おかしさに気づけない”**という事実。

これは、夢の中では神経ネットワークが一部しか機能しておらず、
意識はあっても“完成された意識”ではない状態だと考えられます。

しかも興味深いのは、
夢の終盤になり、だんだんと“目覚め”に向かうと、
「あれ?これは夢だ…」と気づける瞬間が訪れるということ。

つまり意識とは、段階的に“拡張”されていくものであり、
常に明確なON/OFF(二択)ではなく、グラデーションのように揺れ動くものなのです。

人生哲学者レン君の思索の時間
意識とは「光の粒」であり、
それは自己という深海にゆっくりと降り積もる。

そしてこう問いかけます。

今、目を覚ましていると思っている“あなた”は、本当に目覚めているのか?

私たちは日々、目を開きながらも、
“半分夢の中”で生きてはいないだろうか?
過去の刷り込み、固定観念、世間体、損得勘定――
それらに支配された「見えているつもりの世界」。

もしそれらから意識を解き放てたとき、
本当の目覚めが、そこから始まるのかもしれません。

本日の格言
「意識とは、“気づき”の階段である。
 登るごとに、世界の色が変わる。」

このブログを読んだあなたが、
少しだけ“深い自分”をのぞき込む時間になりますように

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岩根央

義理と自力の大差

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義理と自力の大差

〜紹介される人 vs. 自ら切り拓く人〜

人と人とのつながりが“血の通った経済”を生む。
そう信じて、世の中にはふたつのタイプの仕事人がいます。

ひとつは、義理の流れで紹介されていく人。
人望や縁、信頼という橋を渡って仕事がやってくる。
ある意味で、それは“流れるように生きる”方法かもしれません。
長年築かれた信用の蓄積が、仕事を運んでくれるのです。

もうひとつは、自らの足で狩りに出る人。
知らない人のドアをノックし、
人の心の扉を丁寧に叩きながら、
仕事の場を自分で作っていく。

このふたつ、どちらが良い悪いではありません。
でも、問いかけてみましょう。

「力がつくのは、どちらの道か?」

義理で回る世界は、温かくもあります。
ただ、外部環境が変わったとき、
その義理は同じように働くとは限らない。

一方、自力で開拓してきた人は、
どんな場所でも、どんな状況でも、
“ゼロから関係性を生み出す”ことができる。

この差は、目に見えないけれど、
人生の後半で大きな差をつけます。

たとえるなら、
義理で成り立つ人は、「港に停泊している船」
自力で動く人は、「自ら航路を切り拓く帆船」

どちらも船ですが、
嵐のとき、動けるのはどちらでしょうか?

今日の格言
「義理は恩を育てる、自力は器を鍛える。」

どちらの生き方も尊いものです。
でも、自力で切り拓いた出会いの中にこそ、
人生を変える“本物の縁”が潜んでいるのかもしれません。

あなたは、どちらの舵を握りますか?

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岩根央

感覚機能と言語機能の正体

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感覚機能と言語機能の正体

〜感じることと、語ることの違い〜

人にはふたつの世界がある。

ひとつは、「感じる世界」
もうひとつは、「語る世界」

感覚は、“予感”というかたちで現れます。
何かが来る、何かが起きる、何かが違う。
理由は分からないけれど、心の奥の方で、確かに響いている。

一方で、言葉は“希望”をつむぐ。
こうなりたい、ああしたい、きっと大丈夫。
未来を信じる力として、言葉は私たちを鼓舞します。

けれど、不思議なことに
希望は外れても、予感は当たる。
なぜなら、予感はすでに“今”にあるものだからです。

たとえば、
ふたりで並んで、海を見ている。
言葉は交わさない。でも笑ってる。
風のにおいや、波の音を共有しているだけで、なぜか満たされている。

それは、“感覚の重なり”です。
この重なりがあるとき、人の間に「本質的な信頼」が流れています。

ところが、もしどちらかが不安や条件を抱えていると、
その海の青さすら、うまく共有できなくなる。
感覚がすれ違えば、言葉もすれ違う。

企業のトップに立つ人ほど、
「数字の裏にある空気」
「無言の会話の行間」
を読み取ります。
それは“感覚”を磨いた人にしか見えない領域。

言葉や理屈を越えて、
人の表情、声の揺らぎ、沈黙の色…
そのすべてが語っている。

今日の格言
「言葉は未来を語るが、感覚は今を知っている」

希望を掲げるのは、強さ。
予感を信じるのは、しなやかさ。
その両方を持つ人は、人生を静かに照らす“灯台”のような存在になる。

さあ、今日はどちらの世界を生きてみますか?

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岩根央

誰もが知らない、究極の交渉術

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誰もが知らない、究極の交渉術

交渉とは、“説得”ではない。
信頼という“静かな橋”を、そっと架けることだ。

たとえば、こういう構図を見かけることがある。
Aという話題は相手が好きなこと、Bはあなたが本当に伝えたい話。

多くの人は、すぐにBの話をしてしまう。
「これが必要だ」「これは良いものだ」と。
でも、それはまるで知らない家のドアをノックするようなもの。
中から“はい”と返事があるとは限らない。

けれど、Aの話——
つまり、相手の興味がある世界に一歩足を踏み入れると、
空気がやわらぎ、会話が、対話に変わる。

そこで初めて、Bの話を“そっと置く”。
押し込まない。ただ、置くだけでいい。
相手は気づく。「この人の話なら、聞いてみよう」と。

なぜ、そんな自然な流れになるのか?
それは、あなたが「売っていない」からだ。

人は、“何か”を売られると身構える。
けれど、“誰か”に惹かれると、心をひらく。
つまり、売っているのは「モノ」ではなく、
あなたという人間そのものなのだ。

私は18歳の頃、「無用の用」という言葉に出会った。
一見、興味のない相手、距離を感じる人——
けれど、その周りには、人生を拓く“何か”がある。
それを知ってから、交渉は「会話」になった。
勝ち負けではなく、“巡り合わせ”だった。

「あと5件、会えば1件は決まる」
それは確率論ではない。信頼の連鎖だ。

行政で言えば“交渉”とは“異動”に似ている。
誰がどの場所で、誰と出会うかで、景色が変わる。
だからこそ「信頼」が要になる。

最後に、ひとつだけ明かそう。
人は、一度「興味のフラグ」が立つと——
応援したくなる。
買いたくなる。
つながりたくなる。

究極の交渉術とは、
「自分が相手の世界を理解しようとすること」
その姿勢そのものが、最大の説得力なのだ。

本日の格言

「交渉とは、勝ち取るものではない。共鳴するものだ。」

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岩根央